宮内庁は9日、昭和天皇の生涯を記録した「昭和天皇実録」の内容を公開した。実録には戦時期に天皇が神前で戦勝を祈願した「御告文(おつげぶみ)」の原文が初めて掲載され、終戦直前の1945年7月末から8月初めにかけて祈願が行われていたことが分かった。意図をめぐり昭和史に新たな謎を提示しそうだ。
天皇は6月22日の御前会議で戦争終結検討を指示、7月にはソ連を仲介した和平工作が進められており、終戦不可避の状況だった。専門家は「この時期、天皇は終戦を決意していたはずなのに、なぜ戦勝祈願なのか謎」と話している。
実録は昭和天皇の生涯の動静を記録した唯一の公式記録集。1901年の誕生から89年の死去、大喪の礼までの出来事を、側近の日誌や公文書、関係者の日記など約3千点の資料をもとに年月日順に記述した。分量は全61冊(計約1万2千ページ)に及ぶ。
御告文は天皇が宮中三殿や伊勢神宮などで奏する神道の祝詞で、天皇の勅使(使者)が代理で奏するものを御祭文(ごさいもん)という。
昭和天皇実録には大正期も含めて11の御告文・御祭文の原文が掲載され、太平洋戦争開戦直後の41年12月9日の宮中三殿での宣戦の親告、42年12月12日の伊勢神宮での戦勝祈願などがある。
不可解なのは45年7月30日に大分県の宇佐神宮、8月1日に埼玉県の氷川神社、同2日に福岡県の香椎宮に勅使を派遣し、「敵国の撃破と神州の禍患(かかん=災い)の祓除(ばつじょ=払い除く)を祈念」したという御祭文。
実録にはこのほか、2006年に日本経済新聞が発掘した故富田朝彦宮内庁長官の日記・手帳の記録「富田メモ」が179カ所で典拠資料として明記され、宮内庁が資料としての信頼性を認めた。
新事実としては天皇の幼少期の手紙・作文、23歳だった25年1月22日に鼻炎治療のため手術を受けたこと、戦前・戦中の政策決定などについて側近に聞き取らせた「拝聴録」に、これまで知られていなかった部分があったことなどがある。
宮内庁は1990年度から実録の編さんを始め、当初は16年で終える予定だったが、新資料の発見などで2度にわたり延長し、完成までに24年余りを要した。これまでに明治天皇紀や大正天皇実録など、7つの実録が完成している。