鷲尾英一郎議員の旧民主党・民進党から現在の野党について語る。
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民進党解体時に希望の党にも立憲民主にも属さず無所属で出馬し、当選後も無所属で政治活動にあたっている鷲尾英一郎議員のホームページ上の発言がしばしば言論プラットフォーム.アゴラに掲載されている。
その内容は民進党時代の葛藤、分裂後の矛盾、野党としてあるべき姿など興味深い内容なのでまとめてみました。
目次
鷲尾英一郎プロフィール
民進党での内部対立を希望の党で再現するな
立憲主義を守ることと、憲法を守ることは違う
「無所属の会」は決して無所属ではない。民進党と名乗るべきだ
国会質問:野党は“テレビ映え”狙いの戦術を改めよ
歴史から学ぶ「テロ支援国家」再指定の意義
旧民主党が政権交代に至った国会対応
鷲尾英一郎プロフィール
鷲尾英一郎( わしお えいいちろう)
衆議院議員(無所属)。公認会計士、税理士、行政書士の資格を保有。2005年の衆院選で初当選し野田第3次改造内閣で農林水産大臣政務官、民進党青年局長及び新潟県連代表を務めた。
生年月日: 1977年1月3日
生まれ: 新潟県 新潟市
鷲尾英一郎 – Wikipedia
鷲尾英一郎公式ホームページ
アゴラ 言論プラットフォーム
アゴラ(Agora)は、主に政治や経済に関連した記事を扱う日本のウェブサイトである。運営者は株式会社アゴラ研究所(2011-12-1まで株式会社アゴラブックス)。主宰は同研究所代表取締役の池田信夫。編集長は新田哲史。
鷲尾英一郎の日記
民進党での内部対立を希望の党で再現するな
2017年11月10日
ついこないだまで一緒に仕事をしていた仲間がいると思うと、批判の筆も鈍るものだが、仲間の為と思って批判するのも筋と考えることにした。
安保法制について容認する、しないは希望の党に入党する一番のポイントだったはずだ。
私は、以前からプラカードを掲げてまで安保反対を叫ぶ民進党議員団に違和感を感じて仕方なかったが、率先して反対した人たちが率先して希望の党に入党することにもっと強い違和感を感じた。他方、小池さんの仕掛けた排除も一定程度仕方ないと思ったことも事実で、民進党はどうしようもないほど内部での路線対立に収拾つかなくなっていた。余程肚が座っていないとこれを収めることは出来なかったろうし、実際収まらなかったのである。
だから、共産党と一線を画し、安保法制を認め、護憲ではないという旗印で選挙を戦い、2大政党を目指す、というのは極めて明確な方針だったと思う。小池さんの言葉づかいによって支持率は急落したが、民進党内の矛盾を小池さんの独裁とも言える求心力をもって収拾するという方法は一つの考え方だ。
しかし、今起こっていることは、民進党内部での路線対立が希望の党でそのまま再現されているようだ。これでは希望の党を設立した人たちや、民進党内部での路線対立解消を願って合流した人たち、明確な旗印で戦った人たちが浮かばれない。小池さんの求心力が落ちたからと言って選挙で戦った旗を下ろしても良いことはないと思う。小池さんの求心力を宛にして合流した人たちならば当然だと思うが、政治の世界は本当に何でもありなのだろうか。
否、有権者は見ているはずだ。
もはや民進党での内部対立を希望の党で再現すべきではない。民進党の中にいた皆さんが一番分かっているはずだ。
否、一部の人たち?は自らの知性?を頼りに希望の党小池代表の踏み絵を換骨奪胎して、自己正当化できると本気で信じているのかもしれない。
当事者はそれでいいと思っているかもしれないが、私は忘れないし、私はしっかりと見続ける。http://agora-web.jp/archives/2029421.html
鷲尾議員が言うように有権者はしっかりと見ています。報道では排除発言が大きく取り上げられましたが、私も小池さんの発言よりも意に反する踏み絵を踏んだことの要因が大きいと今でも思っています。小池さんも一線を退き、立ち上げメンバーよりも合流メンバーがはばを利かす状況に支持率はさらに急降下が現在です。
