広島市南区に残る被爆建物について、所有者の広島県が解体を延期した。戦後七十年以上が過ぎて戦争経験者は減っており、当時を伝える戦争遺産が見直されている。市民の知恵で活用を進めたい。
解体が延期されたのは「旧陸軍被服支廠(ししょう)」。一九一三年に建造されたれんが造りの建物で、終戦まで軍服などを製造した。重厚な外観は専門家の間でも評価が高い。
被爆しているうえ老朽化が進んでおり、耐震工事のためには巨額な費用がかかる。
このため「二棟解体、一棟の外観保存」が決まったものの、三棟全ての保存を求める声が多く出され、県を動かした。
解体の動きが伝えられたことで、被服支廠への関心が高まり、見学会が相次いでいる。国が所有する一棟を含む、全四棟を保存する道を探ってほしい。
戦争に関連する遺跡は、全国で約五万件を数える。原爆ドーム(広島)、旧陸軍の知覧基地跡(鹿児島県)、中島飛行機半田製作所跡(愛知県)、登戸研究所跡(川崎市)などが有名だ。
遺跡に隣接して資料館、博物館が建設されたり、平和公園として一体的に整備されている。
ただ、民間団体の調査によれば、戦争遺跡が「文化財」として保護されているのは三百件程度にすぎない。存在が忘れられ、放置されたままの場所も多い。
戦争を実体験し、語ることのできる人は年々減っている。その分、戦争遺跡は「歴史の生き証人」として再評価されている。
栃木県の酒造会社は、終戦直前に地下に設けられた戦車の製造工場を、酒の貯蔵庫として再利用して、一般にも公開している。「保存と利用」を両立させた例だ。
維持費が保存のネックになることが多い。国や自治体に頼らず、市民が保存資金を集めて戦争遺跡を共有する「トラスト(基金)方式」も使えるのではないか。
自ら従軍経験があった田中角栄元首相は、「戦争を知らない世代が政治の中枢となった時は、とても危ない」と語った。
戦争体験が風化してしまえば、再び戦争の危険が高まると懸念していたのだ。
そこにこそ、戦争遺産の価値がある。次世代に戦争の実態や、悲惨さを引き継ぐだけではない。
歴史を書き換え、都合良く解釈する動きを防ぐためにも大きな役割を果たすはずだ。未来への「財産」として、保存と活用策を共に考えていきたい。
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