DJ 松永 |
DATE : 2014/12/24 |
インタビュー:伊藤雄介(Amebreak)
「当たり前な話ではあるんですが、まず最初に全員と直接会って、テーマやトラック、構成、色々思うことなどしっかり話し合う時間を多く設けました。極端な言い方になりますが、客演モノって参加MCのモティヴェーション次第で手は抜かれ放題な場合もありまして。だから、MCたちとちゃんと面と向かってしっかり自分の思いを伝えて、信頼関係を築いた上での制作を心がけました。そういうのもプロデューサーの仕事の一環かなと、最近よく実感してます」
1990年生まれ、新潟出身のDJ 松永は、そのキャッチーなサンプリング・センスとターンテーブリスト/DJとしての活動から培った(と思われる)ビート・アプローチのセンスの良さが評判を呼び、近年数多くの著名MCたちにトラックを提供してきた男だ。
2012年に1stアルバム「DA FOOLISH」をリリースして以降、自身作のオフィシャル・ミックスCDに収録された“Daydream feat. KOPERU, R-指定, MUMA, LB, TARO SOUL, TOC”(2013年)も大きな話題を呼び、自身もプロデューサーとして成長を果たした結果、先日リリースされたのが2ndアルバム「サーカス・メロディー」だ。ビート制作歴は3年程度とまだそのキャリアは浅いが、HillcrhymeのTOCやSKY-HI、サイプレス上野らを客演に呼ぶことに成功し、TOCのオフィシャル・ライヴDJも務め、R-指定とのユニット:Creepy Nutsも来年から本格始動する。このインフォからは、なかなかのゴールデン・チャイルド振りが窺えるが……実際に彼と話してみると、かなりのボンクラであることが分かる(笑)。それ故に、彼がブレイクするかどうかは、全国に多数存在するであろうボンクラB・ボーイたちにとってのHIP HOPドリームにもなり得ると思うので、個人的には今後更に飛躍してほしいと願ってやまないクリエイターのひとりだ。
■インタビューに入る前に……いつも、服装がすごい不思議なコーディネートなのが気になってたんだけど……今日は上半身がバッチリスーツにハット被ってて英国紳士風なんだけど、下は短パンにサンダル……。DJ OSHOWみたいな“全部謎”な感じでもないし。
「あそこまで振り切れてはないですね(笑)。俺の場合は短パンとサンダルを取り入れたファッションが好き過ぎてっていう感じですね。17歳ぐらいまでは短パンもサンダルもマトモに履いたことなかったんですが、興味本意で初めて短パン買って以降、目覚めてしまって、もうそこから抜け出せずにいます……。昔は潔癖症が酷くて、家ではドアノブは全て足で開け、毎日床をアルコールで拭き、床に触れる足の面積をなるべく小さくしようと、家では常に爪先立ちで歩いてたくらいなのに……」
■HIP HOP関係で言うと、Illicit Tsuboiさんは冠婚葬祭でも常に短パンだという話は訊いたことあるけど……取り敢えず、今日めっちゃ寒いから気になったので(笑)。
「でも、俺、体弱いんですよね。風邪薬は必ず家に常備してます」
■厚着しなさいよ……なんでこういう風にインタビューを始めたかというと、そういうところからも松永君のアーティスト性--ひねくれてるとまでは言わないけど、ところどころどうかしてるな、と思ってて(笑)。DJのときは裸足なんだっけ?
「そうですね。その方がやりやすいんですよ。よりリラックスして、家でDJしてるときの感覚に近づくんですよね」
■全然潔癖じゃないじゃん……。
「でも、アルコール消毒のウェットティッシュは常に持ってて、DJ終わったら足拭いてからサンダル履きます」
■まあ、潔癖症って、人それぞれとは言うけどね。クラブに置いてあるミキサーのフェーダーとかは?
「あ、それは全然大丈夫です」
■ドアノブはダメだったのに……その理屈で行くと足でフェーダー切るしかないじゃん!って思ってたんだけど(笑)。まあ、この話は前フリの前フリみたいな感じなんだけど、17歳くらいで短パンを履き始めた松永君が、初めてHIP HOPに出会ったのはいつ?