立憲主義を守ることと、憲法を守ることは違う
2017年11月13日
立憲民主党は護憲政党の様に思われる向きがあるが、立憲主義を標榜する以上、憲法改正は論理的に必然となることから、護憲を期待した支援者や心底憲法を変えたくない議員は深刻な矛盾を抱えることになるだろう。
もしこの矛盾に目をつぶれば、護憲という言葉が陳腐化したから、立憲主義という言葉を使用しているだけ、という愚にもつかない馬脚を現すことになる。その場合、立憲主義という用語も遂に陳腐化して、憲法の趣旨は悉く逸脱される結果につながるから、もし後者を不作為であっても選ぶとすれば、立憲民主党の罪は一段と重くなる。
今はまだ世間の支持がついて回っているけれども、その矛盾をどう捌くのか注目して見ている。
なぜなら、立憲主義違反の一番は憲法9条に現れているからだ。
内閣法制局という行政府の一機関による解釈改憲の淵源は、自衛隊を合憲としたことにある。戦後、内閣は政治判断として自衛隊を合憲とし、当然ながら内閣法制局は内閣の政治判断に従って合憲の理屈を考えた。個別的自衛権、集団的自衛権の区別やその運用等については、単に内閣が解釈で決定しているに過ぎない。
同様に、先般の安保法制の審議において、憲法解釈を変えるのは内閣の判断だから、集団的自衛権の一部を内閣が認めたとしても違憲にはならない。ご承知の様に内閣法制局は当然ながら合憲の理屈を考えるのみである。もちろん、立憲主義違反にもならない。
もし、安保法制での憲法解釈の見直しを立憲主義違反と言うなら(野党幹部は実際に言った)、自衛隊の存在を認めた解釈自体も立憲主義違反と言わねばならない。むしろ自衛隊を認めた解釈改憲の方が解釈の飛躍という意味で、その度合いが大きいことは明白である。
すべての矛盾の源は、憲法9条を常識的に読めば自衛隊の存在は違憲という結論になるところにある。
立憲主義とは、憲法の文言に従って内閣が法制度を構築運用することだから、もし、「内閣に勝手な解釈改憲をさせるな!」「立憲主義を守れ!」と言うなら、時の政府に勝手な解釈をさせない様に、憲法自体に解釈の余地を生まない文言を入れるのが論理必然であり、国家の制度設計を使命とする立法府としては、憲法の解釈余地を狭める憲法改正を促してこそ、国民に貢献すると言える。内閣によるお手盛りの解釈を許さない為の憲法の条文が必要だ。
つまり、立憲主義を守ろうとすれば、憲法改正を促す必要があるのだ。
立憲主義を標榜すればするほど、憲法9条改正を促さなければならないと言う論理に、立憲民主党がどう対処するのかしっかり見ていきたい。彼らが時の政府の恣意的解釈を批判すればするほど、憲法改正は急務であることを主張していることと同義だ。http://agora-web.jp/archives/2029464-3.html
立憲主義とは政府の統治を憲法に基づき行う原理で、政府の権威や合法性が憲法の制限下に置かれていることに依拠するという考え方。「 憲法に立脚する」という意味合いである。つまり、憲法に基づいた政治を行うことである。はたして今の立憲民主党が立憲主義の理念にのっとっているかは私は疑問に思う。
「無所属の会」は決して無所属ではない。民進党と名乗るべきだ
2017年11月17日
先般行われた総選挙で、私は公示日に離党届けにサインし、無所属で戦った。その私が奇妙と感じざるを得ない国会の会派「無所属の会」について申し上げたい。
私も、選挙後に無所属で塊をつくる、としてお誘いを受けたが即座にお断り申し上げた。理由としては、「無所属の会」は無所属で出馬したけれども民進党に籍のある議員の会派であり、色々な思惑が隠されていると感じたからだ。ちなみに岡田氏は他の野党との結節点となることを明言している。私は事前にそういう説明は受けていない。
しかも、無所属の会の中には、民進党の役職を受けたメンバーもいる。今後も民進党から政党交付金を受け取って政治活動をされると聞いた。
