超特急のユースケくん推しで幸せでした

推しはじめて約2年と11ヶ月

2020年2月29日

世界で一番大好きだった推しメンが

所属していた事務所を退所したよ。

3年も応援できなかった

 

ユースケくん以外元々

そんなに興味なかったから

これを機に一ミリも興味なくなっちゃって

このグループを見ることもなくなると思います。

 

これはもう今だから書いても誰にも

何も言われないと思うので

たった3年の、むちゃぶら出新規の

わたしの一部の思い出。

ほんとにただの思い出話だから

特にいい話でもないし、

絶対読んでも面白くないし完全に自己満足のわたしのためのわたしによるわたしがいつか

読み返して懐かしむ

 

たったの3年間の思い出です!

何かあればpeing残しておくので答えるかわかんないけどそちらまで!

 

まず休養したとき、脱退発表したとき

全然オタクじゃない人にも、

もちろんオタクにもめちゃくちゃ

心配されたし生きてる?ってすごい連絡来た

そんな簡単に死ねないけど

みんな本当にありがとう。

わたしより悲しんでくれて

それに泣いちゃうよ。

 

 

ユースケくんをすきになったきっかけとか

書き出したらハリーポッターの本くらいになっちゃうので飛ばします

 

初めて接触したユースケくん、

新規だからめちゃくちゃ接触したくて

めちゃくちゃ頑張った。

頑張ったどころかめちゃくちゃ頑張った。

 

ある会場のある部で時間ギリギリになっちゃって、ブースに入ったら、

もうその部が終わったと思って

椅子にうなだれてるユースケくんがいて

びっくりして飛び起きて2人で笑ってたんだけど、わたしがブース出る瞬間

ほんとごめんね!って言ったのをみて

あ、この人のことすごいすきだなって思いました。

 

あみちゃんね、もうまちがえないからねって

言ってループするたび私の名前をよんでくれたユースケくん、

 

もっと早く好きになりたかったなあ

っていったら

あ〜あ!っていう優しくないゆーすけくん

 

ユースケくんにオンリーユーされるのが8号車になったときの夢です!って言ったら

翌日のライブでニヤニヤしながらオンリーユーしてくれるユースケくん

 

ちゃんと喋らなかったら

なにいってるかわかんねーよっ!!って

たまに生意気になるゆーすけくん

 

好きになった当初どこが好きかきかれると、

顔はタイプじゃないし、性格も好きかよくわからない。

それでも私はたぶんこの人!って本能で推しを決めてました。多分

 

ユースケくんにもいうくらい

ほんとに顔以外好きだった!

2年経っても顔が濃くて胸焼けしたもん(笑)

 

ツーショット会をやりながら

ツアー も始まって、

最初はあんなに少なかったのに

ライブに行くたび楽しくて

日に日に増えていく地方のチケット、

TNEのツアーが今でも一番大好きだった。

 

夏にもイベントがたくさんあって

1週間毎日何かしらイベントあって

それでも新規は毎回視界に入りたくて。

死にそうになりながら野外イベント参加して

 

トークイベントで手を振ってくれて

最初で最後の推し被りと連番して

私信だー!って騒いで。

 

ハイタッチで

あみを東京ドームに連れてって

って言ったら

絶対連れて行くって約束してくれた。

 

叶わなかったけど。

わたしはこれからの人生

東京ドームにいくたびに

ユースケに連れてきてもらいたかった。って思うんだろうなあ

 

知らないモブオタク達にあることないこと言われても

ユースケくんはいつも優しくてかっこよくて

超特急の顔で元気で、私の太陽だった。

いつもキラキラ補正かかってた。

むしろ他のメンバーこの頃見えてなかった。

いつもソロライブ、ソロイベントだった。

 

現場に行くのが嫌だなって時も

めんどくさいなって時も0ではなかったけど

いかなくてよかった現場なんて私には1つもなかったから、いなくなってもあまり後悔しなくてすんだ。

 

