桃子アフターPeachFlash

八日なのか

その後のふたり

「ごめんね、幸」


「謝るな、全部俺が悪い」


「でもごめん」


 ある日の放課後。

 『そろそろケジメは付けないと、ね』という桃子の一言から始まり、

なんだかんだあって今に至る。

 そのなんだかんだというのはまあ、おおかた想像はつくだろう。


「さっきから謝ってばかりじゃねえか。いつからお前はそんな面倒くさい女になったんだ?」


 膝を抱えたまま、身じろぎひとつしないで顔を埋めている桃子。

 そんな彼女の隣で俺は、ぼけっと夕陽を眺めていた。

 幸い、誰もいなくなったこの教室に俺たちを急かす者はいない。


「あんなに友達泣かせたの、初めてかもしんない」


「俺には友達がいなかったからその気持ちはよくわからないな」


「わかってる人の言い方じゃん、それ」


「選んだのは俺だ、お前じゃない」


「そうだけど……でもそれだけじゃないじゃん」


「桃子」


「……エッチしてる時はあんなに名前で呼んでくれたのに、もう呼んでくれないんだぁと勝手に思ってた」


 ようやく顔を上げてくれた桃子は、腕と擦れておでこがちょっと赤くなっていた。


「私は泣かないよ? 泣いていい立場じゃないし」


「俺はなにも言ってないんだが」


「あんなに一生懸命、私のこと慰めてくれてたのに?」


 ニヤニヤとわざとらしく肘でつついてくる。


「顔に残さなくても、泣き声は聞こえてたんだがな」


「ちゃんと聞こえなかったことにして。恥ずかしいんだよ? 男の子の前で泣くのって」


「俺はもっと情けない顔、桃子に見せてるんだが?」


「傑作だったね、ふたりから逃げてきたときのあの顔。一生忘れてあげない」


「一生か……なんて重い女なんだ」


「私、スミより重い自信はあるよ?」


「すぐにアイツの方が重くなりそうだけどな、主にストレスからのヤケ食いで」


「もしそうなったらちゃんとダイエット付き合ってあげないとね。私と幸のせいみたいなもんだしさ」


「ああ、しょうがないならその時は俺も付き合ってやるよ」


 いつかそのうち、仲直りできる日が来ることを願いながら、座り込んでいた桃子に手を差し伸べる。


「よいしょっと!」


「うおっ」


 ぱっと俺の手を取ると、そのままぐいっと立ち上がる。

 そのあまりの勢いの良さに身体がぐらつく。


「もうっ、ちゃんと私のこと支えられるくらいには鍛えておいてよね?」


「機会があればな」


「今がその機会だっての~」


 俺の手を握ったまま、反対側にカバンを引っ提げ、そのまま教室を出て行こうとする。


「ほら、帰るよ? 幸」


「……桃子、お前意外と立ち直り早いのな」


「ん~、だって親友とケンカしてまで幸のこと選んだんだよ? これくらい飛ばしていかないと損じゃない? それとも私とお手々繋いで外歩くのはまだ恥ずかしいのかな~?」


「そんなわかりやすく照れながら言われてもな……顔が赤いぞ」


「え~、夕陽のせいじゃない?」


 ああ、これはまだまだ桃子に振り回されそうだな。



***



 学校から歩いて駅に向かう頃には、日はすっかり落ち、少しだけ肌寒い夜の空気に変わっていた。


「もう夏も終わっちゃいそうだね」


「そしたらいよいよ本格的な受験シーズンだな」


「幸、言ってることが先生みたい」


「桃子は将来なりたい職業とか、夢とかはないのか?」


「幸のお嫁さ~ん」


「そういう冗談はもっと照れながら言うものだぞ」


「幸ってば、もっとチョロくなってくれないかな。私たちだけチョロインだと不公平じゃない?」


「もし俺がチョロかったら、今頃椿さんのヒモになってるだろうな」


「うわぁ、ありそうでイヤ。ていうか今度バッキーのとこ遊び行きたいなぁ」


 椿さんのことは何度か会ううち、オンゲのフレンドだということに薄々気付いてたらしい。