選挙に際して退路を断つと主張し、無所属で出馬した者が、実は民進党の党籍を持ったまま民進党からお金を受け取って活動することを、どれだけの有権者が正しく理解できるであろうか。
確かに民進党員であるから、論理的には政党交付金をもらって活動してもよいのかもしれない。しかし、民進党の政党交付金で政治活動し、民進党の役職を受けているメンバーが会派をつくっているのであれば、会派の名称は「無所属の会」ではなく、まさに「民進党」がふさわしいではないか。
私は完全に無所属である。無所属の会と誤認されるのは正直嫌だ。もし無所属と敢えて名乗っているとしたら、それは有権者に対して説明が必要だ。説明を敢えてしないとしたら騙しになりかねない。もちろん、無所属で出馬しても民進党に戻って構わないという民意もあるだろう。ただ私は、退路を断って無所属で戦うと訴えた以上、民進党員のまま民進党のお金で政治活動をしながら、表面上無所属と取り繕うのは、余りにも無理がある。
ここで、私が離党した経緯についても触れたい。総選挙に無所属で出馬したのは、もちろん希望の党から「排除」されたのではなく、新潟5区の補欠選挙で候補者擁立の責任者であったからだ。
(詳しくはこちらをお読みください。「無所属での立候補。-鷲尾英一郎の日記」)
解散当日、民進党両院議員総会で前原提案は熱狂的な拍手をもって迎えられていた。その後の記者会見でも総選挙後に議論という留保はあったにせよ、参議院、地方組織を希望の党へ合流させることを多分に含んでいた。そのような前原提案に対して、熱狂の中、私は憮然としたまま腕組みをして拍手承認することを拒否したひとりだ。党の決定に敢えて従わない以上、離党届けを出す以外の選択肢はなかった。巷間言われていることと異なり、前原提案は決して満場一致ではなかったのだ。その後、無所属で立候補する公示日までの間に、様々な圧力を受けたことも指摘しておきたい。それに屈さなかったことも。だからこそ今、完全無所属でいる。
私は寡聞にして無所属の会の方々が離党届を出したことを聞かない(菊田真紀子議員を除く)。無所属の会のメンバーが、なぜ敢えて誤解を与えかねない「無所属の会」という名称を使うのか?隠された意図は何なのか?
無所属の会などと名乗らず、会派の名称を堂々と「民進党」に変更し、有権者と向き合うことが誠実な態度であると考える。http://agora-web.jp/archives/2029536.html
当然、無所属で出馬するからには離党して除籍をしていると思うのが普通だと思う。おそらく多くの人がそう思っていたに違いない。
民進党離脱の後、潔く無所属で出馬で誰の力も借りずに自身の力で勝ち上がるという決意に多くの支持者が胸を打たれ支持したでしょう。
現に私も希望の党に流れ込んだ者たちより気骨があると思っていましたから。
しかし、党籍を残し資金を受け政治活動するのであれば鷲尾議員の言う通りそれは「民進党」ではないかと思う。
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国会質問:野党は“テレビ映え”狙いの戦術を改めよ
2017年11月23日
与野党の時間配分について色々な議論がなされている。
結論から言えば、与党は内閣が提出する法案の事前審査を行っているから、国会は与党審査終了後の法案について議論を行うことになる以上、野党に質疑時間が多く配分されるのは当然だ。
しかし、与党からは質疑時間の配分を与党により多くすべき、という強気の議論がなされている。今般の総選挙の結果が与党を強気にさせているし、それでも世間の与党支持率が下がらないことを見ると、有権者は従来型の野党の質疑に余り価値を見出だしていない様だ。
これをきっかけに、野党の国会戦略、具体的には国対戦術は根本的に改めるべきだ。
特に、スキャンダル追及ばかり行い、重要な問題を議論せず、政府の揚げ足を取っているだけというイメージは悪い。野党幹部が思っているより余程、野党に染み付いて離れないイメージである。同時に、一部の与野党対決法案では、野党はプラカードを掲げ、バリケードを築いて深夜まで国会を開かせるという国対戦術がテレビで中継される。これでは、たとえ与野党が合意する法案が約8割と言ってみても、全く訴求力がない。
