みやぎ野球史再発掘
「昂」の字持つ2人のエース 伊藤正浩
プロ野球のペナントレース開幕から2週間余り。開幕ダッシュに成功した、平石監督率いる東北楽天には、日本一奪回を期待したい。2013年の優勝を支えたのは、田中将大投手の24勝0敗という驚異的な活躍だった。
仙台のチームが初めて野球日本一になったのは、大正時代のこと。このときも大エースがいた。
その名は新谷昂吉(しんたにこうきち)。1899(明治32)年、新潟市で生まれ、1917年に旧制新潟中(現・新潟高)から旧制二高に入学。翌年、京都で開かれた旧制高校大会(文部省直轄学校大会)で、六高、四高、学習院を抑え込み、決勝では神戸高商を1―0で破って、優勝を成し遂げた。曲がりの大きなカーブ、重くて伸びのある快速球を武器としていたようだ。
新谷が主将となった翌19年も、連覇を狙い大会に参加。八高、山口高商を連続完封に抑えるが、雨天続きで大会日程が中止となり、夢はついえてしまう。
卒業後は、東京帝大工学部を経て鉄道省に入省するが、ここでも大仕事をやってのける。新谷をエースとした本省チームが、当時唯一の社会人野球全国大会だった全国鉄道局野球大会に初参加。各地の鉄道局の猛者軍団を打ち破り、決勝では大会連覇中の門司鉄道局を下して優勝したのだ。
新谷はその後、野球から離れて仕事に専念し、エリート技師として順調に栄進する。結婚して一男一女に恵まれ、順風満帆の生活を送るが、軍属として赴いた大陸でわずらった大腸疾患のため、39年に早世。
さて、右ひじの故障から復活を図る東北楽天の現エースは、則本昂大(たかひろ)投手。同じ「昂」の字を名前に持つ。忘れられた大投手・新谷昂吉との100年の時を超えたエースの「奇縁」が、再び仙台を日本一に導いてくれたらうれしい。
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