354お金で転んだ可知・太田コンビ
■去る1月26日の日本サンクチュアリ教会の日曜礼拝で、光言社元職員の中村仁史さんが「お伺い書」の存在を暴露されました。韓氏オモニは2014年7月1日に「私は血統転換、母胎からです」と語りました。中村さんは光言社で韓国語の翻訳を担当していました。韓氏オモニのこの発言を目にした時、韓氏オモニはおかしなことを言っている、何かの間違いではないかと思ったそうです。目次
(1)最高委員会宛のお伺い書
(2)私からの批判とそれに対する太田院長の反論
(3)無原罪誕生は既定路線
(4)お金による懐柔工作
(5)み言の作り替え作業
(6)まやかしの解釈への反論
①「左」及び「右」は比喩表現
②「腹」も比喩表現
③「向こうのほう」も比喩表現
④「図−1」に左右の区別はない
⑤意図的な改竄
⑥「渋柿の根っこ」も比喩表現
⑦無原罪なら、お一人でも真の愛があるはず
⑧お父様はお一人で真の血統を持っておられないのか?
(7)解釈はひとつだけ「韓氏オモニは無原罪の生まれではない」
(8)私の解釈は「お伺い書」の解釈と全く同じ
(9)都合の悪いみ言を削除
(10)「左」は「復帰の道」
(11)消えた左から右への矢印
(12)「女性と子女はまだ渋柿」
(13)人間失格
(14)韓氏オモニはどのようにして血統転換できたのですか?
(1)最高委員会宛のお伺い書
そして、松濤本部の教理担当者の間でもこの発言が問題になり、「御言研究室」所属の可知雅之及び太田朝久の連名になる「お伺い書」というものを韓国語に訳して欲しいと依頼されました。このお伺い書は金榮輝先生に宛てたものと最高委員会に宛てたものの2通あります。その内、最高委員会に宛てたものが以下です。
■このお伺い書の中で、韓氏オモニが有原罪であることを裏付ける根拠として、お父様が済州島で語られた以下のみ言を引用しています。
□可知・太田:「(堕落人間は)真の母の腹を通過して再び生まれてくるのです。……入ってきてお母様の腹の中に入ったとしても、その入った子供とお母様の根っこは何かというと、渋柿の根っこから切って取り返してきたものです。分かりますか。それが天の家庭に入るには、手続きをしないといけないのです。何の手続きかというと、愛の手続きです。だから、真のお母様の腹の中に入っていても、それは真のお父様の真の愛と真の血統にはまだつながっていないのです。お母様は真の愛と真の血統を持っていません」(『訪韓修練会御言集』185~186ページ)
(2)私からの批判とそれに対する太田院長の反論
■このみ言は、私のブログのNo.182で以下のように引用し、韓氏オモニ無原罪の講義をしている太田・阿部・赤石らを批判しました。
■更に、私のブログのNo.205で以下のように引用し、批判しました。
■すると真の父母様宣布文サイトに、このみ言を私が間違って解釈をしているという反論が掲載されました。「文責:教理研究院」としていますが、実際に書いているのは太田院長です。この反論は長文であり、読みにくい文章ですが、将来削除されると思いますので、太田院長の犯罪の証拠として残しておくために、全文を12個に分割して掲載します。
(3)無原罪誕生は既定路線
■韓氏オモニが2014年7月1日に「私は血統転換。母胎からです」と語ったビデオは、私は当時、葛西教会で見ました。教会では毎回礼拝の前にPEACE-TVの週刊ビデオレポートを見ていましたが、韓氏オモニのこのビデオは週刊ビデオレポートではなく、韓氏オモニのスピーチだけ(約22分)のものでした。それは今もPEACE-TVサイトに掲載されています。
このビデオで韓氏オモニは仰天発言をしているのですから、それを知らずに見せたということはありません。本部からの指示があって見せているのです。すなわち、韓氏オモニが無原罪誕生であることを公に発表するという方針の元に、このビデオが韓国で制作され、日本の各教会で教会員に視聴させたということです。