実際、予算委員会での質疑者は必ず激しく追及する立ち居振舞いを求められる。建設的で穏当な質問はむしろ野党内では忌避され、テレビ中継が入る質疑であればなおさらその傾向は強い。
野党幹部は、質疑の内容如何よりも、ワイドショーでの視聴率や放映時間を基準とすることが多い。他方、新人議員はテレビ中継に出れば地元で活動していると認められるから、積極的に、より激しく追及の技を磨くことになる。
けれども、私の個人的感想としては、それでテレビ中継に出たとしても、果たして見込んだ結果が伴うかは疑問だ。それで野党の支持率は上がらないばかりか、与党の支持率は下がったとしても一時のこと。そのうち与党の支持率は回復しても、野党は揚げ足を取ってスキャンダルを追及していたというイメージだけが国民に残ることになる。
民進党時代は変わらなかったが、果たして新党がどのような国対戦術を取るのか本当に期待して見ている。もうこれ以上同じことを繰り返して頂きたくない。ここまで結果が出ていても野党国対戦術は変わらないのだろうか、、、、、。
野党幹部の間には、安倍政権ではどうせ色々な問題が出てくるはず、という根拠無き楽観論が蔓延しているだろうが、不都合な真実から目を背けては党勢拡大は望めない。
野党の質問が国民に貢献しているとの実感があれば、与党を強気にさせることはあり得ない。過去の有事法制制定時における当時の民主党の対応を思い出してほしい。そこから政権交代への道筋が始まったと考えている。http://agora-web.jp/archives/2029654.html
野党の本文は与党のあげ足を取る事であるのか?スキャンダルを探し疑惑を突き付け失脚を狙うことだろうか?違いますよね。与党には与党の考え与党には野党の考えがありそこを論争でお互いの意見をぶつけ法案を審議していくことが国会ではないでしょうか?ですから、これは与党にも言えますが、政治の本文を忘れ国会がワイドショー的なものになっていることが歯痒いかぎりです。
歴史から学ぶ「テロ支援国家」再指定の意義
2017年11月25日
時すでに遅きに失しているかもしれない。米国が2008年に北朝鮮に対するテロ支援国家指定解除を行ってから、ようやく再指定となったが、失われた時間は大きい。
この間、北朝鮮は核開発を止めなかったし、米国をもずっと欺いて来たのだから、国としての覚悟が違うと言うべきか。
北朝鮮の覚悟に対して国際社会がどこまでの覚悟を示せるかという段階に既に入っているのではないか。
北朝鮮の国家としての意思、つまり独裁者の意思を分析することは幾らでも出来るだろう。「北は本気で攻める積もりはない」「南北朝鮮統一を狙っていて対外的野心はない」「米国もミサイル開発をしているから北が同じことをやって何が悪い」「核開発をしたとしても自国の防衛が目的だ」などと分析して見せても、北朝鮮はこれからも覚悟を示し続けるだろう。
こんなときこそ、歴史を紐といて考えなければならない。
第2次世界大戦の始まる前、ナチスドイツは政権を取ると再軍備と徴兵制を復活した。たとえヴェルサイユ条約違反だとしても、自国防衛の為となれば、当然の措置だと周辺国も納得せざるを得なかった。続いて、非武装地帯とされたラインラントに進駐した。
さすがに度重なる違反に対して、英仏も警戒を抱かないわけではなかったが、両国民の間には平和主義が蔓延しており、ヒトラーは戦争を企てている訳ではない、自国防衛の為には当然だという論調も手伝って、ヒトラーの行動を認めざるを得なかった。さらにはオーストリア併合については同一民族だから、という理由で干渉しなかった。
さすがにチェコスロバキアのズデーテン地方の併合に当たっては、衝撃が走った。しかし当時のイギリスチェンバレン内閣は宥和政策に出た。ヨーロッパは平和が保たれたとしてチェンバレンは拍手喝采を受けたが、チェコスロバキアの代表はミュンヘン会議にも呼ばれず犠牲となったのである。
その結果がどうであったか?
