八王子からUターン移住した「パン屋店主」が経験した村八分 最後の賭けで成功した顛末
移住ブームには大きく2つの流れがある。その土地に縁のない者が移り住むIターンと、土地の出身者であったり、縁故者が移り住んだりするUターンだ。
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祖父の名前で村八分
Uターン移住者の最悪の悲劇として、私はデイリー新潮で「山口『八つ墓村事件』、保見光成死刑囚が弁護士にも語らなかった“田舎暮らしの地獄”」(19年7月25日)の記事を執筆した。
しかし殺人事件にまでは至らずとも、Uターン移住者が突如、理由なき災厄に見舞われることも少なくない。今回紹介する富岡安二さん(仮名)一家の例もそのひとつだ。
甲州街道を長野に入り、南アルプスの麓にある集落は、富岡さんの実父の故郷だった。富岡さん自身は東京・八王子市で育った。父親が亡くなり、移住ブームだったこともあり、脱サラして父親の生まれ育った土地へ帰ってきたのだった。
「東京ではパン屋を営んでいたこともあり、天然酵母と天然水とで、新天地で頑張ってみようと考えた」のだった。だが、出鼻からくじかれた。
祖先代々からの土地は広く、住居は先祖伝来の母屋を改修し、道路に近い場所にパンの製造アトリエを兼ねた店舗を新たに建設しようとした。
集落付近の電気工事店は限られている。「内装と電気工事をお願いします」と飛び込んでみると、自宅の住所から名前や家族のことについてまで、根掘り葉掘りの雑談が始まった。
すると突然、電気工事店の主は叫んだ。
「あっ、おまえもしかして、爺さんの名前は〇〇か?」
なんだかこちらをいぶかしがっているかのような雰囲気に息が詰まりかけていた富岡さんは、その言葉に救われた思いで答えた。
「はいっ。〇〇の孫に当たりますっ」
だが、それは裏目に出た。
「わりいけど、俺は〇〇にはよくいじめられた。おめえのところの仕事はできねえずら」
予想外の展開に富岡さんは、すがるような思いで何度も頼み込んだ。
「僕の爺さんがそんなご迷惑をおかけしていたなんて、まったく存じませんでした。僕が代わってお詫びしますので、なんとか工事をお願いできませんでしょうか。このままでは夏場までの開店が間に合いません」
だが、取り付く島もない。工事店主は遂に首を縦に振らなかった。理由は最後まで「おめえの爺さんには、ずいぶんいじめられたから」であった。
噂が流されたら最後
富岡さんは「いじめ」の具体的な内容について何度も訊ねたのだが、詳細は教えてもらえなかった。「おそらく“嫌いだった”という程度のものだったのでしょう」と富岡さんは振り返って苦笑する。
「ただ、それだけの話でも、生活のあらゆる局面で決定的に意味を持ち、あらゆることに影響するのが田舎暮らしです」と、富岡さんは指摘する。
周囲で電気工事店はそこしかない。富岡さんは困った。離れた都市部から呼べば、費用は高くつく。これも田舎暮らしの最初の関門と心に決め、その日から電気工事店に三拝九拝し始めた。しかし結局、埒があかなかったという。
富岡さんは集落から離れた電気店に駆け込み、何とか工事は終わった。しかし、そこからがまた大変だった。
「まずは表向き親しくさせてもらっていたご近所さんをはじめ、誰も店に買いに来てくれる者がいなくて……。『今度、買いに行くよ』なんて最初は言ってくれていた人も、道ばたで遭っても相手にしてくれなくなって……」
原因は、集落で流されていたこんな話だった。
「富岡のところは、××さんに電気工事を頼まずに、わざわざこの辺りのもんでない電気屋に工事をさせたらしい」
集落は経済活動であっても、一体化が求められる。皆で苦楽を共有するべきという観念が強い。地元の電気工事店に頼まなかったことは、集落全体に対する背信行為とでも受け取られたのだろう。
「そもそも私は断られてしまったほうで、『おまえのところの工事などできるか』と拒否したのは向こうです。別の電気屋の車が私の家の前に駐まっていたため、どうやら周辺住民が電気工事店の主に『どうしたのか』と訊ねたみたいなんです。恐らく自分が断ったことは黙ったまま、あることないことを言ったのでしょう」
地方では、噂は流れたら最後だ。おまけに、噂の真偽は誰も確認しようとはしない。
「言われたらそれまでよ、ですね」と富岡さんは笑うが、当てにしていた地元客は1人も来店しない。開店当初から苦しい毎日が続いた。
「家内が脱サラする際に支払われた退職金も底をつくし、最後の賭けで、周囲の都市部や東京の観光誌に広告を出してみたんです。地元のパン屋さんを目指していたんですけど、近所の人は誰も来ないので仕方なく、観光客需要しかないと思ったんです」(富岡さん)
だが、それが当たった。天然酵母と天然水で焼いたパン、地元のルバーブを使ったジャム、地元野菜の惣菜など、「都会のセンスを持つ天然パン屋」は人気を呼び、インターネットでの販売需要に加え、観光シーズンには開店直後から行列ができるまでになった。
すると変化が起きた。
「東京や名古屋の人たちが買いに来てくれることが伝わったら、1人、また1人って、徐々に地元の人も、ようやく買いにきてくれるようになりました」(富岡さん)
「最初からこれでは、やっていけない」と人間関係に行き詰まってノイローゼ気味だった富岡さんの奥さんも、徐々に活力を取り戻した。
「今、うちの店に来ないのは地元では、あの電気屋のオヤジさんだけです。でもね、ようやく打ち解けてきて多少なりとも仲良くなった地元の人が囁くには、実は似たような話はたくさんあるって。『3代前まで遡って、恨み辛みばかりで人間関係や勢力地図が出来上がっているから気をつけろ』とまで言われました」
富岡さんは苦笑する。
「Uターン移住者はやっぱり、『地縁もあってIターンより多少は移住しやすいかな』、『受け入れられやすいかな』って思うじゃないですか。私自身がそうでした。でも、3代前どころか何代も前に遡ってのしがらみでガチガチの場所だなんて、誰も教えてくれないですよ。そんなの、移住する前に知りようがないですからね」
田舎暮らしとは、こうした見えない恨み辛みと禍根の綾に飛び込む行為でもあるのだ。
取材・文/清泉亮(せいせん・とおる)
移住アドバイザー。著書に『誰も教えてくれない田舎暮らしの教科書』(東洋経済新報社)
週刊新潮WEB取材班編集
2019年12月27日 掲載