50人限定のスカイツリーの点灯式イベントだって

ひとりになったオリコンフェスも

1人で始発で行った一日署長だって

私にとって最初で最後のフリラだって

1日がかりのガルコレ系だって

野外炎天下のフェスだって

トークが面白くないトークイベントだって

自チケで一番だって引いたのに買ったっていわれてた

いつも謎に番号がいいHMVのイベントだって

急遽決まった平日のよくわかんないイベントだって

捨て現場なんてなかった。

 

ユースケくんを好きだったあのとき

何よりの最優先はユースケくんだった。

なんとかならないこともなんとかして

現場に駆けつけた。

 

 

 

お金だって時間だってなんとかなるし作れる、

でもこのライブはこの日しかない。

捨てる現場なんてない一年だった。新規だから、本当に必死だった

 

新規で特典会を経験できたのも

ツーショット会が2回とハイタッチ会が1回と

(あとお渡し会もあったな)

だけだったからakolなんて

もう最後だろうなと思ったから

めちゃくちゃ頑張ってまあ

まあ、撮ったな、多分、一番撮ったな

(ユースケ談)

こんなに頭使うことある?ってくらい

頭使ったのも超特急のオタクしてからだった

いつもいい席のチケットとれるように

周りのコネもめちゃくちゃフル活用した

 

あの時お世話になった皆さん

ありがとうございました(笑)

 

身内に不幸があって体調も万全じゃなくて

特典会にいったら、ユースケくんに

元気だった?って聞かれて、

そんな何気ない一言が心底嬉しくて泣いた。(笑)

 

わたし、このとき絶不調で、

ほんとにその時から仲よかった友達数人しか知らないけど、

ほんとにほんとにユースケくんと周りのお友達に助けられてたなあって思い返しても思う。

そんな友達に出会わせてくれたのもゆーすけくんだよ。

 

 

疲れて一言も喋らなかったら

あみちゃんどうしたの!?って驚いて聞いてくれるし

 

声が突然カスカスになって喋れないって言ったら

じゃあ僕が代わりに喋るねって

どうでもいいことばっか喋ってくれて

そして二人で運営に怒られた

(わたし喋ってないのに)

 

絶対思ってないのにカバンかわいいねって褒めてくれたり

 

レーンに人が私しか残って無いときも

ユースケくんはずっと笑って待っててくれた。

(まあそれも仕事なんですけど)

 

ラーメン食べた?とか海鮮丼食べたくない?とかクソしょうもない一言のやりとりで

紙何枚もなくなったけど

ユースケくんの優しさにいつだって助けられたし元気たくさんもらってた。

 

ユースケくんめちゃくちゃ疲れてんのに

今日も一日おつかれさまっていったら

あみちゃんこそお疲れ様だよって

わたししか残ってないユースケレーンで労ってくれた

 

 

いつだってわたしの中心は

ユースケくんで、ユースケでずっとぐるぐる回ってた。

 

一喜一憂ぜんぶユースケくん次第だった

 

 

 

半年以上特典会の期間が空いて忘れられてるなあって思ってたら向こうから名前呼んでくれて

呼び捨てになっててなんなん?ってなったけど

覚えててくれたことが嬉しくてブースでて走って友達に報告した。帰りの飛行機、超特急も同じ飛行機にいたけど一人で泣いた。

 

 

akolの期間中は平日体調壊しながら仕事して

土日に元気に特典会とライブ行ってた

一人で行ったところも多かったけど

現場に行ったら友達がいて楽しかった。

 

最後の京都、最後の公演のakolで

わたしが一番やって欲しいっていってたこと

ゆーすけくんがしてくれてライブ中もちょっと泣いたし

終わった後この期間のこと思い返して

ほんとに胸がいっぱいで友達と

唐揚げ食べながらめちゃくちゃ泣いた。(笑)

今見てもあの時の写真と動画面白いんだけど。

 

 