ズデーテン地方にはマジノ線に匹敵する要塞線と軍需工場であるスコダ社があったが、ヒトラーはそれらを奪い、着々と戦争準備を進めて、チャーチル首相が批判したように、ついに「不必要な戦争」を起こすに至るのである。
宥和政策をとるイギリス政府に対して、チャーチルは常にナチスドイツを叩くべきだ、と主張したが、残念ながら受け入れる者はなかった。
その後の歴史こそがチャーチルの評価する所を変えたのである。
北朝鮮が覚悟を示し続けるならば、私たちも覚悟を持たなければならない。私たちは、これからも、これまで以上の脅威にさらされると考えるべきだ。http://agora-web.jp/archives/2029690.html
これは北朝鮮と周辺国とは覚悟の度合いが違います。北朝鮮はまさしく国家存亡を背負って命がけの日々を送っているでしょう。これに対し隣国の韓国中国はなにか今一つ煮え切らない態度で、日本の態度も異を唱えるばかりである。唯一本気なのはアメリカだけではないかと思う時がしばしばある。ミサイルが発射されず戦争が起こらず解決できるのであればそれにまさる事はない。拉致問題に対しても被害者家族には時間がない人もいる。どうか歴史に学び一日も早い解決を望みます。
旧民主党が政権交代に至った国会対応
2017年11月27日
今では考えられないことだが、2003年、旧民主党はそれまでタブーとされていた有事法制の法案に、与党とともに賛成し、その後の国民保護法制定に大きく貢献した。まさにこの国会対応を境に2大政党へ道を大きく踏み出したと確信している。
当時は北朝鮮の不審船やテロ活動の脅威があり、日米同盟のガイドラインも冷戦後の対応を踏まえて変質していた。日本の求められる役割が大きく変わり、有事法制制定の機運はかつてないほど高まっていた。
翻って今や、中国の脅威や米国の東アジアでの影響力の低下まで加わっている。2大政党を目指すならばどういう対応が求められるか、野党として深く考えねばならない。
そうでなければ、政権交代の芽すら完全に消えてなくなってしまうだろう。と、結論を先走ったが、平和安全法制や、組織犯罪処罰法(共謀罪法案)の審議に際して、民進党は過去を忘れたかの様に反対することに終始した。
与野党対決法案の審議に際しては、大きく分けて2つの対応が考えられる。
ひとつは、とにかく他の野党と共闘して反対し審議日程を引き延ばして、時間切れ廃案を目指す対応。他方、とにかく反対では与党に数で押しきられるから、修正協議に持ち込んで出来るだけ野党の意見を法案に反映させるという対応。面白いことに2つの立場の支持者は明確に分かれる傾向にある。
前者の対応を支持するのは、民進党内の左派、その支持者、あるいは社民党幹部と言った人たちで、もっと華々しく反対してくれ!という声を聞いた。他方、後者の対応を支持するのは民進党内の保守系だ。少しでも前進させ現実に責任を持ちたいとする心構えからなのだろう。
特に2015年以降の国会対応は、他の野党との連携を重んじる余り、対応が硬直化した感がある。もちろん、選挙は大事だが目先の選挙を目当てとする対応がどういう結果を生むか。国民のニーズや関心に建設的に対応することが何を生むか。まさに過去の国会対応に学ぶべきではないか。http://agora-web.jp/archives/2029718.html
安倍一強が続く現状では目先の選挙や評判落としに走りたい気持ちはわかりますが、その姿があからさまに見えてしまうと国民も興覚めしてしまいますよね。少なくともあの政権交代時には自民党の失脚もあったが、民主党にも強いものが感じられたからあの逆転劇が生まれたと思います。私自身も一強政治の危うさは感じていますが、これだけゴタゴタが続く野党に二大政党の一党を担える党があるかは疑問であります。いまは与党のあげ足をとり政権批判にはしるより、政党及び自身の理念に愚直に取り組み支持を得ることの方が先決ではなかろうか?