これからは好き放題書いちゃるけえ!

※今回は言葉を選ばず、悪口雑言ゴメン‼
雑談代わりに好き放題かかせてもらうけん!殆ど流し読みで👍つければいいと思ってる意識低い『ff』はいらねえし、そんなヤツは読むな!

マラソンでいえばやっとゴールのある競技場が見えてきた。最後のラストスパートが効くようにまだ体力温存---物書きの場合は資料や証言、インタビューのまとめ。
これがないとスパートが出来ない。まあ、凡庸な斉●とか●宮みてえな馬鹿ライターは知らんけん。
いろんな妨害もあるんよ、正直言って。今はねえけどさ。「物書けんようにするよ」とか「死ね!」は常套句。無言電話や罵声電話もあるけど、絶対逃がさねえよ。
出るまで何百回もかけ直すよ。番号変えても記録は残るけん。警視庁の横●警部にひとことで、即分かる。イタ電したヤツの会社にクレームを何度も何度も繰り返す。
いい例を言ったろか?
10年前の芦原会館、名古屋支部所属の名古屋大学付属病院勤務の平山だ。
ついでに芦原英典には謎の集団から電話電話電話--鬱病で引きこもり。太鼓持ちの西山がケンカを売ってきた。
「OK、ただ試合じゃねえぞ。ヤルかヤラレルか、ドスでもワッパでも、何人でも助太刀連れて来いや」
俺の悪友で極真空手芦原道場黒帯、大谷は「俺がやる」と言うし、英典には倅の大志が「公開ケンカ」を申し出た。元本部師範代の原田寛。コイツ英典母子の謀略でクビになったのに「恨みは私もあるけど、師匠の子息なので許して下さい」
何甘いこと言ってんだい原田さん。俺には芦原英幸は『神の如き存在』だ。だが息子も女房も関係ねえべ!
原田さん、そんなええかっこしい役やって、アンタを土下座させて頭を蹴りながら脅しまくった石井和義には死ぬまで服従かい?

はっきり言います。
小島は過去、『義』や『筋」の通らぬことはしていません。相手が『仁義』を外すならば徹底的に潰します。
大道塾の東孝の件。「再試合の再考」「防具の向上」「支部長との対話」「機関紙制作に対する最低限の経費支払要求」---
支部長の長田や比嘉、加藤から頭を下げられ私が「憎まれ役」を演じて東に申し出た。
なのに、いつしか東は全国に「小島は精神異常者だから相手にするな!相手をしたら破門」の回状を振り撒いた。それでも何人か東の知人が和解に尽力してくれた。すると東はみんなに言った。
「小島がこの前、ここに来て土下座して勘弁してくれと泣いた。俺はもう遅いと返した」
狂ったか! いやキチガイだ、あの男、危ねえぞ。嘘八百を平気で言う。壮年部師範とかの東大教授は東大教授室まで乗り込んだ俺に震えながら直接言った。
「妄想が時たま出るんです。小島さんへの中傷は誰でもない、東塾長の言葉です」
「統合失調症じゃないの?」
「いかないんです精神病院は嫌だと。落ち着いたら私も辞めます」
と言いながら東大の教授先生、文武両道の名声が欲しいのか?まだノコノコいるそうじゃない。

東の妄言に何の疑問を抱かず東の味方に着いたのが三瓶啓二だ。
三瓶と俺の関係が如何に親密だったか?今は亡き大山倍達総裁始め誰もが知っている。ただ1994年の総裁の死後の後継者問題から俺が松井章圭を支持したことが決定的になった。俺は総裁に呼ばれて松井を頼むと言われた。松井を支持するといっても三瓶先輩と敵にするつもりは全くなかった。人間関係はそんな簡単に切ったり貼ったり出来るものではない。
あれ以来、どこからともなく入ってくる根も葉もない誹謗中傷の発信源は三瓶だった。後年、廣重師範が事細かく教えてくれた。
「俺に用事があるなら新極真会の大会の支部長控室に来い。何十人もの支部長はオマエに文句あるようだ。来られるものなら来い」
行くと言うと連絡は途絶えた。しつこく電話し続けると、三瓶の奥様が半狂乱に出た。
「ウチの旦那と館長の娘の間に子供が出来たのはデマよ!」すると三瓶がようやく電話に出た。
「北新宿の住吉会で有名な阿久津兄弟がいるのを知ってるな。オマエを阿久津兄弟が海水浴に誘いに行くってさ」
私は言った。
「泳げなければコンクリの浮き輪があるっていうんでしょうね。そんなヤクザの文句を言うならそのままマスコミの、『週刊現代』に聞いてもらいますわ」
三瓶もバカなヘタレでした。さすがに早稲田の恥、今は亡き夜間の二文--東孝と同類やないか。最後には反社会勢力を脅しに使ってきました。
とはいえ、それは新極真会にはびこる宿痾であり、大体の幹部や会員は純粋です。
特に緑健児代表と小井泰三事務局長の二人三脚は素晴らしいと思う限りです。
蛇足ながら、私=Mugenと新極真会の間に積み重なった誤解をするためにも、是非とも緑代表と私の対談、またルポをやりたいと思っています。既に15年前、小井さんと前向きな話を実現したいと話し合いました。小井さんは快く話を聞いてくれました。改めて実現したいと思う次第です。

こんな俺の過去は全て私の『人間交遊録』で描き尽くすつもりです。

何を言いたいのか分からなくなったが、少し悪い例を書いてしまったが殆どの場合、俺は電話で話すことで、より親しくなれました。今のFacebook友達も軽く10人は下りません。社交辞令の👍なんかいらねえよと言いたい。

ということで、年齢的に「1日執筆、1日休息」
明日から執筆のランニングハイに乗じて書くぞ!
ちなみに、関係者全員は実名で書くよ!
渡辺正行
長田賢治
大谷久之
大塚剛
清原明夫
大木金太郎
柳川魏志
梁川(柳川)智明
町井久之
2丁拳銃の唐田
村田勝志
今東光
新間寿
佐山聡
ユセフトルコ
極真会館過去10回王者
アントニオ猪木

みーんな話を聞いたし名前を出すよ!
あっ浜井識安さん、電話下さい。くれないと、あの話には証人がいるから書くよ!

最後に、梶原一騎はなんといっても『漢』でした。添野義二も『サムライ』だった。村上竜司は村上竜司のまんまだった。
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