ユースケくんの変顔で

いつも元気もらってるって言ったら

はちゃめちゃにテンプレだけど

じゃあこれからもあみのために

いっぱい変顔する!!!って

力強く宣言してくれて嬉しかった。

そのあと何枚も頼んでないのに

勝手に変顔になってたのも

今となっては可愛いね。

あの時は文句言ってたけど見返すと

可愛いもんよ。

 

 

ユースケくんに靴おそろだねって

言われた次の日ユースケくんが

その靴履いてるのが写真載ってて

好きで好きで枕に顔を埋めたこともあったし

 

 

街でわたしがユースケくんに気づくより先に

私に気付いて手を振ってくれるところとか、

他にオタクがいないと話しかけてくれるところとか。

 

僕のファンです、いつも来てくれてる!

って周りに言ってくれるところとか。

 

こんなわたしにたくさん優しくしてくれた。

 

いつもわたしをユースケくんのファンだって

8号車さんだって、扱ってくれて心から嬉しかった。

 

 

吉野がやめてから、

6人になってたくさん苦しい思いもしただろうけど、

強くならないとって、見てわかるくらいの

一年だった。

 

膝、もう絶対痛かっただろうけど

どんどん頼もしくなってた。

 

あんなに泣き虫でメンタル豆腐キャラだったのになんかの雑誌かのインタビューで

 

マイナスなことを考えないようになった

考えても仕方ないから

 

的なことを書いてて(あやふや)

胸が苦しくなったもんね

いろんな意味で。

 

 

永遠なんてないけどこの時間は僕の宝物って

歌詞をかいたユースケくん、

いま、彼にとって超特急だった日々は宝物になってるといいな。

 

 

ユースケくん、

こんな私にたくさん優しくしてくれて

ありがとう。

こんなに優しくて大好きな推しにはもう

二度と出会わないと思います。

絶対なんてないけどこれだけは絶対に絶対だと思う。

多分死ぬ間際にユースケくんのこと思い出すと思うな。

走馬灯で親の次には思い出す。

 

ユースケくんを推せて幸せだって

ずっとずっと思ってたけど。

やっぱり幸せだったよ。

ユースケくんのこと思い出すと、胸がいっぱいになるくらい幸せだった。

 

 

口癖のように言ってたけど

ユースケくんはやっぱり私の1番の自慢の推しだった。

 

 

たくさん頑張ってくれてありがとう。

誰よりも優しいユースケくんだから、ファンのため、メンバーのためにずっと頑張ってくれてありがとう。

自分のことはマイナスに言うくせに

周りのことは褒めてばっかりのユースケくん。

 

 

何回もユースケくんはこの世界に向いてないって思ってたし無理ばっかしてる、って思って苦しい時もあった。それでもずっと頑張ってくれてありがとう。この道を選んで超特急ユースケでいてくれてありがとう。

 

 

これからは福田佑亮として今の666倍以上幸せな人生送ってね。

 

 

ユースケくんが足の怪我したのを知ったのは

お休みする一年前で。

ひょんなことで知ってしまって

ライブでは気付けなかったの

めちゃくちゃショックだし心配で

 

ねえ足大丈夫?ってきいたら

こんなの全然平気だから心配しないで!へっちゃらだから!!って言われて

 

どうみても痛そうな顔してたのに

わたしの前ではいつだって

超特急のユースケでいてくれて嬉しいのと、何もできない、ライブ見ててもそんなことに気づかない自分に悔しくて悲しくて泣いた。

まあ今思うと絶対そんな顔見せないでかっこよかったよ。

 

休養してからもこのことたまに思い出して胸が痛んだ。

 

でもそんなユースケくんが大好きでした。

 

ライブでそんな痛そうな顔わかんなかったし。

それきいて気付けないショックで帰り泣きながら帰ったのも思い出、ほんとさ、いつも泣いてる(笑)

 