 桃子と付き合うことになったのは、絵未と八純以外にも一応報告してある。


「お前、そろそろ帰らなくていいのか?」


「まだ夜の八時だよ? 私のとこ門限あってないようなもんだし、へーき」


 ちょうど駅前までやってきたが、桃子がそのままスルーしようとしていたので尋ねるとそんな答えが返ってきた。


「俺、桃子と違って夜遊びなんてしないからどう過ごしたらいいのかわからないな」


「ねえ、私をどこぞのチョイ悪チーズと一緒にしないでもらえる? 普段、この時間はもう家でゲームしてるから」


「へえ、フラフラ用事もないのに出歩いてそうな感じするのにな」


「……今日からは、幸とふたりでフラフラしちゃうかもしれないね」


「ちょいちょい普通に可愛いの、やめてくんない? 調子狂うわ」


「あーでもないこーでもない、男のくせにホント文句が多いんだから。絵未によく同じようなこと言われなかった?」


「言われた言われた」


「やっぱり幸、絵未と八純のこと話題に出すとちょっと顔緩むよね? なに? 選べなかったくせにまだふたりに未練あるの?」


「妬いてんのか?」


「妬いてんだよ」


「……すみません、今度から気を付けます」


「よろしい。まあすぐ忘れろなんて言わないよ、私。そんな重くないし」


「重さのポテンシャルしか感じないんだが?」


「いろんな可能性に満ちあふれていた方がマンネリにならなくていいと思う」


「いつまでも変わらないお前でいてくれ」


「幸とそこまで先のことは今はまだ考えらんないかな」


「さっき一生とか言ってたヤツのセリフかよ」


 やいのやいの言い合いながら、どこへともなく夜の街を桃子と歩く。

 きっと他にも選択肢はあったのだろうけど、それこそ今の俺にはこれ以外考えられなかった。

 こんなに心が躍らなくて、楽しくもない、だけど一生このまま過ごせそうな空気感。

 この形は桃子としか作り得なかったのかもしれない。


「なにぼけっとしてるの? せっかく出来た初めての彼女の顔をもっとよく見なさい」


「あんまりずっと見てると『見るなっ』って怒るくせに」


「そりゃ見て欲しくないときもあるからね。今日は肌もキューティクルも調子バッチリだから特別にいくらでも見ていいよ」


「ああそうかい」


「ンぅ!? ン……っ、んぅ……」


 時間にしたらほんの数秒。

 強く押し付け合った唇がすぐに離れる。


「なんで……いきなりチュウなんか」


「桃子の顔見たらしたくなった」


「……もう顔見るの禁止にする」


「そりゃ残念だな。桃子の照れた顔なんて、そう見れないから」


 すぐに顔を背けたが、耳まで真っ赤になってしまっているせいか、まるで隠せてない。

 普段、これくらいじゃ照れてくれないんだが、今日はどうやらそうでもないらしい。


「こんな、道端でするなんて……本物の恋人みたい」


「コレが本物じゃなかったらなんなんだ」


「私、きっと今のが一番欲しかったものかもしんない」


「どういう意味だ?」


「自分でもわかってなかった。すっごく欲張りなんだね、私……」


 俺に答えるでもなく、なにやらひとり納得する桃子。


「最初思いっきり踏み込んだ分、あとはゆっくりでいいと思ってたけど、やっぱりそうじゃないんだ。だからあの子たちもあんなふうに……」


「頼むから俺にもわかるように言ってくれ」


「幸にはわからなくていいことだから、言わない」


「なんだそれ」


「……だってもし言ったら全部叶えてくれちゃいそうだもん」


 ぼそっと絶対に俺には聞こえないように呟いた桃子。

 あいにく俺はこういう人間なので、はっきり言葉にして欲しいと思ってしまうんだけど。

 ふと、ポッケのスマホが震える。

 普段はマナーモードにすらしないのだが、最近反応が遅れると月がうるさいので仕方なく。


「もしもし、月か? お兄ちゃん、ちょっと今いい雰囲気かもなんだけど」


