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世界のつながりを把握して本質を理解するための情報ページです。

日本航空(JAL)123便事件

JAL123便1985年8月12日東京国際空港(羽田空港)から大阪伊丹空港へ向かう日本航空123便(乗員乗客含め524人搭乗)が群馬県と長野県の県境付近の群馬県側(多野郡上野村)に墜落しました。B747型機というジャンボジェット機墜落により500人以上の人が亡くなるという世界最大の航空機事故と言われています。垂直尾翼の破損が墜落原因なのですが、垂直尾翼の破損の口実として圧力隔壁破壊とされています。実際の垂直尾翼破損原因は日米合同海上演習で発射された対空ミサイルです。
 この日航123便事件によって、自分のみでなく他の人にも得がある考えを持つ日本人的思想が更に世界から弱まったように思います。
この事故(事件)には様々な不可解な点があります。専門家の方からの声を元にいくつかの疑問点を解消していきます。悪魔崇拝思想の説明にもある通り、カバールが仕掛ける事件にはいくつもの案件を同時に仕込ませて長年計画を立てているとうことを理解した上でお読みください。

索引
  1. 墜落現場は中曽根元首相の選挙区
  2. 海に不時着をさせなかった
  3. 映画の中のメッセージを読み取る
  4. JAL123便事故の出来すぎた計画

中曽根元首相の選挙区に墜落

中曽根元首相日航123便墜落は群馬県のしかも当時の中曽根総理大臣の選挙区の最も秘境地の山に墜落しました。群馬県は3選挙区となり中曽根元首相の選挙区は当時、群馬県第3区です。この群馬第3区は、高崎市、群馬郡、多野郡、北甘楽郡、碓氷郡、吾妻郡が選挙区域となっており、日航123便が墜落したのが多野郡になります。
県警を使って墜落当日の情報統制を行いやすかったと考えられます。特に村社会などでは地域住民との関係が直接自分の生活に関係するため、事故後の情報統制が行いやすいのと考えられます。

もう一人注目したい人物が糸山英太郎です。日本航空の個人筆頭株主でもあり、2002年から日本航空の顧問に就任しています。
総理大臣・中曽根康弘の秘書経験あり。
1970年(昭和45年) 父・佐々木真太郎と笹川良一が友人だった関係から、笹川の姪と結婚。
2002年(平成14年) 日本航空の特別顧問に就任。

この糸山英太郎は事故後の日本航空へも大きな影響を与えた人物であります。
2004年(平成16年)6月に、長男の太一朗を新日本観光株式会社の代表取締役副社長に迎えた。過去には日本航空の株券を所有し、1998年(平成10年)には筆頭株主になったこともあり、上場廃止まで個人筆頭株主だった。2002年(平成14年)にエグゼクティブアドバイザーに就任したが、経営危機が表面化した2009年(平成21年)にエグゼクティブアドバイザーを辞任した。

海に不時着をしなかった

JAL123便日航123便が緊急事態になった後に、海へ不時着をせずに約18分の飛行を続けて群馬山中へ向かいました。これは、当時実際にパイロットをしていた方からの情報ですが、JAL123便のような状況と緊急事態発生場所であれば(市街地などに二次災害を起こさない目的で)海に不時着をさせるのが常識です。自衛隊機に誘導により群馬の山中まで移動したとのことですが、ここでも矛盾があります。当時のパイロットの訓練には元自衛官の人もいたことと、JAL123便の機長だった高濱機長は元自衛官だったので海に不時着をさせてもらえなかったのが異常です。墜落から20分後には米軍機が墜落現場を確認しており、午後9時頃まで海兵隊ヘリと米軍機が救援活動を展開したが、横田基地の司令部から帰還を命じられ、米軍機は午後9時20分頃に日本の自衛隊機が現場に到着するのを確認してから帰還したということです。しかし、翌朝8時半まで、救援活動は行われませんでした。