それでもライブもお仕事も休まず

いろんな外部イベントにも参加して、

めちゃくちゃ僻地の岩見沢とか

暑くて死ぬかと思ったエーネとか

とにかくいろんな意味で死にそうになった蒲郡とか、

飛行機欠航なって死ぬ気でいった念願の秋田最前センターで見たり。

友達と楽しい一年を過ごしたな。

 

とにかくわたしは最前センターが好きで、

一番近くでバッタマンが見たかったから。

 

わたしやっぱりユースケくんの

バッタマンが何回見たって

いつだって初見の気持ちで大好きだったよ。

毎回初見くらいソワソワしてたしワクワクしてた。

もう見られないの、苦しいな。

 

 

まあそんないい席で見るために

前のりもしたし早起きもしたし最前交渉もした。

 

 

もちろん近くで見たって

毎回ゆーすけくんがこちらをみるわけでは

なかったし、近くで見たからなにがある?

って感じだったけどそれでも私は近くで見ることに拘り、熱をかけた。

 

とにかく近くで推しメンみたかった。

 

 

ユースケくん、私ユースケくんに

見えてないんかなって思ったことも

一時期あったけど、ユースケくんに

いつも前にいるからっていわれたとき

あ、目が合った記憶はあんまりないけど

私がいるのわかってるんだ

じゃあ何か求めるなどはいいや!ってなって

途中からあんまり気にならなくなったこともあった

あとたまによくみてくれる時期もあったから

そんな時は普通に嬉しかったし

 

 

 

またあるときユースケくんに

いつも前で見てごめんって聞いたこともあって

そんな時ユースケくんは

いつもがんばってくれてありがとうっていってくれて、

本音はどう考えても

うざかったかもしれないけど(笑)

咄嗟にそんなこと言えるなんて

ユースケくんは優しいなあって。

 

 

こんな自分勝手でわがままで

自己顕示欲しかなくて承認欲求の塊な

私に優しくしてくれてありがとう。

 

 

珍しくわたしにレスしてる

ユースケくんが映像化されたら

何回も何回も見たりした。

 

 

わたしの友達たちさ、バッタマンとかユースケがセンターになる曲でサッてセンター代わってくれてさ!ほんとにみんな大好きだったよありがとう!!!

 

 

 

こうして2019年のツアーが始まって、

 

私はユースケくんの膝のことなんて

忘れかけてたし、普通にめちゃくちゃ楽しかった。

 

いつもと変わらない

元気で明るいユースケだった。

 

euphoriaすごい楽しかった。

新しくできた友達たちもいたし

友達とツアー回っていろんな他方いって

チケトレのおかげもあって最前も前通路も

通路横も前列センターもお立ち台の前も入りたいところは

ひととおり入ることできて、

 

通路横の時私だけ飛ばされたら

どうしようっていつも思ってたけど

ちゃんと私のことも見てくれて、

大好きなバッタマンもセイノーも

ほんっっっとにたくさん見れた。

わたしバッタマンとjesusとsay noが大好きだったな。

 

すきになったころ

下手すぎてみんなに馬鹿にされてた

ペンライトの振り方も上手になったし(多分)

 

もうこの頃になるとライブ楽しすぎて

ユースケ見ずに友達と勝手に盛り上がってたことも多かったし

 

ユースケくんをみた最後の広島のライブ、

最後なんて思ってないから

ツアーTに飽きすぎて緑のツアーTきてて

(これ多分今後も一生言い続ける)

 

手振ってたら気付いてくれて笑って

手振ってくれてにやにやしたなあ。

akolもサイドに来た時ずっと前でこっちむいてて嬉しかった。

わたしやっぱりあそこがすっごい大好きなんだよね。

最後の最後はけるとき、いつものやつやってくれてすごい嬉しかった。

 

fanfareで見たことないくらい

激しく踊ってて

どうした?ってなったけど

推しの顔あんまり見てないから

泣いてたって聞いて悲しいことあったのかな?