「中2ぐらいですかね」
■短パンより早いのかよ。
「2004年ぐらいですね。友達がRHYMESTER『グレイゾーン』とかMICROPHONE PAGERとかを持ってて、貸してもらったんですよね。それで、RHYMESTERがTOKYO FM系列でやってた番組:『MONDAY MIC CHECK』と『WANTED』を聴いて、そこでゲストに出てたラッパーのアルバムを買ったりして、ガッツリHIP HOPにハマった感じですね」
■でも、ラッパーじゃなくてDJを目指したんだよね?
「最初はラッパーに憧れてたんです。でも、人前で自分の思いの丈をラップに載せて披露するなんて、俺の性格からしてそんな自己主張の激しいモンは出来ない、ってなって(笑)。で、ラッパーに類するモノ=DJということで、DJを始めたんです。なんとも失礼な話ですが(笑)。で、DJ=スクラッチをやるのが当然だと思ってたから、自然とバトルDJを目指していった感じですね。DJ CO-MA君(2006年DMCバトル部門世界チャンプ/09年DMCシングル部門世界二位)が同じ新潟出身で師匠なんですよね。CO-MA君がDJスクールやってて、そこに1〜2年通ってました」
■で、DMCの地方予選に出るんだよね?
「2009年ですね。でも、DMCには一回しか出たことないです」
■先日のR-指定君のリリース・パーティ中、R君がトークでそのDMCでの裏話を暴露してたけど。
「あー初恋の話ですね(笑)。(具体的な話は割愛)……そんなことがDMCの前にありまして。IZOHさんとか見れば分かると思いますけど、DMCのジャパン・ファイナルって本当に神聖な舞台で、バトルDJはこの日のために命を賭けて練習して、地方予選を勝ち抜きに決勝に臨んでるんです。その楽屋裏で俺はDMCのことなんか忘れて、ずっと女のことで頭が一杯で相当号泣してまして……。(笑)俺のせいでもう楽屋の空気は最悪。完全に決勝の舞台を汚しまくってましたね……。後から訊いたら、他のバトルDJからの評判も最悪だったらしいです。バトル自体の成績も当然芳しくなくて。そこからですね、バトルDJの友達が出来なくなったのは(笑)」
■……松永君の“闇”の根源はそのエピソードにあるんだね。そういった“闇”は、少々ベクトルは違えど、松永君とユニット:Creepy Nutsを組んでるR-指定君にも感じられる部分だけど、そういったところで意気投合したの?
「あー、完全にそれはありますね」
■あるんだ(笑)。
「お互いが似た境遇な故に仲良くなって、ユニットまで組んじゃいましたね。でも、アイツは感受性が強すぎて、自らペイン(痛み)を背負いに行ってる傾向もありますけど(笑)」
■松永君の場合は引き寄せちゃう、と。
「でも、そういった部分では合ってるというのはありますね。俺はイヤなことがあっても言葉/アートに昇華できないから、只々精神が病んでDJ活動に支障をきたすだけだけど、アイツの場合はそれがモロに作詞活動に直結してる。『こいつ、本当にラッパー向いてるんだな』って思いますね」
■で、悲劇のDMCジャパン・ファイナルを経て、2012年に1stアルバム「DA FOOLISH」を出すわけだね。
「そうですね。当時は現場もあまり出なかったし、地方にいたこともあり、『どうやってこの状況で全国に名前を上げようか』と考えたんですよね。そこで思いついたのが、トラック・メイカーとしてアルバムを出すことで。それで2011年からトラック・メイクを始めると同時に、アルバム制作を始めました」
■えっ!?素人の状態からアルバムを作り始めたの?
