マレーシアのマハティール首相(94)が突然辞任した。選挙を経た指導者では世界最高齢。国民の人気は高く、親日的な姿勢でも知られるが、後継を巡る政争が辞意の背景。混乱の早期収拾が望まれる。
マハティール氏は一九八一年から二十二年間首相を務め、二〇一八年に九十二歳で再登板した。合わせて四半世紀近い長期政権だ。小食で酒もたばこもやらず、六十歳当時と同じ体重という。
首都クアラルンプールの各所には大きな顔写真が掛かる。本人が市街地を歩くと人だかりができるが、警備の人数は少ない。
最初の首相就任前から日本を頻繁に訪問し、戦後の高度経済成長に驚嘆。特に「個人より集団」を優先するような当時の日本の国民意識に興味を持った。
こうした日本や韓国の戦後復興ぶりを母国のお手本にと、一回目の首相就任時に「ルックイースト(東方)政策」を提唱。日本への留学を奨励して人材育成を図り、日本の経済支援や技術移転を積極的に受け入れた。
首都に立つ八十八階建ての超高層ツインビル「ペトロナスツインタワー」は日本と韓国の企業が一棟ずつを建設したことが象徴だ。
ルックイーストの根底には、マハティール氏の「アジア尊重」の意識があった。一九九七年のアジア経済危機で、自国通貨の統制を進めた同氏と、国際通貨基金(IMF)の介入を主張したアンワル副首相(当時)が対立。アンワル氏は解任、逮捕に追い込まれた。
二〇一八年、両者がよりを戻して政権を奪取し、マハティール氏は「後継はアンワル氏」と公言したが関係は再度悪化。それぞれを支持する連立与党間の闘争が激化し、今回の辞任劇につながった。
マレーシア経済は、強力な指導力を発揮した二度のマハティール政権下などで成長率4~6%と安定的に発展してきた。近年では「(停滞気味の)日本経済をお手本に」の代わりに、個人主義の浸透など「日本の欧米化への嘆き」の声が聞かれるようになった。
しかし同氏は一八年、国連での記者会見で「日本には模範とする平和憲法がある」と述べ、敬意を表明。中国の「一帯一路」をけん制し、東南アジア諸国連合(ASEAN)では重鎮だ。
同氏は、次期首相就任までの「暫定首相」を務める。再々登板の可能性もささやかれるが、後継体制もマレーシア独自の存在感を保てるか注目される。日本との良好な関係も維持してほしい。
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