くらいの気持ちで東京帰ってきた。

 

でも次の週末は北海道で、もちろんいくつもりで、

 

そしたら翌週オタクとご飯食べてたら

ユースケくんの休養が発表された。

 

あの時ゴールドラッシュで慰めてくれた

ひとまわりほど年下の二人ありがとう。ハンバーグの味しなかったけど、二人がめちゃくちゃ気を遣ってくれて申し訳なかったな。(笑)

 

 

ギリギリまで頑張ってだめになっちゃった

ユースケくんが可哀想で可哀想で、ずっと泣いたし

ほんと誰とも連絡取りたくなかったし

ツイッターもオタクがうざくてブロックしまくったしログアウトした。

いまなら笑えるけど(笑)あの時は悲しくて死ぬんじゃないかと思った。

まあもちろん人はそんな簡単に死ねないけど。

 

すこしあとに

ユースケくんがブログを更新してくれた。

ごめんねって。

ブログ読んでたら悲しかったけど

最後らへんに、マイティソーがでてきて、

鞄から取れちゃったって、めちゃくちゃ

どうでもいい話ししてて、

 

ユースケくんは覚えてないと思うけど

これを買ったとき、特典会で

ユースケくんとおそろのキーホルダーかったからカバンにつけるんだっていったら

おそろだね僕もカバンにつけてるからって言って、そんな話をしたこと思い出して

それからユースケくん、ずっとカバンにつけてたのはしってたけど、

たまたまだろうけど、嬉しくて

そんなこと思い出して帰って1人で泣いた。

 

 

本当のことなんてオタクにはわからないし

オタクなんて心底なんっっっっにもできない。

勝手に心配して待つことしかできない。

その無力さが、ユースケが休養して

一番ショックで悲しかったことだったな。

 

 

こんなに好きだったのに私は何もできない無力なオタクなんだなって。

 

 

アイドルオタクなんて趣味だし、最高の娯楽だし、人生なんてもちろん賭けるものじゃない。

 

それでも私は自分の人生かけて全力で超特急してるユースケのことがめちゃくちゃ好きだったし。

そんなユースケをすきでいる自分がめちゃくちゃに大好きだったし誇らしかったし

そんなこと思えるような対象でいてくれるユースケがめちゃくちゃすきだった。

ユースケ推しのわたしめちゃくちゃ可愛かったしめちゃくちゃ気持ち悪かったしめちゃくちゃかっこよかった。だいすきだった。

 

こんなたかが娯楽、趣味に、全力でいられる自分や友達が好きだった。

もちろん人としてはどうかと思うけど(笑)

 

 

またまた話はそれたけど

 

2019年の冬に

元メンバーが誤爆して

ゆーすけくんの写真見たとき

太っててブスになってたけど

笑顔で安心したなあ。

大嫌いなやつだし信用ならないけど

ユースケくんが笑顔になれるなら

まあいいかって。思ってた、

 

ユースケくんは今まで頑張ってたから

お休みの間に自分のこれからについて

沢山悩んで答えを出してほしいなって。

 

戻ってきてほしいっていうのは

オタクのエゴでしかないから。

 

ユースケくんの人生は

福田佑亮のものだからってずっと考えてた。

 

会えなくなっていいの?ってよく聞かれてたけど

会えなくなる辛さよりユースケくんが辛い方が悲しいって割と本気で思ってた。

 

もちろん会えなくなるのは辛いけど。

 

 

去年の年末くらいに

ユースケがもう現場にきだしてるらしいってきいて

嫌いだった運営がもっと嫌いになった。(笑)

友達には、ユースケの意思かもよって

言われたけど、そんなわけあるかって

ユースケくんの意思かもしれないのに。

復帰までまだ期間あるのになんでもう

稼働させてんだろうって、

 

 

でも、復帰しようと思って

頑張ってくれてありがとう。

 

わかんないけどめちゃくちゃ勇気いりそうだし。

 

