[3-33] 踏まれた猫の逆襲
旅の空、ゴーレムの肩の上で授業は続く。
「私たちには、ほんの少しでも創世の神秘の力が宿っているとおっしゃいましたね。
では、その力を使って戦うことはできないのでしょうか」
「お? いーとこに目ぇつけるじゃん。それそれ、できなくはないの。
ただ、そんな出涸らしみたいな神秘の欠片で奇跡を起こそうって考えても簡単じゃないのよ」
エヴェリス先生はどこからともなく伊達眼鏡を取り出し、それを掛けてキラリと輝かせる。
よく分からないが気分が乗っているらしい。
「人の身で奇跡を起こそうと思ったら、『奇跡を起こすための道具』として自らを特化させなければならない。己の在り方が極限まで研ぎ澄まされた時、ようやくその魔法は使える。
神秘の力による、魔法ならざる魔法。それを……
気迫のようなものを感じて、ミアランゼは唾を飲んだ。
奇跡を起こす魔法。確かにそれはとんでもない話だ。
「これが使えるかどうかは、本当に天分だよ。どんなに魔法の才能が溢れていても
あとね、何か一つのことを強く信じて願う気持ちが無きゃダメでさ、魔女さんみたいにチャランポランだとぜーったい無理」
「あなたでも……なのですか?」
「そうそう。普通の魔法だったらいくらでも使えるんだけどね。
魔法の手ほどきを受ける中で、エヴェリスがどれほどの術師なのか、素人同然のミアランゼにもなんとなく分かっていた。
本人曰く『人の魂の極限まで魔法を鍛えた』とのこと。おそらく魔法知識だけでも、彼女はこの世界で五指に入ることだろうけれど、実践においても卓越している。
蓄えている魔力量だけならミアランゼの方がエヴェリスより上だろう。しかしエヴェリスはどういうカラクリなのか、ミアランゼが魔力切れを起こすような大魔法を平然と使ってのける。
人智を超越した技巧の持ち主だ。そのエヴェリスですら、
「おまけに
私が知ってる事例の中で一番わけわかんない
「それは……奇跡ではありますが、用途は限られますね」
「でしょ? そのくせ大抵、一発使うだけで命懸けになるレベルの魔力消費と体力的消耗があるんだ。魔力切れで死ぬか、足りてても術師として摩耗して死ぬんじゃないかって話でね」
何が面白いのか、エヴェリスはカラカラと笑いながら説明した。
世の中そんなに甘くはないさと、笑い飛ばすかのように。
「ま、アテにするようなもんじゃないよ、
訓練して身につくものでもなし。偶然使える人材を拾ったらラッキーって程度かな」
* * *
そこは、どこか広々とした洞窟の中のような場所だった。
白々とした光に満ちた空間は、壁も天井も植物の根のようなもので構成されている。
そこに武装したエルフたちが、そしてエルフの姿をした光の人影……『似姿』が居並んでいた。
皆、武器を構えてミアランゼの方を見ている。
漏れ聞こえた話と状況から、ミアランゼは事態を八割方理解した。
愚かなエルフ共がルネを消し去らんとしている……
「今です、やりなさい!」
偉そうな巫女装束を着た女エルフが無機質な声で号令を出した。
それと全く同時、異常なほど寸分の遅延も無く、光の人影が一斉に矢を放つ。
流星のような矢がミアランゼ目がけ、全周囲から殺到した。
――この身など、この場で朽ちても構わない。
ミアランゼは両腕に互いに爪を立て合い、そして、メイド服の袖ごと引き裂いた。
蒼白な肌にくっきりと赤い傷痕が刻まれて、そこから波紋のように血煙が立つ。
うねり逆巻く血煙はミアランゼを取り巻いて、飛来する光の矢を掻き消した。
光の矢に遅れて、生身の戦士たちも襲いかかってきた。魅了の魔眼は……効かない。この場所そのものがアンデッドとしての能力を抑制しているようだ。
それでも完全に無力にされていた先程までの異空間とは違う。戦う力はある。
獣骨と革の鎧で武装したエルフの戦士が約二十人。その剣に、矢に、忌まわしき光が宿る。
――姫様を……ルネを、お守りせねば。そして、その道行きを阻む者らに……等しき苦しみを! 等しき滅びを! 等しき死を!!
