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雑記

ダイヤモンド・プリンセス問題で国を批判した岩田健太郎教授とは

新型コロナウイルスの感染者を多く出し、横浜港に停泊・隔離されていた豪華客船「ダイヤモンド・プリンセス」は、2020年3月1日に最後の乗員130人が下船し、これで乗客乗員全3,711人が完全にこの船から離れることができました(*1)。

この騒動では、岩田健太郎氏という医師が、2月18日にダイヤモンド・プリンセスに乗船し、厚生労働省によるずさんな感染症対策を目の当たりにして、ユーチューブで告発しました。
この問題はその後、「政治問題」と「国際問題」に発展しました。

岩田氏のこの対応には、賛辞と非難の両方が噴出しました。
岩田氏は、単なる「お騒がせ屋」なのでしょうか、それとも「勇気ある科学者」なのでしょうか。
公式情報と信頼できる報道機関の情報だけを頼りに、岩田氏の「人物像」を追いました。

なお、予め断っておきますが、この記事を執筆した著者・サイト管理者は岩田氏と何ら利害関係はなく、また本記事内に表記する一部の情報源表記にはAmazonのURLがございますが、広告リンクではございません。

*1:2020/3/1 日本経済新聞 クルーズ船から全員の下船完了 当初は3711人乗船
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO56250700R00C20A3CZ8000/

岩田氏の今回の行動

岩田氏の今回の行動を紹介します。
感染症対策のプロであり、神戸大学医学部教授という肩書を持つ医師の岩田氏は、横浜港に停泊中のダイヤモンド・プリンセスの船内の人から「助けてほしい」という連絡を受け、厚労省から要請されていないにも関わらず、知り合いの厚労省の職員に直談判して、なんとか船内に入りました。
岩田氏の入船は、非合法ではありませんが、正規ルートともいえません。

岩田氏は2月18日午後に入船し、厚労省の官僚たちの感染症対策のずさんさに驚きます。岩田氏が官僚に改善を求めると、厚労省は岩田氏に下船を命じ、岩田氏は同日夕には下船しました。船内にいたのは2時間ほどとされています。
岩田氏は下船後すぐに厚労省の対応を批判する動画を撮影し、ユーチューブで配信しました。
その直後、イギリスの国営放送BBCが岩田氏を取材するなどして、「国際問題」へと発展しました。また、日本政府の官房長官が急遽、厚労省の対応は有効に行なわれていると説明に追われるなど「政治問題」にもなりました。
官房長官は、政府として正式に岩田氏に下船を命じたことを認めました。
政府や厚生労働省からすると、岩田氏が「お騒がせ医師」だったことは明白です。

岩田氏の医師としての略歴

岩田氏は、神戸大学医学部の教授です。肩書の正式名称は「神戸大学大学院医学研究科感染治療学分野教授」と「神戸大学病院感染症内科教授」です。
国立大医学部の教授が、研究室の肩書と大学病院の肩書の両方を持っていることは珍しくありません。

神戸大学病院の公式ホームページで岩田氏は、自分のことを「感染症(対策)のプロ」と紹介しています(*2)。
岩田氏が感染症対策のプロになるまでの経緯は、ドラマチックです。

*2:神戸大学病院感染症内科 教授 ご挨拶
http://www.med.kobe-u.ac.jp/ke2bai/director.html

小さいころ「世界で通用する人」を目指す

地方の出身者は、田舎の穏やかな生活に満足する人と、閉塞感に嫌気をさして外に出ていく人にわかれると思います。岩田氏は、完全に後者です。

岩田氏は日本医師会のインタビューで、「島根という場所で育ったせいか、小さいころから『世界で通用する人間になりたい』と思っていた」と話しています(*3)。
岩田氏は有言実行の人といえ、医学部生だったころも、医者になってからも世界に飛び出し、研鑽を積みました。ダイヤモンド・プリンセスの件でBBCから取材を受けたとき、岩田氏は流暢な英語で、船内の様子を事細かに説明しています(*4)。

