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【格闘技】

ケンドー・ナガサキさんとの果たせなかった約束… 唯一の心残り

2020年2月26日 紙面から

日米をまたにかけ、ヒールとして活躍したケンドー・ナガサキ

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 「えっ! なんであんな頑丈な男が!」。訃報に接し、思わず絶句した。日本プロレスでデビューし、全日本、新日本でも活躍したケンドー・ナガサキこと桜田一男さん。先月12日、千葉県市原市の自宅で亡くなった。死因は不明、71歳だった。

 けんかをやらせたら最強といわれた。愚直でタフの権化。北海道網走市出身で188センチ、120キロ。日本人選手としては非常にバランスのとれた大型のパワー・ファイターだった。大相撲・立浪部屋時代は網走洋のしこ名で活躍(最高位・幕下13枚目)。1976年10月、全日本で天龍源一郎の米国武者修行に同行して初渡米した。現地で剣道着と顔面ペインティングのケンドー・ナガサキに変身、ヒールとして大ブレークした。

 その後、ランボー・サクラダと名乗って新日本に殴り込み、アントニオ猪木とけんかファイトを展開。このとき口にした「猪木は意外と軽かった」の言葉は、今なお名言としてファンの間で語り継がれている。

 相撲仕込みのちゃんこ料理の腕には定評があった。神奈川県小田原市でスナックをオープン。あるプロレス会場でバッタリ顔を合わせたとき、「大船(当時の筆者の住まい)なら近いんだから来てよ」と誘われた。小田原は都心に出るよりも近かったから、「必ず行くよ」と約束したが、結局一度も顔を出さずじまいだった。長い付き合いの中で、唯一の心残りだ。 (プロレス評論家・門馬忠雄)

 

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