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03月04日朝日新聞デジタル朝刊記事一覧へ(朝5時更新)

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みやぎ野球史再発掘

殿堂、初回に選ばれた押川清 伊藤正浩

 1月14日、令和最初の野球殿堂入りが発表され、田淵幸一氏ら3人が選ばれた。これで野球殿堂入りは計207人になった。

 このうち宮城県出身者は2人いる。ひとりは「大魔神」の愛称で知られ、横浜ベイスターズやシアトル・マリナーズで活躍した佐々木主浩投手。そしてもうひとりが押川清。郷土の誇る野球人として、さらに知られるべき人物である。

 押川は1881(明治14)年、仙台に生まれた。父は押川方義、キリスト教伝道の宗教家であり、東北学院、宮城学院を創立した教育者。兄は日本SF文学の祖とも言われる冒険作家の押川春浪(方存)だ。

 兄弟そろって子どもの頃からの野球好き。自作の糸巻きボールを使ってキャッチボールをしていたが、本物のボールが欲しくなり、米国へ赴いていた父親に送ってもらった。しかし、どうも大きくて使いにくい。本場のボールはこんなものかと使っていたが、実は事情を知らない父親が届けたのはフットボールだったというエピソードがある。

 94年に行われた東北学院と旧制二高の試合(仙台最初の対校試合)に、年少ながらショートで出場。そのプレーぶりは光るものがあったようだ。早稲田大学に進み、第3代野球部主将を務め、第1回の早慶戦や米国遠征にも参加。草創期の野球部の中心人物として活躍した。

 卒業後も早大系野球人の重鎮として活躍。大正時代には、日本初のプロ野球チームである日本運動協会、昭和にも名古屋軍(現中日ドラゴンズ)や後楽園イーグルス(現存せず)と、三つのプロ球団の設立にかかわり、プロ野球興隆の礎を築いた。1944年没。

 その功績から、59年に野球殿堂ができた際、野球伝来以来の多くの野球人の中から、最初に殿堂入りする9人に選ばれた。

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