ですから、教理研究院がこのビデオで韓氏オモニの無原罪誕生発言に混乱したというのはおかしなことです。考えられることは、その方針を知っているはずの小山田苑長や徳野会長が知らない振りをしたということです。可知巡回師や太田院長は韓氏オモニの無原罪誕生をどのように捉えるべきなのか、真っ先に小山田苑長や徳野会長に聞いてるはずです。
それで答えが得られなかったからこそ、金榮輝先生や最高委員会に問い合わせしたのです。小山田苑長や徳野会長はどこまでも知らない振りをして、問い合わせするように指示しました。上からの指示がなければ、二人が問い合わせするようなことはしません。小山田苑長と徳野会長は自分達が無原罪韓氏オモニを担ぎ、お父様を裏切っているということを知られたくありませんでした。
しかしその後、可知・太田の二人にも家庭連合の方針が「韓氏オモニ無原罪誕生で行く」と既に決まっているということが分かってきました。無駄な問い合わせをしたということも、小山田苑長と徳野会長が知らん振りを決め込んでいたということも分かったのです。そして、二人に葛藤が生じました。お父様のみ言を曲げてまで韓氏オモニを担ぐことはできない、それをすればお父様を裏切ることになると、中村さんと同じように悩みました。
(4)お金による懐柔工作
ここで事態を収拾するのに登場したのがお金です。そして地位の保証です。小山田苑長と徳野会長は日本での混乱を韓国に報告したところ、韓国からの指示があり、懐柔工作の為の予算が組まれました。結局、可知・太田の二人はお金と地位の保証によって転びました。
この時、二人の説得に当たったのは小山田苑長の意向を受けた徳野会長だと思われます。小山田苑長も徳野会長もお金と地位の保証による説得工作を韓国人幹部から受け、とっくの昔に転んでいたのです。自分達が受けた同様の説得工作を、今度は日本人の部下に行いました。
例の元老12名は全員がお金と地位の保証によって転び、そしてゆるく連帯している人達なのです。ゆるい連帯だというのは、いざという時に何の責任も持たない人達だということです。中村さんによるお伺い書の暴露を知った時、可知・太田の二人は連絡を取り、「俺たちは正しいかったよね、しかし、組織に曲げられたんだよね」と、さっそく責任転嫁の方向性を確認し合っています。
(5)み言の作り替え作業
■可知・太田の二人は韓氏オモニは有原罪の生まれであると考える当然の立場から、その根拠となるお父様のみ言を引用して「これらの真のお父様の御言と、今回、真のお母様が語られた御言が食い違っているように思われるのですが、これらの内容をどのように理解すればよいのか、ここに謹んでお伺いをする次第であります」と書きました。
そして、私がこの同じみ言を引用して、韓氏オモニは有原罪の生まれであることを主張したところ、なぜか太田院長は過敏に反応しました。おそらく、韓氏オモニ有原罪誕生の根拠として、このみ言が「お母様は左のほうなのです」「お母様は渋柿の根っこ」「お母様は真の愛と真の血統を持っていません」のように、ダイレクトで最も分かりやすい表現になっているからだと思います。
太田院長は真の父母様宣布分サイトで、私がこのみ言を間違って解釈していると述べ、彼の「正しい解釈」を見せてくれました。それは、自分もそのみ言を韓氏オモニ有原罪生まれの根拠としてお伺い書に引用していたにも係わらず、金と地位の誘惑に負けて転んでしまったために、正反対の韓氏オモニ無原罪生まれの解釈に作り替える作業でした。
お伺い書の存在によって、今やこの「正しい解釈」が完全なまやかしであることが白日の下に晒されました。ですから、それに大真面目に反論するのもあまり意味のないことですが、まやかしの度合いがひどすぎることを知ることも、裏切り者の正体を明らかにする上で役に立つのではないかと思います。私はこのまやかしの解釈に対して、私のブログのNo.211で反論しましたが、その文章の語句を少し直して、以下に再録しました。