すごく悩んだだろうし、

頑張り屋さんで真面目なユースケくんのことだから

みんなに迷惑かけないように、期待に応えようと、がんばったと思う。

よくがんばったよ。

さすがわたしの自慢の推しメンです。

 

 

ユースケくんとの思い出なんてここに書いたのほんの一部で、

ライブに行った回数だけ、思い出があったし

ほんの少ししか応援できなかったけど

それでもこんな私にもたくさん楽しい思い出ができた。

 

ありきたりな言葉だけど

こんなに好きになるアイドル

もういないと思った。

 

休養してから、

このまま辞めちゃうのかな?って

覚悟してたところもあったし

休養した時の方が本当にショックだな。

と思ったけど

 

 

やっぱり落ち着いて考えたら

もうユースケくんのバッタマンは見れないのかとか

ユースケくんの変な顔見れないのかとか

ユースケくんに手を振ってもらえることも

ユースケくんにあんな可愛い顔で見てもらえることも

ユースケくんと一緒に変な振り付け踊ることも、

名前を呼んでもらえることもないのか。と思うと

めちゃくちゃ悲しい気持ちになるし

泣いちゃうんだけど、

 

彼がしたこの選択が最良だったと思うことにする。

 

きっと最良。

これから福田佑亮の人生は

もういいことしか起こらない。

 

これより悪いことも悲しいことも起こらないから安心して自分の人生にぶつかってほしい。

 

これから福田佑亮

絶対絶対幸せになる。

 

一般人になる推しメンに

一般人の私からできることは

ただ願うだけ。

 

幸せになってね。

 

ユースケくん、心の底からありがとう。

最後の世界で一番大好きな推しでした。

 

最後まで運営もオタクもそこそこ大嫌いな

グループだったけど、

 

年の離れた友達だってできたし

遠く離れた場所に住んでる友達だってできた

一緒に海外旅行にいけるほどの

友達もできたんだよ。

紛れもなくそれは超特急のおかげだと思う

 

 

私はユースケくんが大好きだから

ずっと応援してこれました。

ユースケくんとの未来しか見てなかった。

 

 

何回も誰かと別れを繰り返すたびに

永遠なんてないんだとわかっているけど

ユースケくんとの未来は永遠だと思った瞬間もあったよ。

なんの根拠もなくずっとこの景色を見続けるって思ったときもあったし、ユースケくんがどこまでも連れて行ってくれるって確信してた。

 

 

私の中ではどの時間を切り取っても

キラキラの宝物でした。

 

 

福田佑亮くん、超特急だったことを、

たのしかった過去だと、宝物だと思える人生を送ってね、今よりもっとずっとずっと幸せになってね。

 

 

ユースケくんが休んでから

ユースケくんの幸せはなんだろうなって

よく考えてたけど

ユースケくんの幸せなんて

わたしになんかわからないけど

ユースケくんが幸せになれるなら

超特急なんかやめていい、芸能界なんかやめていい

 

 

誰の心配もしなくていいから、

しばらくは自分のことだけ考えて生きてね。

 

 

こちらは

大きめの穴が空いた気分だけど

こんなんで落ち込んでる場合じゃないもんね

少しずつ穴を埋めていくよ。

推しメン辞めても朝はくるし

仕事に行かなきゃいけないし

お腹は減るし猫の世話もしなきゃだめなんよ。

 

死ぬことなんかないから安心してね。

元気でやっていくよ。

 

あんなに毎日毎日オタクやめたいって

話してたけど実際推しメンが辞めて

もうオタクは卒業!ってなると、

やっとオタクやめれる!って気持ちもあるけど

もう一生大好きだった推しメンに

会えない気持ちの方がやっぱり

大きいと思った、わたしは。

これは推しメンが辞めた人じゃないと

わかりえない気持ちだと思うけど。

 

大好きだった人に会えなくなる辛さって

何にも変えがたい辛さだし悲しさだと思うので。

なので、万が一にでも推し被りの人が

ここまで読んでるとしたら、

無理に次の好きな人を見つけなくても

無理に忘れなくても、いつかきっと

素敵な思い出になる日がくると思います。

あんなに素敵な推しメンがいたんだと

笑って話せる日がくると思うので。

だって私たちの推しメンは

誰よりも真面目で

誰よりも頑張り屋さんで

誰よりも優しくて

誰よりも強くて

誰よりも愛されて

 

誰よりも世界で一番かっこよくて自慢の推しメンだったもん。

 

ゆーすけくんも、ユースケを推してた人も

幸せになれますように!