*3:DOCTORASE 世界のどこに行っても通用する人間でありたい 岩田健太郎先生
https://www.med.or.jp/doctor-ase/vol3/3page_06.html
*4:感染症の専門家、客船内の感染対策を批判 BBCが独占取材
https://www.youtube.com/watch?v=NksCM2Kiwfw&t=12s

島根で医学を学び、世界を知り、沖縄で感染症対策に出会う

岩田氏は地元の島根医科大学(現、島根大学医学部)に進みます。
世界に憧れた岩田氏は、イギリスのマンチェスター大学に手紙を送り、語学講座で学ぶ許可を得ます。それで大学の1年目が終わってから1年間、留学することになりました。

マンチェスター大学には、岩田氏が日本の大学では見たことがない、真剣に学ぶ学生が多数いました。岩田氏は、図書館で必死の形相で勉強しているアフリカ系の留学生に「一生懸命勉強するのはなぜですか」と尋ねました。
その留学生は教育関連の官僚で、自国ではエイズなどの感染症で亡くなる人が多くいる、と説明しました。そして「国民の識字率を上げて健康教育を広めるために、つまり国を救うために勉強している」と答えました。
岩田氏は大きな石で頭を殴られたようなショックを受けました(*5)。そのとき以来、公共のために尽くすとはどういうことなのか、を考えるようになりました。

島根医科大学に戻った岩田氏は、解剖学や微生物学などの基礎医学や、公衆衛生に興味を持ちます。岩田氏は学生時代、イギリス留学の他に、フィリピンに行って貧困地域の医療や感染症対策を見ていました。

こうした体験から、若いころの岩田氏は、患者を診る臨床医学には興味を持っていませんでした。
しかし厚生労働省は、医師を育成する仕組みとして、医師免許を取得したばかりのすべての医師に、2年以上の臨床医学の研修を課しています。これを医師臨床研修制度といいます(*6)。
岩田氏も基礎医学の道に進む前に、臨床の現場で、つまり普通の病院で患者を診なければなりませんでした。

岩田氏は、1997年に大学を卒業して医師になり、沖縄県立中部病院に就職します。
海外に早く出たかった岩田氏は「手っ取り早く臨床を学ぼう」と考えて、日本一研修医に厳しいといわれている同院を選びました。厳しいところで習えば、短期間で臨床の基礎を獲得でき、基礎医学に進むことができる、と考えたのでしょう。
苦手なことを済ませるとき、楽で簡単な方法を選ぶ人もいますが、岩田氏はそうではなく、あえて困難で過酷な道を選ぶタイプの人のようです。

岩田氏は中部病院で医師臨床研修を受けますが「2年勉強したくらいでモノになるはず」がありませんでした(*3)。岩田氏は研修期間が終わっても、中部病院で臨床の仕事を続けることにしました。
そのなかで感染症対策と出会います。
岩田氏は当時を次のように振り返っています。

「中部病院には当時では珍しく感染症科があり、優れた医療を行っていて、ここで感染症の臨床の基本を叩きこまれました」(*3)
「中部病院で感染症治療のフィロソフィー(哲学)に触れた」(*5)

岩田氏がここまで感銘を受けたのは当然で、中部病院は現在でも、日本感染症学会が認定する研修施設になっています(*7、8)。

*5:Whyt Runner アフリカからの留学生の言葉で「井の中の蛙」だったと知った
https://www.whytlink.com/whytrunner/wr14/index.html
*6:厚生労働省 医師臨床研修制度の変遷
https://www.mhlw.go.jp/topics/bukyoku/isei/rinsyo/hensen/
*7:一般社団法人 日本感染症学会 日本感染症学会認定研修施設名一覧
http://www.kansensho.or.jp/modules/senmoni/index.php?content_id=24
*8:沖縄県立中部病院
https://chubuweb.hosp.pref.okinawa.jp/departments/infectdis.html

