みやぎ野球史再発掘
球場第1号、塩釜のどこ? 伊藤正浩
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仙台が「県内初」となっている事柄が多い宮城県の野球史だが、球場の県内第1号は、港町塩釜である。
仙台初の球場・東北体育協会球場(体協球場)に先んじること1年半。1921(大正10)年10月、当時の塩釜町にできた「北浜球場」だ。
球場を造ったのは塩釜実行倶楽部(クラブ)。そこには桜井辰治(のちの塩釜市長)や宮城千之、青島武郎ら後年、塩釜を牽引(けんいん)した若き実業家たちの姿があった。
彼らは東北実業野球大会(社会人野球で初の東北大会)の開催を企図し、北浜の埋め立て地の一角に、わずか1カ月で球場を急造した。狭い球場で、特にライト側は岩肌がせり出して80mほどしかなく、岩面に直接当たった打球は二塁打とされたという。
10月15日から3日間開かれた大会には、東北・新潟から9チームが集まった。大会の格を高めるため、東京から球界の重鎮を審判に、始球式には力石雄一郎県知事を招いた。初代王者は、決勝で宮城最強の仙台素人(アマチュア)倶楽部を破った杜陵(とりょう)倶楽部(旧制盛岡中OBチーム)であった。翌年の第2回大会では、決勝で仙台球界の両雄・仙台素人倶楽部と仙台鉄道局が激突し、大いににぎわった。
しかしこの後、北浜球場は使われなくなる。23年の第3回大会は、9月の関東大震災の影響で中止され、翌24年の第4回大会は、前年に仙台にできた体協球場が会場となった。
北浜球場はやはり、その狭さが嫌われた。ついには球場についての記録も見当たらなくなる。
いまでは球場があった場所すら分からない。大正末ごろとみられる地図に載っている「三浦公園」が跡地とも言われるが、定かではない。現在の北浜2丁目近辺のようだ。ご存じの方があれば、ぜひとも情報提供をいただきたい。
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