(6)まやかしの解釈への反論
①「左」及び「右」は比喩表現
■お父様は人類始祖アダムとエバがサタンの誘惑によって神様の「取って食べるな、食べると死ぬ」という戒めに背いて堕落したということを教えています。その教えを信じる者が食口です。人類始祖の堕落が原因となり、人類は長い歴史を経て堕落世界を築き上げて来たと考えています。今あるこの世界こそ、人類始祖をだまして堕落させたサタンが支配する、不条理に満ち、苦しみの多い堕落世界なのであり、それを指して「左のほう」と言います。これに対して救われた世界、神様を中心とする理想世界を「右のほう」と言います。
しかるに、太田院長は「それゆえ、お父様が、『母の腹の中』に入るときに『左のほうから入ってくる』と語っておられるのは、『母の腹の中』を意味する小さな円よりも、『図−1』のⒶの地点が左側にあり、その左のほうから円の部分である『真の母の腹』の中に入ってくることを、具体的に説明しておられるのです。そして、澤田氏が引用していない次のページで、お父様は『母の腹の中を通して、先生の体を通して、再びお母様の腹を通していくのです。右のほうを通してです』(『訪韓修練会御言集』186ページ)と語っておられますが、その意味は、右の『拡大・補足した図』を見れば分かるように、左のほうから入った子女(人類)が、まず『母の腹の中』の太くした線の部分を通過して、それから二つの線が交差する点(注、ここが父の体、『父の種(骨髄)』を意味する)を通過した後、『再び、母の腹の中』を通過して、右のほうのⒻの地点へと抜けていくことを説明しておられるのです。
それゆえ、お父様が黒板に書かれた『図−1』の図には、Ⓕの下向きの矢印線のところに『再び生む』という言葉が記してあるのです。このような過程を通過して、子供(人類)は重生されていくのだと言われるのです。すなわち、『母の腹の中』に入るときには、左のほうから入ってきて、父の体(骨髄=二本線が交差する点)を通過した後、再び同じく『お母様の腹(の中)を通して』生まれ変わり、今度は、母の腹の『右のほうを通して』(同)出てくると語っておられるのです」(上記家庭連合の反論の太字部分)と述べています。
■ここで太田院長は比喩表現である「左」及び「右」を、「図−1」上の「左」及び「右」の意味にしています。お父様は「なぜ左のほうから入るかというと、お母様が左のほうだからです」と語りました。これは「なぜ堕落世界のほうから入るかというと、お母様が堕落世界のほうだからです」というのが本来の意味になります。太田院長はこれを「なぜ左のほうから入るかというと、お母様〈の腹の中に入る部分〉が左のほうだからです」と解説して、「左」を「図−1」上の「左」の意味に替えています。なぜなら、韓氏オモニが有原罪誕生であることを否定したいからです。
②「腹」も比喩表現
■お父様は「そういうふうにして、真の母の腹を通過して再び生まれてくるのです。これに、入ってくる時は左のほうから入ってくるのです。分かりましたか?」と語られました。この場合「真の母の腹」とは韓鶴子氏の「腹」ということになりますが、この「腹」も実際の「腹」ではなく比喩的な表現です。お父様は韓氏オモニと心情的に一致するという意味のことを「真の母の腹を通過する」という言葉で表現しています。
太田院長は「すなわち、『母の腹の中』に入るときには、左のほうから入ってきて、父の体(骨髄=二本線が交差する点)を通過した後、再び同じく『お母様の腹(の中)を通して』生まれ変わり、今度は、母の腹の『右のほうを通して』(同)出てくると語っておられるのです」と解説し、この場合の「左」「右」を「図−1」上の「左」「右」として説明していますが、「腹」が比喩的表現であり、その「腹」を中心において使う「左」及び「右」という言葉も当然比喩的表現なのであり、それは「堕落世界」及び「理想世界」という意味です。