元自衛官からの情報によると特殊作戦隊という部隊がおり、その訓練内容は他の自衛官でも全く分からないとのことです。おそらくその部隊がJAL123便事件に関わっているであろうとのことです。この特殊作戦隊は習志野にも所属しており、自衛官から見てもどのような訓練をしているのか、どのような武器を使っているかも分からないそうです。おそらく熊谷にも特殊作戦隊がいるであろうから、その部隊が今回関係している可能性が高いとのことです。

アメリカBチームCIA側からの立場で考えると、消滅したい事案をまとめて一つの事件にして実行するのは容易いことです。
イランへ医療用アイソトープを輸送に関わっていた件です。これは別ページの福島原発事故にもありますが、2011年にも日本からイランへ輸出がされていたのです。

尾崎豊が事務所「アイソトープ」を設立(1990年12月19日) 尾崎豊死亡(1992年4月25日)


映画クライマーズハイにて「グリコ・森永」というセリフがあります。

524人搭乗。

映画の中のメッセージを読み取る

JAL123便墜落事故は米軍による救援を政府が断り、墜落位置の情報も正しいものが伝えられず、県警からは入山禁止の指示が出ていました。群馬県の地方新聞社(北関東新聞社)の記者がJAL123便墜落事故を追う映画です。この映画クライマーズハイにはJAL123便墜落事故当日の不自然な点がセリフとして入れられています。

群馬県警本部でのテレビクルーのセリフ

クライマーズハイ報道マン:「はっきりしねぇなぁ」
カメラマン:「動くしかねぇな。あと今回は前線基地をどうするかなんだよ。」
報道マン:「前線は現場が特定しないと決めらんねぇだろ。後々。あと、よっちゃん達が今藤岡に向かってるらしいから、そっちに任せよう。」
カメラマン:「あっ、よっちゃんたち向かってんの?」
報道マン:「ああ、もう大阪出てるはずだよ。」

群馬県警本部のプレス室での佐山と後輩のセリフ

JAL123便佐山:「ねぇ、長野群馬どっち?」
後輩記者:「埼玉って話もあるんで」
佐山:「えぇ?だって米軍と自衛隊が方位出してるでしょう?わかんないってわけないよね」
後輩記者:「横田もなんとかってナビ使って計測してるんだけどさ、これが結構アバウトでさ、数キロの誤差なんて当たり前だってさ。」

日航123便遭難事故群馬県現地対策本部(群馬県多野郡上野村)

クライマーズハイ県警機動隊:「自衛隊のことはわからないですよ。うちがつかんでる情報は御座山」
消防団:「いやスゲの沢に間違いないんです。」
県警機動隊:「スゲの沢じゃないんですって。」

JAL123便報道マン:「あっ、県警と消防はもう登ってる?」
事務員:「県警の人がまだ山に入るなって言ってるんだよね。」
報道マン:「長野側からは山に入ったって情報もあるぜ?」
事務員:「さあ、わっかんね。」

カメラマン:「自衛隊ヘリ、サーチライト3回点滅。」
報道マン:「どこで?」
カメラマン:「群馬、一時間前だよ。もう分かってんだよ。」
報道マン:「誰が言ってた?」
カメラマン:「消防。で地元の消防はスゲの沢有力って言ってるんだけど、県警が完全否定。」
報道マン:「なんでだ?俺たちメディアを現場に行かせないつもりなのか?」

JAL123便
消防団「俺たちは分かってたんだ。だけど派出所の連中がわざと妨害してたじゃねぇか。」
自衛官「だから派出所じゃないですって。」

JAL123便報道マン「なんか昨日の夜から怒ってましたけど。」
消防団「もうちっと早く来れてりゃ、あと20人や30人は助けられた」
報道マン「えっ、夜は、消防団が夜は危ないからって止めてましたよね。」
消防団「私じゃねぇ。県警の機動隊だ。スゲの沢だってことは分かってたんだよ。」
報道マン「じゃあ夜の時点で出発出来たってことですか。」
消防団「当然だ。ここは俺たちの仕事場みてぇなもんだから、俺たちもよく知ってるさ。」

