# ジェンダー

「ミソジニー」って最近よく聞くけど、結局どういう意味ですか?

それは単なる「女性嫌悪」なのか
江原 由美子 プロフィール

「ミソジニーによる犯罪」?

ミソジニーは普通、「女性全般もしくは一般を、女性であるというそのジェンダーゆえに嫌悪するといった傾向を有する」個人の属性であると理解されている。しかし著者によれば、こうした「素朴理解」は、ミソジニーを、「事実上存在しないもの」「不可解なもの」にしてしまうという。

例えば、「女の子の誰一人として僕に振り向いてくれなかったから、大学の女子学生を無差別に殺した」というような事件があったとする。このような事件は、犯人自身とはまったく関係ない女性たちを、彼女たちが女性であるという理由で殺害したという意味において、ミソジニーという概念にもっとも適合しているように思える。

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しかし、その事件に対して、フェミニストが「ミソジニーによる犯罪」などのコメントをすると、そのコメントに対して、「犯人は心の底では女性を憎んではいなかった。むしろ女性を望む欲望が過大だったから、女性からの拒絶が身に応えたのだ。つまりは女性を憎んでいるというよりも欲していたのだから、ミソジニーによる犯罪ではない」とか、「犯人は女性全般を憎んでいたのではなく、自分が彼女に対して性的魅力を感じているにもかかわらず、彼を無視した若い女性に限って憎んでいたのだから、ミソジニーではない」などの、批判がなされることが多いという。

先述したように、ミソジニーの「素朴理解」では、基本要素として、「女性全般あるいは一般に対する嫌悪」の存在が、必要だからだ。

しかし、女性に嫌悪以外の何の関心も持たない人、あるいはすべての女性を同じように憎むという人が、一体どこにいるだろうか。著者は、そのような「素朴理解」的なミソジニー傾向を持つ人は稀有であろうと推測する。それゆえ「素朴理解は、絶望的に不適切であると考えざるをえない」と結論付ける。つまり、ミソジニーの「素朴理解」にとどまる限り、ミソジニーは、「事実上存在しないもの」「不可解なもの」にならざるを得ないのだと。