③「向こうのほう」も比喩表現
■お父様は「お母様は真の愛と真の血統を持っていません。向こうのほうなのです」と語りました。この場合「向こうのほう」も比喩的な表現であり、「左のほう」と同じ意味の、サタンが支配する堕落世界のことです。この箇所でも太田院長は自分の語句を挿入して「お母様〈お一人で〉は真の愛と真の血統を持っていません。〈その母の腹の左側は、Ⓐの地点の側にある〉向こうのほうなのです」(上記家庭連合の反論の太字部分)と述べています。
太田院長は比喩表現である「向こうのほう」を、「図−1」上の「左側」の意味にしています。韓氏オモニが有原罪誕生であることを否定するために、太田院長が苦し紛れに思いついた論法です。
④「図−1」に左右の区別はない
■太田院長は、人類は「『図−1』のⒶの地点が左側にあり、その左のほうから円の部分である「真の母の腹」の中に入って」来て、「『再び、母の腹の中』を通過して、右のほうのⒻの地点へと抜けていく」と解説しています。「図−1」は本来ならば立体的であるべき表現を、黒板上に平面的に書いたものです。一番上のⒷで人類が誕生し、Ⓒの矢印のように歴史の経過と共に増えて広がり、Ⓐ時点に来ます。これが現在です。
そして更に人類はⒹの矢印のように真の父母を目標にして収束して行き、そこを通過して、今度はⒻの矢印のように広がり、ついにはⒼ時点に到達し、人類が地上天国を実現するということを説明したものです。この図では頂点のⒷから底辺のⒼに至る間に大小の楕円がたくさん書かれていることからも分かりますが、これは立体的な表現の図であり、例えるなら砂時計のイメージです。
すなわち、全人類が上から真の父母という狭い特定部分を通過して、下に移動するというイメージです。移動に際して上の左側Ⓐから下の右側Ⓕに移動するということはありません。上から下にほぼまっすぐに移動するだけです。だからこそ、矢印Ⓒも矢印Ⓓも矢印Ⓕも2本ずつ描いているのです。本来は立体的であるので「図−1」に左右の区別はないし、砂時計のイメージから明らかなように、くびれ部分を通過しながら内容物が左から右に向かって移動するという解説は成立しません。
■また太田院長は「『図−1』のⒶの地点が左側にあり、その左のほうから円の部分である『真の母の腹』の中に入ってくることを、具体的に説明しておられるのです」と述べていますが、「Ⓐの地点」とは人類が矢印Ⓒで示されるように歴史を経て増え広がり、その結果を多重の楕円で表現した部分全体を示しているのであり、「図−1」の左側に特定されるものではありません。
たまたま「Ⓐにいる五十二億」という文字を、この本の編集者が説明の為にその位置に書き入れただけであり、お父様がこの位置に「Ⓐ」と書いたのではありません。「『図−1』のⒶの地点が左側にあり」と、この図の「Ⓐ」の位置を根拠にして「その左のほうから円の部分である『真の母の腹』の中に入ってくることを、具体的に説明しておられるのです」という解説は間違っています。
⑤意図的な改竄
■「図−1」の一部を拡大したものが「181ページの『図−1』の該当部分を拡大・補足した図」ですが、この図を使って太田院長は「それから二つの線が交差する点(注、ここが父の体、『父の種(骨髄)』を意味する)を通過した後、『再び、母の腹の中』を通過して、右のほうのⒻの地点へと抜けていくことを説明しておられるのです」と解説しています。
先に「移動に際して上の右側Ⓐから下の左側Ⓕに移動するということはありません。上から下にほぼまっすぐに移動するだけです。だからこそ、矢印Ⓒも矢印Ⓓも矢印Ⓕも2本ずつ描いているのです」と述べたように、小さな円で示される「真の父母」を通過した人類は、二つの矢印Ⓕで示されるように、ほぼまっすぐに下方向に広がって移動するイメージで「図−1」は書かれています。