アメリカと中国を経て、日本の総合病院から教授へ

ただ、岩田氏にとって沖縄県立中部病院での仕事は「しんどい」ものでした(*5)。そこで、「つらい状況から脱出したい」一心で、アメリカでの研修に応募します。審査に合格して、ニューヨークで研修医として働くチャンスを得ました。
ニューヨークで5年間の研修を受け、岩田氏は次に中国・北京の診療所で働きます。

そしてとうとう、日本に戻ってきます。マスコミでたびたび紹介される千葉県鴨川市の亀田総合病院に2004年に入職し、感染症科の立ち上げに携わりました(*9)。岩田氏は、亀田総合病院がつくった「総合診療・感染症科マニュアル」(医学書院)の監修を務めていて、本書は医師から高い評価を得ています(*10)。
そして2008年に神戸大学医学部の教授に就任し、現在に至ります。

*9:亀田総合病院
http://www.kameda.com/ja/general/medi_services/treatment/index_55.html
*10:総合診療・感染症科マニュアル
https://www.amazon.co.jp/%E7%B7%8F%E5%90%88%E8%A8%BA%E7%99%82%E3%83%BB%E6%84%9F%E6%9F%93%E7%97%87%E7%A7%91%E3%83%9E%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%82%A2%E3%83%AB-%E5%85%AB%E9%87%8D%E6%A8%AB-%E7%89%A7%E4%BA%BA/dp/4260006614

「人のために尽くす」考えを持った人

岩田氏のダイヤモンド・プリンセスへの入船とその後のユーチューブ告発は、違法ではないものの、「強引」であり「突拍子もないこと」という印象を持つ人は少なくないでしょう。

厚生労働省は、国民の健康と命を預かる国内最高の機関として、岩田氏ではない別の感染症対策の専門家を雇い、ダイヤモンド・プリンセスに派遣しています(*11)。当然ですが国内には、感染症対策のプロが、岩田氏以外にもたくさんいます。
ところが岩田氏は、独自の判断で、厚労省の対応では不十分だと考えて、今回の行動を起こしています。

「突拍子もないこと」または「強引」という評価は、よい意味でも悪い意味でも使うことができますが、岩田氏については、よい意味に用いてもよいのではないでしょうか。
少し長くなりますが、下の文章を紹介します。

私たちはもちろん、患者さんを診療する主治医としての役割を持っています。ただ、それだけではなく、他の医療者達の診療のお手伝いをするのも大きな仕事です。一般の開業医さんのところでも、長期療養施設でも、急性期病院でも、大学病院でも、内科でも外科でも、小児科でも産婦人科でも、あるいはもっと特殊な専門領域でも、どこでも感染症はついて回ります。私たちは特殊な機械を使うノウハウも、難しい手術を行う神の手(ゴッドハンド)も持っていません。ただ、他の医師たちが感染症に悩むことなく自分たちの専門能力を発揮できるよう、影でお手伝いするのが仕事です。

これは、神戸大学病院の公式サイトに載っている、岩田氏の感染症内科教授としての正式な「ご挨拶」の文章です(*12)。
この文章はダイヤモンド・プリンセス問題のはるか前に書かれたものなので、岩田氏は普段からこのようなことを考えているといえます。
「このようなこと」とは次のことです。

・感染症に悩む、一般の開業医、長期療養施設の医師、急性期病院の医師、大学病院の医師を影で手伝う
・感染症対策のプロが、それらの医師を手伝うことで、それらの医師が専門能力を発揮できる

この言葉は、今回のダイヤモンド・プリンセス問題での岩田氏の行動の動機と、驚くほど一致します。
岩田氏は、船内で感染が拡大していることを知り、船のなかの医師が困っていると想像したのでしょう。岩田氏は、乗客乗員だけでなく、困っている医師を助けるためにも、半ば強引にダイヤモンド・プリンセスに入っていった、と考えることができます。
岩田氏の行動は、「人のために尽くす」行動といえます。

*11:厚生労働省 クルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス号」内の感染制御策について
https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/newpage_09646.html
*12:神戸大学病院感染症内科 教授 ご挨拶(*2と同様)
http://www.med.kobe-u.ac.jp/ke2bai/director.html

