みやぎ野球史再発掘
県内初の始球式、いつ? 伊藤正浩
宮城県最初の「始球式」について調べてみた。
日本初の始球式は、NHKの「チコちゃんに叱られる」でも紹介されており、ご存じの方も多いだろう。最初の1球を投じたのは大隈重信。元首相で早稲田大学の創立者だ。
1908(明治41)年11月22日、米国から訪れたリーチ・オール・アメリカンと早大の試合前。大隈の投球が本塁に届かず止まってしまうところ、早大の1番バッター山脇正治が、とっさの思い付きでバットを振り、審判がストライクを宣告。大隈は、万雷の拍手の中を満足げに退場した。成功裏に終わったこのセレモニーを先例に、現代に続く日本独特のスタイルが確立された。
かつては政官界の歴々が、近年ではアイドルなどが始球式に登場し、試合の権威付けや野球人気の獲得に貢献してきた。山脇のとっさの行動の価値は計り知れないといえよう。
さて、宮城でも始球式は古くから行われている。
興味深いのは、34(昭和9)年、ベーブ・ルースが来仙した日米野球でのもの。半井(なからい)清・県知事の投球を受けた捕手役は、東北学院のシュネーダー院長。このとき齢(よわい)77歳。なんと素手でのキャッチであった。
新聞記事で確認できる最古は、18(大正7)年8月5日、旧制中学の全国大会(現在の夏の甲子園)の東北予選で、旧制二高の武藤虎太校長が投じたもの。サウスポー(左投げ)の投球はコントロールが良く、評判であったようだ。
書籍にある最も古い記録は、09年6月6日、旧制仙台一中(現仙台一高)のグラウンド開きで、桜田広利校長が投じたもの。その詳細は不明だが、もしも現在と同じスタイルで行われていたならば、東京での発祥からわずか7カ月後のことで、その伝播(でんぱ)の速さには驚くばかりだ。
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