クライマーズハイ
岸(政治部デスク):「でかい動きがあったんだよ。生存者の一人が事故当時の機内の様子を証言した。」
悠木:「誰?」
岸(政治部デスク):「日航のアシスタントパーサー。」
追村(編集局次長):「証言内容からして垂直尾翼の破損が事故原因として有力となった。」
悠木:「なんだこれ?聞き取りも記者発表も日航じゃないか。なんでマスコミの突撃取材じゃないんだ。」
亀嶋(整理部長):「これで一面トップは決まりだろ。」

日航123便遭難事故群馬県現地対策本部(群馬県多野郡上野村)

クライマーズハイ
報道マン「納得いかない。隔壁なんてそんなレベルじゃないでしょあの事故は。」
クルー「それはまだ分からない。」
報道マン「事故調の言っていることも無茶苦茶だし。国家的な陰謀だねこれは。」
クルー「それは言い過ぎだろ。」

クライマーズハイ
玉木:「調査団のみなさんどこにいるんですか。」
ボランティア:「午後から雨が降ったんでね。今日は東京へみんな引き上げたんですよ。」
玉木:「明日は来ますか。」
ボランティア:「アメリカの合同調査があるってさっき言ってたから。」

クライマーズハイ
佐山:「察官ならYESです。」
悠木:「はっきり認めたわけじゃないんだな。」
佐山:「顔なじみの察官ならYESと言えるんですが、藤波(事故調)とは初対面です。事故調という特殊な役職もあります。どんな時にどんな反応を見せるのか不安が残ります。」
悠木:「100%のYESではないんだな。」
佐山:「100%ではないです。いえ100%なんです。いえ、なんかおかしくないですかねこれ。なんていうか、少しできすぎちゃいませんか。この話。」
悠木:「わかった。」

クライマーズハイ
悠木は圧力隔壁破壊が墜落原因と確証が取れないと判断して、玉木と佐山が追った内容を載せないと判断する。
悠木が自宅で休息をとっていると玉木が上野村から車を飛ばして、悠木の家を訪ねた後の会話。
玉木:「毎日が書いてます。隔壁が事故原因だと打ってます。」
悠木:「すまん。俺が全権でなかったらお前も佐山もスター記者になれてた。」
玉木:「悠木さんの判断は間違ってなかった。そう思ってます。それだけ言いたくて、それだけは誰よりも先に抜きたくて、走ってきました。」
悠木:「俺は怖かっただけかもしんねえよ。」

エンディングでのメッセージ
航空機史上未曾有の犠牲者を出した日航機123便お事故原因には、諸説がある。事故調は圧力隔壁と関連して事故機に旧減圧はあったとしている。しかし、運航関係者の間には旧減圧はなかったという意見もある。再調査を求める声は、いまだに止まらない。

JAL123便事故の出来すぎた計画

  1. 過去に大阪でしりもち事故を起こしたJA8119機材
  2. 1985年に開催されたつくば国際科学博覧会
  3. JAL123便はお盆休み前日の下り夕方の混雑便
  4. JAL123便墜落当日に実施された日米合同海上演習
  5. 墜落現場付近に建設されたダムと地下発電所

過去に事故を起こしたJA8119機材

1978年(昭和53年)6月2日、日本航空B747SR型機機材番号JA8119は、日本航空115便しりもち事故を東京(羽田)発大阪(伊丹)行日本航空115便着陸時に起こしています。伊丹空港(大阪府豊中市蛍池西町)に着陸する際、機体尾部を滑走路面に接触させた事故です。不良着陸後に機体がバウンドしたことで、25名の負傷者を出しましたが死者はいませんでした。この事故における修理ミスが、垂直尾翼破損を隠蔽し圧力隔壁破損を墜落理由へ紐づける要因とも考えられています。

1982年(昭和57年)8月19日、羽田空港発千歳空港行きが、着陸の際に視界不良とパイロットの判断ミスにより滑走路の右に逸脱。第4エンジンが地上に接触、着陸復航(着陸をやり直すこと)した。視界不良の中、機長が副操縦士に操縦を行わせたのは、当時の日本航空の社内規定違反だった。