ミアランゼが手を振るう。
その手で示した先、血煙が巨大な爪の形を得て一閃する。先頭の戦士が一振りでブツ切りにされた。
宙返りで飛来する矢を躱し、更に羽ばたいて跳躍の軌跡を変えつつ錐揉み回転し、次の矢を回避する。
「天よ! 地よ! 神よ! 人よ!」
ミアランゼは咆えた。咆え駆けた。
両手を広げるように脇に払う。赤黒い霧がミアランゼの周囲を払い飛ばすように旋回し、左右から同時に迫った二人がそれぞれ血煙の爪に切り裂かれて真っ二つになった。
獣骨の剣はミアランゼに届きもしなかった。
「貶め、踏み躙り、奪い!
欺瞞と偽りに満ちた正義を掲げ!
流れる血と涙を飲み
エルフの巫女がミアランゼ目がけて魔法を放つ。矢ではなく砲弾と表現した方が適切であろう光の塊が迫る。一つ二つ三つ、そして数え切れないほど。とりどりに輝きながら、各々違う軌跡を描いて。
掻い潜り、進路上の光弾を血煙で相殺し、ミアランゼは巫女目がけて突っ切る。狙いを外した光弾がミアランゼの背後で炸裂した。
……否、全てが無駄になったわけではない。急旋回して背後から迫る魔法の気配。
薄れつつある血煙を背後に回す。炸裂。相殺。
巫女とミアランゼの間に割って入る戦士たち。メイド服に仕込んでいた剣をミアランゼは抜き、背中から引き出した。
足形が付くほどの踏み込み。力任せに斬り伏せられたエルフの戦士が一人。
残りの相手は、間に合わない。
獣骨の剣がミアランゼを捉えた。
魔法によって加工された剣は信じられないほどの鋭さでミアランゼを貫く。腹から背中に抜けた三本の剣。宿るは秩序の力。不浄なるもの、邪悪なるものを否定する……薄っぺらな、神の真似事。
「この私の怒りさえ、飲み乾してみせるがいい!」
串刺しにされながらもミアランゼは咆えた。
怒りがミアランゼの血を燃え上がらせる。
粘着質な赤い涙がミアランゼの目から流れ落ちた。
身に余るものなど何ひとつ願ったことは無かったのに。
父と母と、家族三人で静かに暮らしていたミアランゼは『密猟者』によって両親を殺されて、それからずっとおぞましき生を強要されてきた。それは、確かに理不尽な悲劇だった。
だがそれ以上にミアランゼの心を苛んだのは、ミアランゼにとっては全てを奪われるような悲劇であっても、それがこの世界にとっては真白い砂浜で黒に染まった砂の一粒のように、どうしようもなく小さな出来事なのだと感じたことだった。
力のある者は弱い者を食い物にして憚らず、しかし、しかし……そのような不条理がまかり通っているというのに、世界は何事も無いかのように動いているではないか!
正義。秩序。平和。幸福。
輝かしく取り繕われた世界の下で、顧みられることなく潰れて死んでいく人々が居て。それを、『捨てられたのだ』と言おうが、『犠牲になったのだ』と言おうが、本質は変わらない。
自分を襲った悲劇がこの世界の中でどれほど軽いものだったのか……悟ってしまった時、ミアランゼは絶望し、そして消えることのない怒りの炎を抱いた。
ならば、思い知らせてやろう。その犠牲がどれほど重いのか。
当たり前のように動いている世界を全て叩き壊し、この痛みを知らしめよう。
……そのためにミアランゼは戦うことを決めた。爪と牙をルネに預けた!
地が揺らぎ、赤黒い塵が舞い飛んで。
霊樹はミシリと、悲鳴を上げた。
「
> 踏まれた猫の逆襲
実在するピアノ演奏曲の曲名です
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