SNS 時代になって急増してるのが「勝手に失望し、勝手に裏切られる人」です。
これ、思春期の子供にはたくさんいます。でも最近はそういう「大人」が増えている。
思春期の仲良し友達の場合、以前はトイレに行くにも腕を組んでいたのに、突然「裏切られた! 許せない! 絶交する!」とか言い出します。
というのも、この年代の子供たちは「親友には自分を 100%肯定してほしい」と期待してるからです。
思春期の子供たちは「自分の完璧な理解者」を探しています。
これまで「自分を 100% 受け入れてくれていた母親」に代わる誰かを見つけることこそ、思春期のミッション。
だから彼らは親友だったり、初めて心ときめいた異性だったり、時には自分にやさしく話しかける見知らぬお兄さん(実は優しくない!!)にその役割を求めます。
けれど身も蓋もないことを書いてしまえば、世の中には「自分を完全に理解してくれる誰か」なんて存在しません。
ある面では気が合うとか、仕事では尊敬できるみたいなことはあっても、大人になれば、「何から何まで同じ」なんてありえない。
むしろ「その事実を受け止め、理解するのが大人」だとも言えます。(参考過去エントリ 「大人の条件とは?」)
一方、思春期的発想では、「すべてにおいて同じ意見だからこそ、◯◯ちゃんと私は親友なの!」と考えます。
そして、「意見が違う」「感じ方が違う」事態に遭遇した時に、「なるほどねー、○○ちゃんと私は気が合うけど、こういうコトに関しては感じ方がこんなに違うのねー。へー」と大人になっていく人と、
「親友だと思っていたのに 許せない!」みたいに思ってしまう「まだまだ子供」な人が混在しています。思春期とはそういう時期です。
★★★
問題は、最近そういう大人が増えていることです。
ネット上には、有名人にたいして「◯◯さんがそんなこと言うなんて失望しました」「昔はすばらしかった○○さんがひどく変わってしまってがっかりです」みたいに嘆き、怒る人がたくさんいます。
これは「○○さんが嫌いです」とはまったく違います。
失望している人たちの多くは、「もともとは期待していた」んです。なのに裏切られた。だからショックを受けている。
彼らは「○○さんは劣化した」などと悪態をつき、ときには執拗に攻撃までします。
その際にも「嫌いです!」ではなく、常に「昔は大好きだったのに、こんなことするなんて許せない!」と表現する。
自分が相手に期待していたという事実。そして裏切られたという(本人にとっての)事実。だからこそ失望したという自分の受けたショック。
それらをどうにかして伝えたい。わかってほしい。
悪いのは自分ではなく「信頼を裏切り、変わってしまったあなたのほうだと気づいてほしい」−−切にそう願うから。
さらには、相手と自分の間には「相互理解」が成立していると思い込んでいるため、「少々攻撃的な言い方をしても、あの人ならきっと私の真意を理解してくれるはず」とまで考えます。
そして、「自分からだけの一方的な信頼に基づく、極めて身勝手な非難」を相手に送ってしまう。
で、それが原因としてブロックされたりした日には、それこそ一生をかけて恨み続ける。
客観的に見れば「会ったこともない人にそんな口のきき方をしたら、ふつー拒絶されるでしょ」っていう状態なのにね。
★★★
私はそういう人を「勝手に失望する人」「勝手に裏切られる人」と呼んでいます。
なぜ「勝手に」かといえば、彼らの大半は、自分を裏切った(と思い込んでいる)相手に会ったこともないからです。
せいぜい SNS で一度リプライをもらった、というレベル。相手から見れば「あんた誰?」な状態です。
そんな状態でありながら「○○さんが不倫をするなんて信じられません!」とか言い出す。
・・・正直、ある程度、仲の良い友達でさえ、不倫してそうかどうかなんてわかりません。
ましてや、会ったこともない人が不倫しそうかどうかなんて普通わからんでしょ?
会ったこともない人に「○○さんが△△するなんて信じられない!」などとまで言える「信頼」を、一体どうやって(勝手に!)築いたのか?