1985年に開催されたつくば国際科学博覧会

JAL123便国際科学技術博覧会(こくさいかがくぎじゅつはくらんかい、英文表記:The International Exposition, Tsukuba, Japan, 1985、通称・略称:科学万博、つくば万博、つくば科学万博、つくば '85、Tsukuba Expo '85 など)は、主に筑波研究学園都市の茨城県筑波郡谷田部町御幸が丘(現在のつくば市御幸が丘)をメイン会場として、1985年3月17日から同年9月16日までの184日間にかけて行われた国際博覧会です。この博覧会が開催されていた為、関東以外からの最新技術を開発するの技術者などがつくば万博へ大勢来る年でした。

JAL123便はお盆休み前日の夕方下り混雑便

JAL123便が墜落した日は1985年8月12日はお盆休み前日の月曜日です。なぜこの便が狙われたかという分析をすると、搭乗する乗客を選別するためです。これが翌日の便になるとお盆休みに入ってしまい、ほとんどが家族層になってしまいます。つくば万博もあり、出張帰りに利用する人や企業の経営者も利用が多い便でした。この事故により全世界で波及したのがビル・ゲイツ財団で有名なMicrosoft社です。日本IBMに勤めていた人からの情報ですが、当時将来日本IBMの社長になるだろうと言われていた優秀な技術者もこの飛行機で亡くなったとのことです。この事故後アメリカの軍産複合体が一気に技術向上しました。特にトマホークミサイルは1990年からのブッシュCIA長官による湾岸戦争で使われ始めました。

乗員乗客リスト

飛行機の繁忙日の繁忙便についてはファーミングチェックといって、通常よりも早い航空予約の発券期限が航空会社の指示で設けられます。これによりキャンセル待ちや予約済の人を選んで調整することが出来て乗客を選別することが可能です。

JAL123便墜落当日に実施された日米合同海上演習

JAL123便JAL123便墜落事故当日、自衛隊と米軍との合同訓練が行われていました。当時の自衛隊の射撃訓練では民間機を標的として行います。事故当時、JAL123便の近くには謎のオレンジ色の物体が飛んでいたことが後の画像解析で判明しています。。JAL123便パイロットの音声記録でも「オレンジエアー」と聞こえる内容があります。本当の事故原因を隠すために、「オールエンジン」に書き換えられています。そのオレンジ色の物体が垂直尾翼をめがけて飛んで行ったのです航空機を追尾するそのシステムはその後の軍事技術として日本の技術が多く活用されています。
で1985年8月13日午後、護衛艦まつゆきが、相模湾での就役前の公試中の際、前日に生起した日本航空123便墜落事故で事故発生時に事故機から離脱し、海上に落下した事故機の垂直尾翼を偶然発見し回収。しかし垂直尾翼の大半の部分が公表されていません。

墜落現場付近に建設されたダムと地下発電所

JAL123便夜明け後に発見された機体は不自然なくらいに粉々になっており、遺体付近だけがバーナーで焼かれたように炭化しているなど不自然な点が多数あります。JAL123便墜落は夜が明けるまでに数時間しかない状態でした。事故現場から短い時間で回収をしなければならない残骸もあり、運搬して一目に触れないようにする必要がありました。事故後には付近に人が立ち入らないようにする必要がありました。
そして、JAL123便墜落現場付近に南相木ダムと上野ダムが建設されました。南相木ダムは長野県側に位置する日本一標高が高いダムです。上野ダムは群馬県側に位置し神流川上流にあります。二つのダムを同時に建設する口実が必要であり、JAL123便墜落現場の山の中に建設した地下発電所(神流発電所)は、南相木ダム(奥三川湖)から水を落下させた水流で発電する揚水式発電所てす。この落下させた水は上野ダムの(神流湖)へ流れます。東日本大震災の福島原発事故も東京電力が関係していましたが、JAL123便事故についても東京電力が関係しています。





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