「トラック・メイクのスタートからアルバム・リリースまでの最短距離に挑戦してみたくて。サイプレス上野君とやった“ハズレモンの呪い”とかは、作り始めて2〜3曲目に出来たトラックでした」
■でも、その頃はまだ新潟に住んでたわけだし、知名度も高くない状態だよね?あのアルバムにはZORN(当時はZONE THE DARKNESS名義)とかRAU DEFとかQNとかも参加してて、結構豪華なアルバムだったと思うんだけど。
「CO-MA君から連絡先を聞いたり、mixiで繋がったり、DJ OLDFASHIONさんと地元が同じだったんで、そこから繋がったり、とかでしたね。全く接点のないところから声を掛けにいったりもしました」
■アルバムの作り方もリリース方法も知らない状態で、その行動力は凄いな(笑)。
「マジで何も知らなかったですね(笑)。どうなるか分からない段階で、ひとまずアルバムを完成させて、そこから流通会社に持って行ったんで、ホントにゼロの状態から作りました。東京に行くための上京資金を貯めてたんですけど、それを切り崩しながらの制作でした」
■僕、結構あのアルバム好きなんだよなぁ。特別な仕掛けはないかもしれないけど、サンプリングが軸で、センス良いなー、って当時思った。だから、作り始めの人が作ったアルバムとはちょっと思えない。参考にしたトラック・メイカーはいた?
「ありがとうございます。本当に感覚だけだったので、今聴くと相当荒削りだなって印象なんですが、そう言ってもらえると嬉しいです。当時はDJ OLDFASHIONさんを参考にしてましたね」
■なるほど。所謂ジャジー目なトラックだけど、よりファンク寄りにグルーヴしてる感じは、通じるモノがあるかもしれない。
「あの人よりもうちょっとキャッチーなイメージでしたけど、そうですね。でも、トラック作りの方法や構成、歌詞のトピックの作り方も何も知らなかった状態だった上に、ラッパーと何も打ち合わせもせず、トラックをラッパーに投げては録音したものが帰ってくるという一往複しかしておらず、まったく“プロデュース・アルバム”って感じではなかったですね。曲作りのノウハウをまったく知らなかったとは言え、今思うとゾッとします(笑)」
■バトルDJ活動を通して学んだテクニックやセンスは曲作りに活かされてる?
「んー、今までの曲ではあんまり活かされてないかもしれませんね。まったく別のマインドで作っているというか」
■曲でもほとんどスクラッチとか入れないもんね。
「今まで敢えてコスらないようにしてたんですよね。バトルDJのストイックなイメージではなくて、トラック・メイカーとしての音楽性を評価されたい願望が強かったんです。でも、今はそういった考えとは変わりましたね。Creepy Nutsではちゃんと自分の武器を生かしたような曲作りをしようと思ってます。DJのスタイルとトラックのスタイルが離れすぎてたので、もう少し近づけようかな、と」
■去年、オフィシャル・ミックスCD「HIPHOP-DL presents: THIS TIME VOL.2」が出て、その中のエクスクルーシヴ曲“Daydream feat. KOPERU, R-指定, MUMA, LB, TARO SOUL, TOC”が話題を呼んで、あの曲が松永君の名を大きく上げたきっかけだったと思うんだけど。
「そうですね。『DA FOOLISH』を気に入ってくれたレーベルの方からミックスCDの話が来て、その中で一曲エクスクルーシブを作ろうという話になりまして。あの頃って、今よりマイク・リレー物が注目されやすい時期でしたよね」
■“I REP”とか?
「そうですね。マイク・リレー物が出れば、メンツの豪華さや組み合わせの妙なりで、注目を集めやすかった。“Daydream”はその中でも遅かった方だと思うんですけど、割とその流れのラスト・チャンスじゃなけど、ギリでまだいけるタイミングかなと」
■でも、所謂マイク・リレー物で使われるようなトラックじゃなかったよね。
「マイク・リレーは基本、一曲の良さというよりは、個々のラップや企画としても面白さ勝負になりがちだったので、しっかりテーマ決めて、『良い曲っぽい』やつを作ろうと思って。急にだいぶ雑な言い方になりましたね(笑)」
■……良い曲“っぽい”って、作り手側が言うべきことなのか……(笑)。
「(笑)一曲を通して歌詞をしっかり聴いてもらって、多くの人に共感してもらえるような曲が作りたいなと思って。色んな人が自分に置き換えることが出来て、現実味のある少し悲観的なテーマで。複数人数がいるマイク・リレー物だと話がまとまりづらいし、登場人物が多くなりすぎて難しいのですが。でも、結果今までのマイク・リレーとは一風違った仕上がりになったなとは思います。この曲のリリース以降は、鬼さん、KEN THE 390さん、サイプレス上野さん、晋平太さんとか色々な人たちにトラック提供をさせてもらう機会が増えました」
■……面子、凄いじゃん!
