急性感音難聴になったのも大事件でした。本当に怖かった。でも怪我の功名とはよく言ったもので、2週間入院している間に煙草をやめることができたんです。それまでは1日に120本くらい吸っていましたからね。

コンサートのあとに1時間くらい咳き込んじゃうときもあって、このままじゃヤバいと思いつつ、意志が弱くてやめられずにいたのです。あのまま吸い続けていたら、ライブ活動は断念していたかもしれませんね。試練は人生におけるビックリ水みたいなものだという感じがします。

再び歌えるようになって、当たり前だと思っていたことが当たり前なんかじゃないことに気づきました。もっと幸せになりたいと思っていたけど、僕は歌い続けているだけで十分に幸せだったと。生まれ変わったというと大袈裟だけど、以前にも増して、一曲一曲を大切に歌いたいと思うようになりました。

 

デビュー31年目のリスタート

おかげさまで30周年記念ツアーは大成功でした。47都道府県といっても、東京や大阪ならともかく、収容人数が1000人、2000人規模の地方都市のホールをいっぱいにできるか不安だったんです。でも蓋を開けてみたらチケットは軒並み完売。ファイナルとなったさいたまスーパーアリーナもソールドアウト。これはもう、ドーンと大きなご褒美をもらったような気がしています。

同時に、30年続けるというのはこういうことなんだなと、しみじみと思いました。というのも、ファン層が厚くなっているのを感じたから。

デビュー当時から応援してくれている僕らと同世代の人たちに加え、その子ども世代にあたる10代、20代の人たちもたくさん来てくれて。かと思えば、80代とおぼしき女性の2人組が最前列で踊っていたり。

僕らの歌が老若男女を問わず、たくさんの方々に受け入れてもらえているというのは、ある種の奇跡だと思っています。だって考えてもみてください。僕ら、初期の頃は「あくびして死ね!」とか歌っていましたからね(笑)。ま、「奴隷天国」という歌も、あれはあれで非常に完成度の高い名曲なんだけれど。あっ、すみません! なんか手前みそな展開になっちゃって。話を戻しましょう。

若い頃は自分をさらけ出すのはダサいという信念のもと、強がっていました。でもぶざまな自分をさらけ出すほど、みんなは耳を傾けてくれる。きっと「俺だって知ってるよ、生きていくのが大変だってことくらいはさ」としたうえで、「それでも前へ進むしかない、明日からも頑張ろうぜ!」と歌うから、説得力みたいなものが生じるんじゃないかな。