リアルな社会で私たちは、「会ったこともない人」にそんな期待は持ちません。
それがありえるのは冒頭に書いた思春期か、相手が営業目的で妄想をバラまいている場合(身近系アイドルやキャバ嬢&ホスト)だけです。
なのに最近は、ツイッターやインスタグラム、ブログなどネット上の情報だけで、相手にたいして「○○さんと私は完全に意見が同じ! この人はすごく信頼できる!」と思いこめる人が増えています。
★★★
SNS は、妄想を育てやすいメディアです。
たとえ多くの情報に触れているつもりでも、実際にはリアルに会うのに比べ、圧倒的に情報量が少ないから。
いくら熱心なファンやフォロワーであっても、相手の人生や人格や性格の数パーセントも理解できてないのが普通です。
なので読み手はそれを想像力で補うわけですが、「自分を完璧に理解してくれる人が、広いネットのどこかには存在するはず」というネット万能神話によって、
すべての情報が「自分として、こうあってほしいと考える相手の姿」を補強するために使われてしまいます。
そしてある日ひとつでも自分とは違う部分が見つかってしまうと、「あの人がそんなことを言うなんて!」と失望し、裏切られたと決めつけて怒り始める。
★★★
「 9割は共感でき、1割だけしか意見や感じ方が違わない」
リアルな社会ではそんな人にはなかなか会えません。そこまで理解しあえれば、親友やパートナーや起業仲間になれます。
でもネットの世界では、9割は共感でき、1割だけ意見や感じ方が異なる人にたいして大袈裟に失望し、「あいつは堕落した!」とマジメに憤る人がたくさんいます。
彼らが求めるのは 9割の共感ではなく、10割の=完璧な共感だからです。
そして時には「裏切りを償わせよう」とか、「裏切り行為に気づかせて、反省させよう」と思ったりまでします。
こうなると完全な粘着ネットストーカーのできあがりです。
自分の思い込みがズレていたと分かっても普通に「そうなのね」と思えばいいだけなのに、なぜ彼らは失望や怒りをネット上で表現するのか?
その理由は、「期待していたのに」「信頼していたのに」と伝えることで相手の猛省を促し、ふたたび自分の期待に応えてくれるよう、願っているからです。
相手に自分の失望や怒りを伝えれば、相手が再び自分の期待したとおりのキャラクターに戻ってくれると今でも「信じて!」いるのです。
会ったこともないのに・・・
★★★
こういった現象は、「自分を完璧に肯定してくれる人、完璧に共感できる誰か」を探す人の多さを示しています。
遠からずそういう期待に応える AI(付きロボット)が誕生するとは思いますが、少なくともリアルな世界では、そんな人は見つけられない。
だから私たちは、アイドルに、韓流スターに、二次元のキャラクターにそれを求めます。
それは何も悪くありません。
彼らは「商売」として(夢と称する)妄想を売り、客側もそれを理解してお金を払い、現実にはありえない甘美な世界を楽しむ。
エンタメ産業とはそういうものです。
でも、リアルには「自分の完璧な理解者」も「自分と完全に同じ意見の人」もいません。
一時期はそう思えても、長く追いかけていれば必ず「自分との違い」が目に付くようになります。あたりまえでしょ。
もし今あなたに SNS 上でそう思える人がいるとしても、それは単なる妄想です。
勝手に期待した挙げ句、勝手に裏切られ・勝手に失望する人になってしまうと、最悪の場合、「勝手に人間不信に陥る」「勝手に世の中に絶望する」みたいな不毛な状況に追い込まれてしまいます。
「目標は低く」持ちましょう。
すべての考えがあなたと同じ人などいません。あなたの完璧な理解者など、世の中には存在しないのです。
それがわからず、自分の期待に応え続けないという理由でイチイチ批判をしていたら、あなたは本来得られたはずの、多くのチャンスを逃してしまうことでしょう。
「ちきりん」の SNSとのつきあい方などもまとめたブログ運営記です。
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