2020-03-02

思い出す という幸せ

彼女は居ないし収入も低く、自由に使える時間もそれほど多くはない。毎日疲れ果てて家に帰り、健康に悪そうな食べ物を胃に放り投げたら、冷えが厳しい浴室で水圧の弱い湯を浴びる。薄暗い静かな部屋で、安酒を呷りながら明るく賑やかなテレビ画面を眺めていると、いつの間にか眠りに落ちている。そんな毎日だ。

でも俺には、日曜の夜だけのささやかな楽しみがある。「思い出す」ことだ。祖母の家で食べた大きなスイカ。いとこと夢中になって遊んだ競馬メダルゲーム修学旅行友達と乗った保津川ライン下り。塾で目が合った他校の女の子。貯めたバイト代を握りしめて行った地元バイク屋職場で優しくしてくれた、親父と同い年の上司。思い出せる限り詳細に、記憶の縁を辿っていく。綺麗な思い出は、いつだって俺に優しい。

どれもこれも、今となっては戻ることの無い遠い過去だ。しかし、だからこそ貴重なものだ。物の本当の価値に気付くのは、いつだってそれを無くした後なのだ

俺が何となくやり過ごした今日だって、また懐かしく思い出す日曜が来るかもしれない。思い出して、幸せ気持ちになれるかも知れない。そんな思い出がたった1つでもあるのなら、それは幸せ人生だと思う。

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