確固たる批判精神を持った人

神戸大学病院の公式サイトの「ご挨拶」には、もうひとつ注目したい文章があります。こちらも全文引用します(*12)。

これまで、日本では患者さんをみる感染症のプロがあまりいないのが問題でした。感染症の診断・治療が日本の医療現場で必ずしも妥当に行われてこなかった歴史もあります。先進国ではまれな病気である麻疹(はしか)が流行ったり、子どもの髄膜炎が多いなど、予防できる感染症がきちんと予防できていないのも日本の大きな問題です。日本医療の弱点だった感染症部門をしっかりやりましょう、というのが当科の目標です。

日本の感染症対策行政を真っ向から批判しています。
繰り返しますが、これは神戸大学病院の公式サイトに載っている文章です。マスコミの取材に応じて答えたものではありません。
神戸大学は国立大学法人なので、ほぼ国の機関です。「ほぼ国家公務員」といえる岩田氏が「ほぼ国の機関」の公式サイトで、国の医療政策を真っ向から批判しています。これは、すごいことといえます。
すごい「批判精神」の強さです。

批判とは、「文句をつけること」ではありません。攻撃的に避難することでもありません。批判とは、科学を進展させるうえで欠かせない重要なチェック方法といえます。
批判精神とは、1)あらゆる情報の真偽を自分の目で確認すること、2)必ず一次情報に立ち返って自分の頭と足で検証すること、です。
批判精神のこの定義を紹介しているのは、石井洋二郎・東京大学名誉教授(フランス文学)です。石井氏は東大教養学部長だった2015年3月、同学部の卒業式で卒業生たちに、批判精神を持てと説いています(*13)。
つまり、批判精神は日本のリーダーになるような人たちも持っていなければならないマインドであることがわかります。

そして、あらゆる情報の真偽を自分の目で確認することも、自分の頭と足で検証することも、今回の岩田氏の行動とマッチします。
岩田氏には確固たる批判精神がある、ということができると思います。

*13:東京大学 大学院総合文化研究所・教養学部「平成26年度 教養学部学位記伝達式 式辞」
https://www.c.u-tokyo.ac.jp/info/about/history/dean/2013-2015/h27.3.25ishii.html

岩田氏とコミュニケーション能力

岩田氏は厚労省の職員の「つて」でダイヤモンド・プリンセスに入船したのですが、その職員はT氏といいます。
T氏は自身が岩田氏の入船に協力したことを、自身のフェイスブックで告白しています(*14)。T氏は自身の本名を公にしているわけですが、この記事では「T氏」としておきます。

T氏は医師で、現在は、岩田氏がかつて勤務していた沖縄県立中部病院の感染症内科に勤務しています(*15)。2008年には、厚生労働省で、パンデミック(世界的な感染の大流行)に対応する医療提供体制の構築に携わったことがあります(*16)。
T氏も感染症対策のプロです。

T氏は岩田氏とは以前から面識がありました。
T氏は、自身のフェイスブックで、岩田氏のユーチューブ告発の内容に誤りがあると指摘したうえで、次のように述べています。

(岩田氏には)「感染管理のことについて、最初から指摘するのはやめてください。信頼関係ができたら、そうしたアドバイスができるようになるでしょう」と申し上げました。

(中略)

政府を批判することは構いませんが、解決を与えないまま現場を恐怖で委縮させるのは避けてほしかったと思います。逃げ出せない以上は・・・。

*17、18

T氏が、岩田氏のユーチューブ告発に困惑していることがうかがえます。岩田氏が、ダイヤモンド・プリンセスのなかの感染症対策チームを「委縮」させた、とも批判しています。
この文面からは、T氏が、岩田氏にコミュニケーションの取り方や情報発信の仕方について「注文」をつけている、読み取ることができます。

岩田氏はあるインタビュー記事で、自身のコミュニケーション能力について、次のように述べています(*5)。

「コミュニケーションが苦手で、人付き合いが下手」
「コミュニケーション能力もありませんでした」
「当時はコミュニケーション能力が低かったので、マニュアルを使って練習したり、上手な人の真似をしたりしました」