『なにを意味不明なことを言っているんですか、兄様? それより、今度はいったいなにをやらかしたんですか』


「なんだ、緊急事態か?」


『はい、緊急事態です。なんと、うちに兄様が帰ってくるまで帰らないって立て籠もってる女たちがいるんですよ。今すぐどうにかしてください』


「ええ……」


『だからどうしてアンタは月ちゃんからの着信にしかすぐ出ないのよ! アタシなんてもう何十回も電話してるのに! ぞ、ぞんなに桃ちゃんがいいの゛ぉ!?』


『もぐもぐ、どうせ今も桃ちゃんと一緒にいるんでしょ? たとえ付き合い始めたからって私たちがあきらめるとでも思っているのかね、もぐもぐ!』


『ユッキーは咲希が先に狙ってたのにぃ! どーして桃ちゃんとくっついちゃってるの!? 許して欲しければ高身長イケメン探して紹介してええええ!』


「………………」


 とりあえず通話を切って、ついでに電源も落としておく。


「すごいなぁふたりとも、まだあきらめてないんだ」


「なんかついでに変なのが一名ほどいたけどな。ていうか、素直に感心してる場合か?」


「今もちょっとうれしそうな顔したの、見逃してないんだからね?」


「……しかし困ったな、これじゃ今夜は帰れそうにない」


「なにそれ、私のこと誘ってるの?」


「流れ的にはそうした方がいいかなと思ったんだが」


「さすがにそこまでチョロくないからね? このままホイホイ幸についていくようじゃ、咲希のこと笑えないし」


「あれ、俺たち付き合ってるんじゃなかったのか?」


「私はもうちょっとだけ、さっきみたいなキスでドキドキしてたいの!」


「今度は乙女みたいなこと言い出したな、まさか熱でもあんのか?」


「実は私、今めちゃくちゃ妬いてるって言ったらどうする?」


「そ、それはどうしたらいいんだろうな……」


「私、幸の思ってるよりずっと重い女だし、ずっと嫉妬深いし、ず~っと面倒くさいんだからね?」


「ああ、それにずっと可愛い」


「……幸ってばよく真顔でそんなこと言えるよね? こっそり練習でもしたの?」


「は、俺の勝ちだな」


 先に照れたのは桃子だったが、俺は単に顔に出さなかっただけで。

 気付けばすっかりこいつに惚れてしまっているのが、ちょっとだけ悔しかった。


「ところで幸、帰る家ないんでしょ?」


「そうだが、その言い方はなんか腹立つな」


「ならさ、うち来る?」


「……なんだって?」


 ────これはやっぱり俺の負けかもしれない。



***



「お、お邪魔しま~す?」


「うわ、マジで男連れてきやがったぜ、桃子のヤツ」


「男じゃなくてカレピ。つか、やかましいわ。いちいち出てくんな」


「おお、こえ~。おいカレピくん、尻に敷かれてないか? 大丈夫か? ええ?」


「あはは、いつもイジワルされて困ってますよ」


「幸も悪ノリしない! あっち私の部屋だから先行ってて」


「いきなりカレピ部屋に連れ込む気か!? 勘弁してくれよ、隣でおっぱじめるのだけは」


「死ね、バカ兄貴」


 プリプリしながら一階へと消えていく桃子。

 部屋に行けと言われてもいきなり入るのはなんだか気が引けて、その場に取り残された桃子お兄ちゃん(仮)と顔を見合わせる。


「見たかい、カレピくん。怖いだろう? あれが妹の本性ってやつだ。好きな男の前では絶対に見せないがな」


「わりと見せちゃってますけどね」


「ほ~、そうなのか。もっとブリブリしてんのかと思ったけど、まあ所詮は桃子だしな、無理か」


 お兄さんがふたりいるとは聞いていたが、会うのは当然初めてだ。

 大学生くらいのすらっとしたイケメンで、顔こそあまり似てないが、素のしゃべり方が桃子の雰囲気にそっくりだった。


「しかしラッキーだったな、カレピくん? 今日は俺以外全員出かけていて、帰ってくるのが遅いんだ。親父たちに挨拶していく覚悟があるなら泊まっていってもいいんだぞぅ?」


