香塵堂書庫

虐待考察

Jly 1, 2012 11:00 pm

許しがたい言説の数々

「すべての体験は糧になる」 「減るもんじゃなし」 「前世で悪いことしたせいね」 「子を愛さない親はいないよ」 「本当に絶望した人は生きてない」 それ以上、でたらめ言わなくていいわ。知らない人でも逆鱗に触れたら殺してしまいそうになる。

大人が子どもの性を搾取する時、それは殺人行為に匹敵する。性器の損傷によるダメージはもちろんのこと、辱められた記憶と不快な皮膚感覚は、百年癒えぬ傷となって子どもの人生に影を落とす。その影は決して晴れることがなく、子どもを孤立させ、狂わせ、逃げ難い殺伐とした構造に彼らを閉じ込める。

人類の歴史は学ぶことにより進展する。過去をひもとき他者に学ぶことをやめた時点で、人類は本能と欲の自重に耐えられなくなり緩やかな退化を始めるだろう。

「何歳からセックスの対象になるか」という議論は、対象の再下限年齢を法的に落としたいという欲によって成り立つ。欲を抑えられない大人たちは、この時子どもの意思の存在を無視している。何歳から…なんと馬鹿馬鹿しいことか。相手の望まぬ性交は、大人だろうと子どもだろうと傷害・殺害行為である。

「減るもんじゃなし」。有史以来何度言われてきたことか。減ってるんだよバカ。望まぬ性的な接触で魂が磨り減り、体が汚された気分になり、そんな「気のせい」と指摘される不可視の苦悩に、思考を乗っ取られたまま生き続けることになるんだよ。いくらでも繰り返す。性的搾取は盗みであり、殺人である。

恋愛に消極的な、あるいは積極的になれるはずがない事情を抱えるサバイバーも少なくない。それを「お固い」「青い」などと揶揄する風潮がある限り、この国の民度は低いままだ。 民度が低くてもいい。どうせサバイバーに理解者は少ない。私が言いたいのはただ一つ。「子どもは搾取されてはならない」。



“満身創痍、紡グ言ノ葉。”