しかしこの「拡大・補足した図」では、左の矢印のⒻが消されており、小さな円で示される「真の父母」を通過した人類は、右のほうの矢印Ⓕの地点へだけ抜けていくように改竄されていることが分かります。太田院長は比喩的表現である「左」及び「右」を、「図−1」上の「左」及び「右」の意味に、どうしてもしたいのです。
⑥「渋柿の根っこ」も比喩表現
■「渋柿の根っこ」も比喩的表現であり、それはサタンの血統という意味です。お父様は「入ってきてお母様の腹の中に入ったとしても、その入った子供とお母様の根っこは何かというと、渋柿の根っこから切って取り返してきたものです。分かりますか?」と語りました。この部分でも、太田院長は語句を挿入して「入ってきてお母様の腹の中に入ったとしても、その入った子供とお母様の根っこ〈の状態〉は何かというと、〈まだ「父の体」を通過していない時点であるため、その子供は〉渋柿の根っこから切って取り返してきた〈状態の〉ものです。分かりますか?」の意味であると解説しています。
お父様のみ言は「子供とお母様の根っこは渋柿の根っこから切って取り返してきたものです」という意味ですが、この太田院長の解説では「その子供は渋柿の根っこから切って取り返してきたものです」という意味になっており、韓氏オモニを除外した言い回しに替え、韓氏オモニを渋柿の根っこと無関係なものにしています。
⑦無原罪なら、お一人でも真の愛があるはず
■太田院長は、お父様が語られた「お母様は真の愛と真の血統を持っていません」の部分について「血統の連結は、父一人でも、母一人でも生じることはありません。そのような理解に基づいて、誤解が生じないように補足して述べるならば、『お母様〈お一人で〉は真の愛と真の血統を持っていません』という意味で語っておられるみ言なのであり、『お母様は堕落人間の血統である』という意味なのではありません」と解説しています。
「お母様は真の愛と真の血統を持っていません」というお父様のみ言は、「お母様〈お一人で〉は真の愛と真の血統を持っていません」と、解釈すべきだというのです。「真の血統」部分について、苦し紛れの解釈をしている訳ですが、「真の愛」部分については、太田院長は何も解釈をしておらず、この部分については「お母様〈お一人で〉は真の愛を持っていません」という意味になります。太田院長が韓氏オモニが生まれながらの無原罪であると言うのなら、たとえ一人であっても真の愛を持っていなければならず、「韓氏オモニは一人では真の愛を持っていない」と言い切るのは矛盾しています。
⑧お父様はお一人で真の血統を持っておられないのか?
■太田院長は「『血統』は父と母の二人によってつながるものです。血統の連結は、父一人でも、母一人でも生じることはありません」、だから「お母様〈お一人で〉は真の血統を持っていません」と主張しています。であるならば、「お父様もお一人では真の血統を持っていません」ということになります。
しかし、メシヤが無原罪で誕生するということの意味は、メシヤが神様の血統を持って誕生するということ以外のどのような意味があるというのでしょうか。太田院長は「メシヤはお一人では真の血統を持っていません、お父様はお一人では真の血統を持っていません」と主張していることと同じです。
だから、韓氏オモニが生まれながらの無原罪であると言うのなら、「お母様は〈お一人で〉真の血統を持っています」という主張でなければおかしいことになります。「お母様〈お一人で〉は真の血統を持っていません」という太田院長の主張は矛盾しています。
(7)解釈はひとつだけ「韓氏オモニは無原罪の生まれではない」
■引用したお父様のみ言、「そういうふうにして、真の母の腹を通過して再び生まれてくるのです。これに、入ってくる時は左のほうから入ってくるのです。分かりましたか? なぜ左のほうから入るのかというと、お母様が左のほうだからです。入ってきてお母様の腹の中に入ったとしても、その入った子供とお母様の根っこは何かというと、渋柿の根っこから切って取り返してきたものです。分かりますか?