「TOCさんのライヴDJをやるようになったのも、“Daydream”がきっかけだったんですよね。今があるのは本当にこの曲のお陰というか。ミックスCDの話をくれたスティール・ストリートの佐藤さんには感謝してもし切れません」
■今作「サーカス・メロディー」は、「DA FOOLISH」の制作過程を聞いたら納得するんだけど、前作と全然作風が違うよね。
「そうですね、プロデュースという面で全然作り方が変わりました。当たり前な話ではあるんですが、まず最初に全員と直接会って、テーマやトラック、構成、色々思うことなどしっかり話し合う時間を多く設けました。極端な言い方になりますが、客演モノって参加MCのモティヴェーション次第で手は抜かれ放題な場合もありまして。だから、MCたちとちゃんと面と向かってしっかり自分の思いを伝えて、信頼関係を築いた上での制作を心がけました。そういうのもプロデューサーの仕事の一環かなと、最近よく実感してます。あと、R-指定と出会ったのがデカイかもしれないですね。Rは相当な研究家というかラップオタクでして。『このトラックだったら◯◯さんはこう載せる』とか教えてくれて、しかも実際帰ってきたのが、ほぼほぼそのまんまだったり(笑)、テーマも相当練る方なので、そこも影響受けました」
■今作もサンプリング・ベースのトラックだよね?サンプリングに関して何か拘りはある?
「今までは良くメロディに拘ってました。自分の中での流行りは時期によってだいぶ変わるんですよね。最近は、ライブラリ物のレコードからサンプリングして、ドープなトラックを作ったりとか、大胆にチョップした物を作ってみたりとか。ちょっと前は、ソウルばっかサンプリングしてましたね。今作に関しては、サンプリングだけどキャッチーなモノを作ったつもりではあります」
■“Daydream”は多数のMCが参加してたけど、今作は一曲いちアーティストという形態だよね。
「確かにマイク・リレー物を作るつもりはなかったですね。企画としての面白さはあると思うのですが、本当に良い曲を作るとなると、一組のアーティストとしっかりテーマから練り上げた上で、その人の世界観を出してもらった方がいいかなと思いまして」
■フィーチャリングの人選はどういう風に決めていった?
「キャッチーな人ですね、やっぱり」
■それは、キャッチーな曲を作れる人という意味?それとも、存在自体がキャッチーな人ということ?
「前者ですね。上野さんとか、歌わなくてもラップだけでキャッチーじゃないですか。キャラもそうだし、言葉選びや語り口とかも、すごく耳に残りますよね」
■サイプレス上野との“はじまりのメロディーは”ビートレスで続くトラックの構成も面白いよね。
「上野さんとはシリアスな“泣き”の曲を作りたかったんです。上野さんはやっぱりキャリアも長く、経験も豊富で言葉の重みもありますし、上野さん独特の等身大でリアルな語り口ってあると思うんです。そこで、今回はフック/サビなしで上野さんの音楽人生に触れる様な一本のストーリーにしようと思ったんです。構成は、フラワーカンパニーズの“エンドロール”という曲を参考にしました」
■今作は、よりプロデューサー的側面を出したアルバムのようだけど、具体的にどういう制作行程だった?