岩田氏がダイヤモンド・プリンセスに乗船して、半日も経たずに(T氏によると2時間で)下船させられたのは、もしかしたら岩田氏のコミュニケーション能力の問題があったのかもしれません。

ちなみに岩田氏とT氏は、その後、和解しています。
T氏は2月22日、自身のフェイスブックに「先ほど、神戸大学の岩田先生と電話でお話をしました。これまでのように穏やかにお話ができたことは言うまでもありません」と報告しています(*14)。
T氏はさらに「岩田先生の優れた感染症医としての能力が、日本の感染症行政の発展へと活かされることを期待しています」とも述べています。

*14:https://www.facebook.com/profile.php?id=100001305489071&lst=100014478481991%3A100001305489071%3A1583239927&sk=timeline(現在は削除されている)
*15:沖縄県立 中部病院 感染症内科外来のご紹介
https://chubuweb.hosp.pref.okinawa.jp/departments/infectdis.html#3631
*16:HIRO’s Factory
http://plaza.umin.ac.jp/~ihf/who/index.htm
*17:lily’s cafe 高山義浩先生が岩田健太郎氏に反論投稿!乗船の経緯や状況について語る
https://lilys-cafe.net/takayamayoshihiro/
*18:新型肺炎:岩田健太郎教授の告発に反論した高山義浩医師(沖縄県立中部病院)の正論
https://hi-hyou.com/archives/9250
(T氏のフェイスブックでは、*17、18のコメントはすでに削除されています)

まとめ~不屈の精神の持ち主

岩田氏のダイヤモンド・プリンセスへの乗船と厚労省の対応への批判については、高い評価と強い非難の両方がわきおこりました。
ただし、岩田氏のような勇気ある行動を起こせば、必ずといっていいくらい、「秩序を乱すな」と指摘する人や、足を引っ張ろうとする人は現れます。

岩田氏は医局を飛び出した人です。
今でこそ、大学の医局の力は相当落ちましたが、かつては、ほぼすべての医師の人事も就職もポストも医局ががっちり握っていました。医局を抜けることは、医師であろうと、まともな職を得られないことを意味していました。
岩田氏も「大学の同期卒業生で、僕のように医局に入らなかったのは2人でしたし、当時はさんざん非難され、馬鹿にもされました。『一生後悔するぞ』と脅かされもしました」と振り返っています(*3)。
その岩田氏が今まさに「医局のボス」である大学教授に就任しています。しかも、国立大学医学部の、です。
岩田氏は「医局人事」や「業界のなれ合い」ではなく、実力で日本医学の権威になったわけです。

ただ岩田氏は、普通の権威者にはなっていません。
岩田氏は、若い医師が、看護師や診療放射線技師や臨床検査技師や臨床工学技士といったコメディカルたちにぞんざいな言葉を使ったら、厳しく注意しているそうです。岩田氏自身は、看護師やコメディカルには、必ず敬語で話しています。

それは、日本の医療界には「医師は最高に偉い」というマインドがあり、そして岩田氏自身「よほど注意しないと自分も勘違いしてしまう」と思っているからです(*5)。
人は権力を持つと、つい威張ってしまうもので、岩田氏はその誘惑の強さを知っているのです。岩田氏は、自分を律することができる人であるといえると思います。

このような岩田氏だからこそ、「感染防止対策を講じて」いるとアナウンスする厚労省(*19)の対応を疑うことができ、強引な行動をすることができ、批判することができたのではないでしょうか。
ダイヤモンド・プリンセス内で感染して、その後亡くなった人も発生しました。

そうだとすると、岩田氏を強く非難したり、「秩序を乱すな」と指摘したり、ましてや、足を引っ張ることは、適切ではないと思います。
むしろ、多少コミュニケーションに難があったとしても、岩田氏の批判に耳を傾け、感染症対策の方法を改善したほうが、日本の保健政策にはよいことなのではないでしょうか。

*19:厚生労働省 クルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス号」内の感染制御策について
https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/newpage_09646.html

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