年の瀬に色々あったので、改めて総決算ということで、私の創作物に関するスタンス(けもフレに限らず)を、表明させていただきます。過激な表現は排しましたが、強い言葉もいくつかあるので、あらかじめご了承ください。
私の創作に関する考え方は、要約すると以下の通りです。
(1)二次創作において「権利」は全てに優先する
(2)権力や暴力など「実行的な力」で表現は制約を受けるべきではない
(3)「面白さ」はその作品が存在する時代の社会によって選択されていくべき
(1)二次創作において「権利」は全てに優先する
これは、私がコンテンツ産業で働くサラリーマンであることが、深く関わっています。商業制作物とは、多くの人が集まり、自分たちに足りない能力やバックボーンを補い合うことで、大きな事業の成功を目指していくものです。
彼らは、時に金を、時に創造性を、時に人脈を、時に交渉を……あらゆる対価を出し合い、一つの作品を作ります。これは「色んなものを出し合った関係者が、皆で協力して幸せになるための活動」に他なりません。
集団制作物とは、貢献の割合に差があろうと、誰か一人の手柄になることはあり得ません。その配分についてはもちろん考慮されるべきですが、そこに関しては予算の規模感や制作側の提示した条件などが絡んでいるため、当事者同士で納得のいくまで協議すべきで、外野からは特に意見はございません。
製作委員会とは、出資による収益回収のほか、その関連展開を各企業の得意分野を生かして手広く行っていくための仕組みです。みんなが幸せを志向し、チームで戦っているのです。もし、自分一人だけが評価されたいなら、制作は元より流通もマーケティングも一人でやるべきでしょう。
本来的にいうと、二次創作とはこの枠の外、在野の人間が自身の愛着を根拠に勝手に進めている創造活動であり、その存在に一切の正統性はないものです。それは、ライセンスを取得していない二次創作全てに言えます。
それが認められるのは「原作への広報効果(摘発のファンに与える心象面でのリスク)」によるものと言われています。つまり、権利者の「利益」あるいは「不利益の回避」のために行っている黙認であり、これがグレーと呼ばれる所以となります。
けものフレンズは、ここに対して明確なガイドラインを制定しており、その範疇での創造活動を容認しています。このガイドラインは、小規模な収益やアダルトも認め、厳格にしすぎず一部ぼかしていたり、かなり同人界隈に配慮した、寛大なルールとして制定されています。
著作権とはIP(知的財産)であり、詰まるところは出資者が金や時間や努力を集めて作り上げた「財産」です。KFPは関連する複数企業で構成されたIPの権利者であり、彼らやクリエイターが苦心して作り上げた物が「けものフレンズ」という世界です。
立場上、私は作品に何の権利も持たない、IPを勝手に間借りする在野のファンに過ぎません。その分を弁え、公式関係者の利となると思える範囲で、私なりの愛の形を表現していければ、そう考えています。
(2)権力や暴力など「実行的な力」で表現は制約を受けるべきではない
「面白さ」というものはユーザーが判断する物であり、その結論は時に残酷にクリエイターに牙を剥きます。私は、作品が批判に晒されること自体は(私が好きな作品でやられると極めて不愉快ですが)やむを得ないと考えています。
二次創作も、創作としての独自価値を追求すると「一次創作時点でやられていないネタ」を追求せざるを得ず、「見たかったのに見られなかった展開を作る」という趣旨になります。そうである以上、二次創作とは多かれ少なかれそれは権利者に対する批判的な一面も内包してしまう、カルマの深い表現欲求であると思います。
それを一律的に「やめるべき」と主張するのはある種の暴論になってしまうでしょう。あらゆる感想は自由であるべきです。(良識の問題として、聞かせる相手の心情には配慮すべきですが)
ですが、それが「権力」や「暴力(名誉の毀損等も含む)」により「表現すること自体を不能にする」となると話が変わります。私はそうした行動には断固反対の立場をとっています。
……ですが、一部の方は私が「暴力的に他作品を抑圧しようとしている」という被害妄想に取り憑かれているようなので、この話の続きは(3)に絡めて、もう少し詳細に補足していきます。
(3)「面白さ」はその作品が存在する時代の社会によって選択されていくべき
威力により表現を弾圧しなかったとしても、作品には「排除する力」が働くことがあります。それは「無関心」という「欠乏によるダメージ」です。率直に、つまらない作品はユーザーから関心を持たれず、自然と消えていきます。
私の倫理観や価値観の上で「存在して欲しくない作品」は存在します。ですが、その排除に「実行力」を使うべきではありません。私の見解として、どんな唾棄すべき作品も、まず一旦世には出せるべきです。
その上で「唾棄すべき物」を、多くのユーザーが「評価に値しない」と一蹴し、市場から淘汰されていくべきであると考えており、クリエイターの使命は「自分の許せない価値観を淘汰し得る、新たな価値観を提示すること」にあると考えています。
二次創作から目を離すと、昨今ではSNSで人権問題・男女差別・同性愛差別・民族差別・世代間対立・動物の尊厳・環境問題・政治思想……などなど、あらゆる立場の人が、自身の立場を冒す表現に対し声を上げたり、社会運動を起こしたりしています。
時代の流れは、常に新しい世代に「倫理観のアップデート」を求め、それが軋轢となり数多くの議論や衝突が発生しています。そして、最終的に「道理にかなっている見解」は生き残り、商業的な需要と一体化していきます。
例えば、昔と比べると「男尊女卑な振る舞いをするキャラ」が前時代的に見えたり、「同性愛を嘲笑する意図のギャグ」が受容されにくくなったり……といった物があり、「表現は常に時代に伴いアップデートされ、他者を徒らに虐げる表現はいずれ市場的にも淘汰される物である」という認識を持っています。
私は、私の信条として「権利者や表現を軽視する作品」……特に「攻撃を意図した文脈で形作られた作品」を快く思っていません。そのために、私は私自身の表現を持ってそれらを淘汰し、二次創作という分野の認識をアップデートすることが、私自身の二次創作者としての使命と認識しています。
ですが、その内容は「ヘイトへの攻撃」であってはなりません。なぜなら「そんなものは面白くもなんともなく、市場的な価値を持っていないから」です。いつだって、娯楽は「楽しさ」をが牽引するものです。
つまり「ヘイトの無意味さを理解できるほど、原作の楽しさを伝えられる内容」を提供し、「誠実さ」と「楽しさ」をもって、そうしたヘイト的被造物との競争に打ち勝つこと。それが、原作のより一層の発展を願い、ジャンルを思う存分に満喫したいと考える、一介のファンである私の願いです。
というわけで、私は今後もこれらの信念の元に活動を続けていきます。
自分の気に入らない相手に対して無益な圧力をかけることより、自分のより良いと思う作品を、世に問うことに注力し、結果的に自分が愛する「誠実で楽しい二次創作」が競争の中で生き残る、活発な創作コミュニティになってくれれば、そう考えています。
それでは、長くて堅苦しい文章になってしまいましたが、最後に私の来年の二次創作の上での抱負を語り、この話を〆させていただきます。
「けもフレファンの皆様と、もっとこの魅力的な作品世界を追う楽しみを分かち合えるような、そんなファン創作を続けていきたいです。」