 

これからまだまだオタクする人は

素敵な推しメンに出会えますように。

 

 

は〜ほんっっっとに

大好きだったなあ。

ユースケくんを好きだった日々

これはほんと!うそじゃなく!

毎日キラキラしてた。

年甲斐もなく毎日ルンルンだったよ。まじで。

 

超特急のオタクと運営は大嫌いだったけど

友達とみるライブはめちゃくちゃ楽しかった。

1人で見ても楽しいけど誰かと見る

超特急のライブが本当にすきだった。

だからそれができなくなるのは悲しいね。

もっとみんなでライブみたかったな。

推しメンに見ずに友達見ながら踊ってるとか

バッタマンのおんぶするところで友達を

おんぶしたり、聞いたことないコールして

遊んだりとか、

ああ、さいっこうに楽しかったな。

野外ライブもフェスもスタンディングも毎回死にかけてたけど

毎回みんな命かけてて楽しかったなあ。

 

わたし野外イベントが一番好きだった

ユースケくんが超特急の顔として

ファンじゃない人もたくさんいる前で

力一杯パフォーマンスする姿が

何度見たって大好きだった。

どこ出しても自慢の推しメンだったから

みんなみて!わたしの推しメン!

一番かっこいいでしょ!!!って誇らしかった

 

 

いろんなところに

連れて行ってくれてありがとう。

連れて行ってもらってばかりで

何もできなくてごめんね。

もらってばかりで、なにもできなくてごめんね。

 

知らないところで迷惑だってかけたかもしれないし

嫌なことだってしてたかも。

全て自己満だからうまく応援できてなかったこともあるかもしれない。

気持ち悪いこともしてただろうし

気持ち悪いことも言ってたかもしれない

 

でももうそんな気持ち悪いオタクのこととか

早く何もかも全部忘れて

絶対幸せになってね。

いってることまあそこそこに無茶苦茶かもしれないけど

今までオタクに幸せたくさん与えた分、誰よりも幸せになってね。

何回だっていう、一番幸せになってね。

 

 

ずっと花道歩いてくれてありがとう。

ずっとわたしの0ズレセンターでいてくれてありがとう。

ずっと大好きでいさせてくれてありがとう!

夢をたくさん見せてくれてありがとう。

沢山頑張ってくれてありがとう。

わたしの最後の推しメンでいてくれてありがとう。

たくさん楽しい気持ち、嬉しい気持ち

幸せな気持ちをありがとう。

ほんっっっとに幸せだったし

ほんっっっとにだいすきだった!!!

こんなにすきでいさせてくれてありがとう!

大好きもありがとうも何回言っても足りない!!!  

 

 

明日から超特急ユースケのいない世界になってしまうと思うと

なんとも言えない

喉の奥に何かが詰まって

気持ち悪い気分で仕方ないんだけど

これからもっと日に日に実感って増していくんだろうな。

 

でもね
たったの3年しか好きじゃなかったのに
こんなに楽しく過ごせたのは
ユースケくんのおかげです!  

ユースケくんのおかげで充実した3年でした。

 

世界で一番大好きだった

超特急6号車元気担当ユースケくんの

オタクでいられて紛れもなく誰よりも世界で一番幸せでした!!!!

 

 

オタク人生悔いなし!!!!

 

 

 

 

ユースケくん大好きだったよ

 

ユースケくんもわたしもみんなも

ほんっとうにお疲れ様でした!!!

 

 

 

2020.2.29

 

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