それが天の家庭に入るには、手続きをしないといけないのです。何の手続きかというと、愛の手続きです。だから、真のお母様の腹の中に入っていても、それは真のお父様の真の愛と真の血統にはまだつながっていないのです。お母様は真の愛と真の血統を持っていません。向こうのほうなのです。それは、新婦の立場で、新郎を迎えて一つになるということです。分かりましたか? 分かりましたか?」は、全く平易な言葉で語られており、その解釈が何通りも出来るようなものではありません。
「お母様が左のほうだからです」「お母様の根っこは何かというと、渋柿の根っこから切って取り返してきたものです」「子供とお母様は真の愛と真の血統を持っていません。向こうのほうなのです」とあり、「韓氏オモニは無原罪の生まれではない」という解釈しかあり得ません。太田院長は無理やりに正反対の解釈をするために、嘘と改竄のある複雑な解説をして、食口を騙しているのです。
(8)私の解釈も「お伺い書」の解釈と全く同じ
■太田院長はみ言を引用し「前述のとおり『お母様の根っこは何かというと、渋柿の根っこから切って取り返してきたものです。……お母様は真の愛と真の血統を持っていません』と語っておられます。これらの真のお父様の御言と、今回、真のお母様が語られた御言が食い違っているように思われるのですが、これらの内容をどのように理解すればよいのか、ここに謹んでお伺いをする次第であります」とお伺いを立てました。
私のみ言解釈は「お伺い書」のこの時のみ言解釈と全く同じです。にも係わらず、太田院長は以下のように、私のみ言解釈が間違いであり、恣意的であると繰り返し結論づけました。
□太田:まさに澤田氏が述べている上記の主張は、お父様の意図する内容と異なった「勝手な決めつけ」となっており、み言全体の主旨から大きくかけ離れています。
□太田:澤田氏の問題点は、お父様のこのみ言の部分が、「図-1」に基づきながら語っておられることを踏まえずに、自分勝手に解釈していることです。
□太田:それにもかかわらず、澤田地平氏は、お父様の書かれた「図-1」を完全に無視して読んでおり、しかも、文脈を無視してある一部分だけを切り取って、お父様が意図するみ言の意味とは全く異なった解釈をしているのです。
□太田:さらに、澤田氏が取りあげた「お母様は真の愛と真の血統を持っていません」の部分についても、澤田氏は恣意的な解釈をしています。
□太田:ところが、澤田氏は、引用した部分を、理解不足の上、自分勝手に読んで解釈をしており、お父様の意図とは異なった、自分たちの主張に都合良く、恣意的な解釈をしているものに過ぎません。
□太田:決して、澤田氏が批判するような、「文鮮明師は韓鶴子氏が神の血統に属する無原罪の娘として生まれたとは考えていないことが分かります」という意味なのではありません。
□太田:このように、澤田氏の引用の仕方は、恣意的で非常に問題の多いものと言わざるを得ません。
□太田:以上のように非原理集団に追従する澤田地平氏が、〝お母様批判〟のために述べた部分は、「図-1」の図解に基づかないで、澤田氏が恣意的に解釈しているものに過ぎません。
■長年み言を研究し、食口に教えを説いて来た人物が、なぜこれほどまでに変わり果てるものなのでしょうか。
(9)都合の悪いみ言を削除
■家庭連合は周藤健講師の米寿を記念するとして、2019年3月、「成約摂理解説」を出版しました。これは16万人訪韓修練会のみ言の集大成とのことで、上記引用されたみ言が収録され、それに関する解説が書かれています。この部分は太田院長が書いているはずです。
P.333にこのみ言が掲載されていますが「わかりましたか?なぜ左のほうから入るのかというと、お母様が左のほうだからです」が「…」で置きかえられるかたちで削除されています。それは「お母様が左のほうだからです」の「左」が「図−1」の左であると強弁してごまかそうとしても無理があると判断したからです。「なぜ<「図−1」の左>のほうから入るのかというと」まではいいとしても、「お母様が<「図−1」の左>のほうだからです」となれば、意味をなしません。
(10)「左」は「復帰の道」