「人によるんですけど、『このトラックで!/テーマで!』ってお願いしに行った人もいますし、打ち合わせで一緒にゼロの状態から作っていったりもしましたね。TOCさんとの“ミスターキャッチー”のテーマは、普通のボースティングではなく、TOCさんだからこそのアイデンティティを語られているような曲がいいと思いまして。TOCさんの強みを色々考えてたら、やはりその“キャッチーさ”なのかな、ということになり、それをそのまま曲にしようと作っていった感じです。コッペパンとの“すれ違い狂想曲”は、『コレは完全にコッペパンだ!』って思ったトラックを作って彼らに渡して、『100ふざけてもらって、100本気でスキルを出して下さい』って伝えて。最初は“落語”の曲を作ろうとしたんですけど、色々こねくりまわした結果、『難しいな』ってなって(笑)。最終的に、アンジャッシュの『すれ違い』コントから着想を得て、最初は同じこと話しているつもりが、最後で『お前、その話だったのかよ』ってオチが来るような曲になりました。SKY-HIさんとの“知らなくていい”は、SKY-HIさんに頼む前から彼とエロい曲を作りたいと思ってたんです。なので、俺が考える……エロそうなトラックを作り……(笑)」
■煩悩の塊のような松永君が、本当にモテてるであろうSKY-HIにエロいトラックを提供する……そのプロセス、屈折してるなあ(笑)。
「SKY-HIさんに頼む前から『エロいMV作るぞー!』って思ってました(笑)。FAKE-ID a.k.a. FRAMEの“So Fresh”に関しては、テーマも彼に任せて、プリプロ終わってからブラッシュアップに相当時間をかけましたね。彼のようなタイプのラッパーは、俺が色々言ってテーマを限定するよりそっちの方がいいと思ったんです。Jambo lacquerさんとの“あいにゆく”は、あまり直接表現のない、詩的なラヴ・ソングが作りたかったんですよね。俺はLIBROさんの“軌跡”が好きなんですが、あの曲は割と直接的な表現が多いけど、表現がもの凄くオシャレで。そういったイメージを伝えながら、トラックも含めJamboさんと話しながら作っていきました」
■今作では、コッペパン/ソロ名義でR-指定が二曲で参加してるけど、彼とは今具体的にどういう活動を行なっている?
「まだ準備段階なんですけど、来年からCreepy Nuts(R-指定 & DJ松永)という名義でガッツリやろうと思ってます」
■彼との制作は、他のアーティストにトラックを提供するときより密に作業をしていると想うけど、具体的に彼との作業はどんな感じ?
「そうですねぇ……」
■前々から感じてたんだけど、僕がR君と話すときは彼が松永君の悪口を言ってて、松永君と話すときはR君の悪口を聞くことが多いんだよね……。双方からそれぞれのダメな話を聞かされるこちらの身にもなってほしいんだけど(笑)。
「それは完全に俺らの性質なので、理解した上でお付き合い頂けると(笑)」
■かと言って不仲というわけでもなく、仲良いからこそなんだろうけど、ふたりの話を総合すると、相当ダメなユニットにしか思えなくなる(笑)。
「最近はお互いのネガティヴ・キャンペーンに精を出している最中ですね」
■おかしいでしょ、それ(笑)。
「互いに足を引っ張り合ってる状態です。まあ、それが俺らの愛情表現みたいなところがあるんで(笑)。俺らにとってはこのふたりとしての活動がベストな選択肢なのかな、って思ってます。どっちが欠けても成立しないし、ふたりが合わされば本当に色んな可能性が見えてくるんです。しかも、このタイミングでゼロからCreepy Nutsを作り上げていくのが楽しみで仕方ありません」
■来年以降はCreepy Nutsとしての活動中心になるみたいだけど、その活動の先に見ているヴィジョンはどんな感じなの?
「Creepy Nutsとしての成功ですね、ソロでの成功より。何だったら、ソロ活動は極論やらなくていい、ぐらいに思ってます。極論ですが。元々はRHYMESTERに憧れて日本語ラップに入った人間だから、HIP HOPグループとして成功するのが夢だったんです。そして、ソロで色々な活動をしていく中で出会った最高のラッパーがR-指定だったんです。なので『本当の活動はこれからだ』くらいに思ってます」