「いや、さすがにそこまでは……」


「おいおい、まさかの草食系かぁ? そんなのにうちの妹が落とせるとも思えないだが? いやでもホント、安心したわ。男に興味ないのかと思ってたから」


「まあそんな感じはありましたね」


「やるじゃないか、カレピくん。俺は限界まで留年してハイパーニートやるつもりだから、桃子にはさっさと男見つけて家出ていってもらわねえと困るんだわ」


「とんでもない理由で妹さん押し付けようとしないでくれます?」


「んま、俺は気を遣って2、3時間出かけてくるから妹のこと好きにしていいぞ~。じゃな」


 とくに着替えるでもなく、手ぶらでそのままサンダルをつっかけ、出ていくワイルドな桃子お兄ちゃん。ムチャクチャ適当な人だ。


「お待たせ……って、なんでまだそこにいるの? ていうか兄貴は?」


「ちょっとお兄さんと話してて。気を遣って出かけてくるって」


「なにそれキモ……」


「ダメ! キモだなんて妹に言われたからお兄ちゃん死んじゃうからダメ!」


「幸みたいシスコンが珍しいんだってば」



***



「桃子の匂いがする」


「上手い感想が思い付かないからって適当なこと言わないでくれる?」


 女の子の部屋というよりは、まあそこそこ散らかっていてそこそこ整っているバランスの取れた部屋だった。

 だけど、桃子の匂いがするというのは本当のことなのだが、どうやらわかってもらえないらしい。


「ところでなんでお前、こっそり着替えてきてるの?」


 いつの間にか制服姿から、部屋着姿に変わっていた桃子。

 それが自宅スタイルなのか、髪も軽くゴムでふたつに結んでいる。


「制服だとシワになっちゃうから」


「シワになるようなことするのか?」


「幸がシたくなってもいいようにしておいてあげたの、うれしい?」


「そりゃうれしいな」


 そのままベッドに座っていた桃子の隣に腰掛ける。


「……なにこの無駄なドキドキ感。彼氏部屋に呼ぶのってこんな感じなんだ」


「ドキドキしてるのか。いちいち教えてくれるなんて優しいな」


「幸にすぐ襲われないよう、予防線張ってるんだけど」


「部屋まで来て襲わないのは失礼な気もするんだが、そこのとこぶっちゃけどうなんだ?」


「なんでもかんでも聞けばいいってもんじゃないんだよ。そこは私もちゃんと察して欲しいかな」


「初めては自分から誘ってきたくせに言うじゃないか」


「コラ、あのときのこといじるの禁止って約束したでしょ?」


 桃子がわき腹を小突いてくる。

 そのまま手を離すかと思ったら、そのままこちょこちょとくすぐってくる。

 なんだコイツ……察してくれと言われたが、正直俺には難しすぎるぞ。


「おい、彼女が頑張ってくすぐってるんだからちょっとは笑え」


「なんだそのツンデレは……どんどん面倒くさい女になっていくじゃないか」


「これも照れ隠しだということが見抜けない幸が悪い。なにかしてないと胸が爆発しちゃいそうなくらいドキドキしているのがわからんのか、このニブチン!」


「桃子って難しいな」


「とうとう女じゃなくて私に限定したね。もう私のこと面倒くさくなっちゃったんだぁ~」


 そのままパタンとやる気なく背中からベッドに倒れ、天井を見上げる桃子。


「あ~あ、カレピ部屋に呼んでも手すら握ってきてくれない男カレピにしちゃったんだぁ~、ワタピぃ」


「………………」


「もしもし、スミ? 私、今部屋に幸連れ込んでるんだけど、なにもしてきてくれないのぉ」


「おい、やめろぉ!?」


 慌てて桃子に覆い被さるようにしてスマホを手首ごと押さえにかかるが、画面が真っ暗だということに気付いてハッとする。


「や~い、引っ掛かったぁ」


「ぐげぇ!?」


 そのまま両手で抱きしめられ、首の後ろをぐいっと圧迫される。


「幸はここまでしないとハグもできないの? お外ではいきなりちゅーしてきたのに」


「……俺だって緊張くらいするんだよ」


「でも女の子の部屋、入ったの初めてじゃないんだってね?」


「まだ妬いてるのか」


「だって私、これくらいしないとあのふたりには勝てないから」


 桃子に抱きしめられたまま、耳元で囁かれる。


「私、あのふたりくらいちゃんと幸のこと好きになれるのかな」


「さあな」


「私のこと選んだくせに、ずいぶん冷たいんだ?」


「どうせ心にもないこと言ったら怒るだろ、お前」


「よくわかってるじゃん」


「だけどな」


「ん?」


「俺は今、一番桃子のことが好きだ」


「……今って保険かけるあたり、どうかと思うよね」


「ああ、ホントに……自分でもどうかと思ってるよ」


「私たち、ちゃんと恋人できるかな」


「ここまでしてそうじゃなかったら、それこそウソじゃないか?」


「まだ私、よくわからないんだ」


「俺にもよくわからん」


「それとね、幸」


「なんだ、桃子」


「私も好き」


 俺の肩を両手で押しのけて、見せてくれた桃子の顔はまるで。

 桃のように甘く、淡く輝いていたのだった。






~END

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桃子アフターPeachFlash 八日なのか @youka_nanoka

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