みやぎ野球史再発掘
ベーブ・ルースに街中熱狂 伊藤正浩
1934(昭和9)年11月9日、世界のホームラン王ベーブ・ルースが、全米軍を率いてついに来仙した。当時の新聞が熱狂の様子を伝えている。
早朝から仙台駅は歓迎の人であふれた。列車が到着し、外套(がいとう)に身を包んだルースが現れると、口々に声をかける。ルースは「バンゼイ、バンゼイ」と両手を上げて応じ、観衆からも「万歳」がわき起こった。
人混みをかき分け車7台に分乗して、多門通(南町通り)から境屋旅館(現・ホテルパールシティ仙台)に到着。ここでも大勢が待ち受け「ルース、ルース」と歓呼の声を上げた。
ルースたちが朝食の席に着くと、玄関の警備をくぐり抜けたファンが次々サインを求めた。選手は嫌な顔もせず応える。食後2階で休憩をしていると、階下の路地から奇声がし、女学生の群れがいる。投げ上げられたサイン帳にサインをして投げ下ろし、また投げ上げられてと、さながらキャッチボールに。隣の郵便局(現・NTT東日本ビル)の窓も鈴なりの人だ。
落ち着く間もなく食事や入浴を済ませ、八木山球場に向かった一行だったが、ユニホーム姿になると本領を発揮。5本塁打で7点をあげて全日本軍を一蹴し、ルースも来日初を含む2本を放った。
選手たちは、その日のうちに夜行列車で東京へ向かった。全米軍はこの後も各地を転戦。16戦に全勝して帰国した。
その後、八木山球場は交通の便の悪さが敬遠され、35年ごろを最後に使用されなくなる。主要球場としての稼働は6年ほどだ。
戦後は花見場として親しまれ、65年に八木山動物公園ができると、アフリカ園として造成され、現在に至る。2002年に有志によって建てられたベーブ・ルース像だけが、往時をしのばせている。
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