■そして、P.332には「このようにして、復帰の道を左からとし、新しい出発の道を右からとすれば、まず左のほうから真の母の胎に入り、さらにアダムの骨髄に入って罪なき生命の種を受け、そして母の胎の右のほうに宿り」とあります。上に述べたように、太田院長は「左」の意味をサタン世界の「左」ではなく、図における「左」、すなわち単なる「左」の意味にしていました。
それにもかかわらず、この本では「左」と「右」に各々「復帰の道」「新しい出発の道」という抽象的概念を付与しています。私達にとって「左」は堕落世界であり、サタン世界を意味し、左のほうから入る道が「復帰の道」であることが自明の理であるにも係わらず、韓氏オモニが無原罪誕生であることを言うために、完全な嘘をついたということを自ら証明しています。
(11)消えた左から右への矢印
■P.332には図30が掲載されていますが、この図で真の父母を示すくびれ部分を堕落人間が通過することを示す矢印と線は上から下方向に書かれており、太田院長が解説した真の母の腹に左から入って右へ出るという矢印がなくなっています。左から入って右へ出るという説明はこの図ではできません。どうしてこのように変えたのでしょうか。あるいは変えることができるのでしょうか。それは、左から入って右へ出るという「図−1」を使った説明は初めから嘘だったからです。
(12)「女性と子女はまだ渋柿」
■P.331には「このようにして真の母の胎中に入ったとしても、母の胎の女性と子女はまだ渋柿であって、真の血統にはつながっておらず」とあります。お父様のみ言は「お母様の腹の中に入ったとしても、その入った子供とお母様の根っこは何かというと、渋柿の根っこから切って取り返してきたものです」となっています。
お父様は「子供とお母様の根っこは渋柿」と語っておられるのに、太田院長はこの部分を「女性と子女はまだ渋柿であって」と変えてしまっています。「お母様の根っこは渋柿」という重要なみ言を抹消し、分からなくしています。
■そして、お父様は重生されるために真の母の胎中に入る者を「全世界がここに入ってきて」とあるように、男性も女性も関係なく「全人類」として語っておられるにも係わらず、太田院長は「女性と子女はまだ渋柿であって」ということを言うために、この前段で「このようにして、すべての人類の女性と子女が真の母の胎中に帰ることになるのである」と述べ、真の母の胎中に入る者を「女性と子女」として解説しています。一カ所を捏造すれば、つじつまを合わせるために全体を変えなければならなくなるのです。
(13)人間失格
■このように、ひとたびみ言の改竄に手をつけたなら、その後つじつまを合わせるために、削除と改竄を繰り返し、時には元に戻してみたりと、至る所で何度も嘘をつかなければならなくなります。自分がお父様のみ言を引用して、韓氏オモニの無原罪誕生に疑義を呈したはずなのに、お金と地位の誘惑に負けて転んだ後は、その同じみ言を食口を騙す目的で正反対の内容に解釈し改竄しているのですから信仰者失格、それ以前に人間失格と言うべきです。
ユダは裏切りを悔いて銀貨30枚を神殿に投げ返しました。もし悔いてお金を返したくなったとして、6年が経過し、太田院長にはお金がどれだけ残っているのでしょうか。
(14)韓氏オモニはどのようにして血統転換できたのですか?
■P.218〜9には「もし、真のお母様が、御聖婚以前には『原罪』を持っておられ、〝サタンの血統〟であったとするならば、父は一人で産みかえることができないのにもかかわらず、真のお母様は、いつ、どのようにして〝血統転換〟されたのかが、永遠のなぞとなってしまわざるを得ない」と書いています。だから、韓氏オモニは生まれた時から無原罪でなければならないという論法です。
そこで、韓氏オモニは「私は血統転換、母胎からです」と語りました。それゆえに、韓氏オモニはいつ血統転換したのかという問いには、「胎中にいる時」という答えで異論はないと思います。では、どのようにして韓氏オモニは胎中で血統転換できたのかと問うならば、太田院長は何と答えるのでしょうか。
■太田院長にとって、韓氏オモニがどのようにして血統転換できたのかについては、なぞではないと思います。もし太田院長が私のこのブログ記事に反論することがあるのなら、その時には必ずこの問いに答えて下さるようにお願い致します。
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