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03月04日朝日新聞デジタル朝刊記事一覧へ(朝5時更新)

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みやぎ野球史再発掘

狭くて本塁打続出、評定河原 伊藤正浩

写真:評定河原球場のスタンドに座る筆者=仙台市青葉区 拡大評定河原球場のスタンドに座る筆者=仙台市青葉区

 新年の初回。仙台の野球好きに愛着の深い、評定河原(ひょうじょうがわら)球場を語りましょう。

 球場ができたのは、戦前の1937(昭和12)年。東北帝国大学付属球場として、東北帝大や市内の学生の勤労奉仕で造られた。本多光太郎総長は5千円(現在の2千万円以上)とも言われる私費を投じ、スタンドを寄贈。「評定河原」は、藩政時代の評定所(裁判所)近くの河原であることに由来し、球場ができる前は、早川智寛(元仙台市長)が作った早川牧場があった。

 40年、旧制二高の主催で旧制高校の全国大会が仙台で行われた際には、主要会場に。戦時中は野菜畑となり、スタンドも撤去されたが、戦後に再整備された。宮城県野球連盟の管理となり、澱橋(よどみばし)球場に代わる市内のメイン球場となった。

 この球場でも数々の名選手がプレーをしている。48年5月、巨人―金星(千葉ロッテの前身の一つ)の試合では、「打撃の神様」巨人の川上哲治選手が、プロ野球史上初の1イニング2本塁打を記録している。

 49年5月の大阪(現・阪神)―大映(前年に来仙した金星の後身球団)戦では、1試合で両軍9本の本塁打が飛び出した。それもそのはず、当時の評定河原球場は狭く、中堅約91メートル、両翼82メートルほどしかなかったのだ。

 50年に宮城県営球場(現・楽天生命パーク宮城)が開場すると、仙台のメイン球場の座は譲ったが、その後も長らく、仙台六大学野球をはじめアマチュア野球の舞台として親しまれた。64年に東北財務局、82年に仙台市の管理に移る。83年に改修され、中堅107メートル、両翼92メートルの現在の大きさになった。近年は老朽化が進んでいる。

 さて、まだまだ語るべき「みやぎ球場史」はありますが、これでひとまず区切りとします。

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