みやぎ野球史再発掘
応援団、気迫の「雨か嵐か」 伊藤正浩
選手たちを後押しする応援は、高校野球の魅力の一つといえよう。2015年夏の甲子園決勝戦、球場一丸となった「仙台育英コール」は、記憶に新しい。
1956年夏の甲子園大会に東北代表で出場した仙台二高は、応援団の風雨をものともしない気迫が、名門校を打ち破る原動力となったと言われている。
8月14日の2回戦、慶応(神奈川)との対戦。先制されて追いついた後、二高は押し気味ながらも、決め手に欠いた。3―3で迎えた六回裏、二高が一死満塁のチャンスをスクイズ失敗で潰したところで、雷雨のために試合が中断――。選手、観客や慶応応援団が屋根の下で雨宿りをする中、二高応援団だけは「いまこそ」と奮い立った。
予算不足で仙台から駆けつけた応援団は約10人。友情応援の滝川(兵庫)のブラスバンドと合わせても、わずか30人ほどだった。滝川は二高(当時は仙台二中)が25年、初めて甲子園に出場した際に選手だった早坂明夫氏が、野球部長を務める縁だ。
人数は少なくても、選手たちの気勢を雨に流すわけにはいかない。1時間余にわたって旗を振り、歌い、びしょぬれになって応援を続けた。意気軒高ぶりもさることながら、高らかに歌い上げた応援歌のタイトルが「雨か嵐か」というのもふるっている。
応援団の気迫は、観客たちの心を打った。雨が上がり試合が再開されると、自然発生的に数千人の大応援となったという。
選手も背中を押された。七回に角田選手のタイムリーで挙げた1点を、尻上がりに調子を上げた早坂投手が守りきり、4―3で勝利したのだ。
さて、今年の宮城代表は3年連続28度目の仙台育英。悲願の優勝をめざし、県民一丸の声援で後押ししたいものだ。
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