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 被告人がハンセン病患者だという理由で、隔離された療養所などで刑事裁判を開いたのは、憲法が定める法の下の平等などに反する行いだった――。

 70年近く前の裁判手続きの正当性が争われた訴訟で、熊本地裁はそう指摘した。司法が自らの過去の行いを「違憲」と言い切ったことを、重く受け止めなければならない。

 熊本県で元役場職員が殺された菊池事件で、療養所に入るよう勧告を受けていた男性が起訴された。「特別法廷」の審理で死刑が確定。3度の再審請求も通らず1962年執行された。

 最高裁が必要と認めたとき、裁判所の外で開かれるのが特別法廷だ。真にやむをえない事情がある場合に限られるべきなのに、菊池事件ではその検討がされなかった。熊本地裁は、ハンセン病患者であることを理由とする差別で、公開裁判を受ける権利を定めた憲法の規定にも反する疑いがあると述べた。

 特別法廷は77年までの約30年間に113件開かれ、うち95件はハンセン病関連だった。最高裁は4年前、「社会の偏見や差別の助長につながった」「患者の人格と尊厳を傷つけたことを深く反省し、おわびする」との報告書を公表。治療薬の普及などを踏まえ、「遅くとも60年以降の運用は裁判所法に違反していた」とした。

 しかし憲法違反とまでは認めず、最高裁自身が設けた有識者委員会や元患者の団体などから批判を受けていた。今回の判決は、報告書から大きく踏み込んだものとして評価できる。

 隔離政策をめぐっては、01年に小泉内閣が元患者本人に、19年には安倍内閣が家族に、それぞれ謝罪して補償法が制定された。いずれもきっかけとなったのは、隔離の違法性を認めた判決だった。

 人権侵害の救済に司法は一定の役割を果たしてきたが、憲法に照らして自らにも大きな誤りがあったと認めたことは、患者たちの尊厳を回復するうえで重要な過程と言えよう。

 今回の裁判で、男性が裁かれた療養所に暮らす元患者らは、70年前の裁判はやり直す必要があると主張したが、判決は認めなかった。だが当時の裁判手続きは憲法に反していたと断罪されたのだ。検察は公益の代表者として、この指摘に真摯(しんし)に向き合い、再審請求を拒んできた姿勢を改めるべきではないか。

 ハンセン病患者を社会から引き離し、家族らにも辛酸をなめさせた愚行を、二度と繰り返してはならない。始まったばかりの家族への償いを着実に進めつつ、教育や研修、広報でどんな取り組みが必要・有効か、不断に検討し実践していきたい。

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