ダーク・ファンタジー小説
- 藤の如く笑えよと
- 日時: 2020/01/12 17:25
- 名前: 千葉里絵
- 参照: http://www.kakiko.info/profiles/index.cgi?no=12561
遥か昔、未だこの國が國神様に造られてから幾百年しか経っていなかった頃に、ある女が居たそうな。
その女は産まれは貴族ではなかったが、赤子の頃に有力な四家のうちの一家に拾われ、貴族となった。
人々からは「藤花の君」と呼ばれ、大層美しい女人に育ったそうな。
そんな時分に日嗣の御子、つまり若宮が妃を取ることになった。
妃は四家の姫から選ばれる事になった。
勿論、藤花もそのうちの一姫である。
姫達はそこから一年、同じ土地で暮らした。
しかし、同じ土地とは言えども、姫たちは一人に一つ宮を授けられた。
これが後の授宮の儀の元となる。
藤花は夏ノ宮を若宮から授かった。
しかし、生活の中で姫同士が話すことはまず無かった。
皆、少しでも若宮に振り向いてもらおうと必死だったのだ。
だが、若宮は夏ノ宮に足繁く通っていた。他の宮とは比にならない程であったという。
そんな中、遂に若宮が妃を選ぶ日がやって来たそうな。
誰もが、自分の主を最も信じるべき女房達でさえも、藤花が選ばれると思っていた。
四姫が揃えば、妃を選ぶ段になる。
若宮は迷うことなく藤花に近寄り
__懐刀で刺し貫いた
誰も一言も発せなかったそうな。
この愚か者めが。私を欺き通せるとでも思うたか。女人の神聖な宮によくも女でないお前が入ったな。ましてや、人でさえないお前が入れる場ではない。お前の養父は騙せども私を騙すことは出来ぬぞ。
と言われたそうな。
今までの若宮の夏ノ宮へのお通いは、藤花が此処に居て良い人間ではないと証明するためであった。
そうか、気付かれていたか。しかしな、若宮よ。御主にはこの後、数多の困難が待ち受けているであろう。その困難に苦しみ、藻掻け。そして辛くなれば、我の名を呼び、乞い願うが良い。何時でも助けてやろうぞ。我を妻としなかった御主を………
藤花はそう言うと藤の花弁と成り散っていったと。
「東ノ領ノ翁ニテ語ラレタル話集ヨリ『藤花ノ事』」
- Re: 藤の如く笑えよと ( No.7 )
- 日時: 2020/01/12 10:35
- 名前: 千葉里絵
屋敷からあまり外に出掛けられなかったちどりにとって、牛車に乗るというのは生まれて初めての体験だった。
先刻までの緊張や不安を忘れて思わずはしゃいでしまった。
牛車が動き出すと、ちどりは物見を押し開けた。
すると、何処からか痛いほどの視線を感じた。
不思議に思い辺りを見渡すと、本邸の柱に隠れるようにして、妹の姿が見えた。
妹は何もかも自分より優れていた。
少し垂れた目尻が愛らしく、瞳は深い黒色で常に優しげな微笑みを絶やさない美しい子だった。
綺麗な黒髪は長く艶やかで、誰もがその髪を褒めた。
教養もあって、姉のちどりよりも早くから宮中での行儀作法を仕込まれていた。
なのに、それを鼻に掛けることもなく、稀に会うときには姉妹で仲良く談笑したりもしたものだ。
その妹が変わり果てた姿で、ちどりのことをじっと見つめていた。寝間着に袿を羽織っただけの格好に、髪は乱れている。
口元には何時もの微笑みはなく、それどころか強く唇を噛み締めている。
その時初めて、ちどりは妹に申し訳ないと思った。
妹は屋敷の者からの期待を、幼い頃から一身に受けて育ってきた。
病弱だったちどりは中央に行けないだろうと思われていたのだ。
しかし少しずつ、だが確実にちどりは快方に向かっていった。
それを見て安心した春領当主が、妹ではなく、ちどりを中央に向かわせることにしたのが今回の宮仕えである。
どのような考えで父が妹ではなく自分を中央に向かわせることにしたのかはわからないが、妹の心中は容易に想像がついた。
幼い頃から、遊ぶこともなく、姉の代わりとして、藤花の儀の為に育てられてきた妹。
いろんなことをこの日のためと思い我慢してきただろうに……。
「可哀想に………」
思わず、口から言葉が漏れた。
「何がですか?」と山吹が聞いてきたが、物見が開いているのに気付くと、ぴしゃりとちどりの鼻先で閉めた。
その後はもう興味を失ったのか、元々さして興味も無かったのか、それ以上は何も訊いてこなかった。
- Re: 藤の如く笑えよと ( No.8 )
- 日時: 2019/07/13 13:17
- 名前: 千葉里絵
乗り慣れない牛車での移動に疲れたちどりがうつらうつらとしていると、がくん、と牛車が揺れた。
何事かと思い慌てると、それを見た山吹が苦笑しながら「牛車が止まったのですよ、姫様」と教えてくれた。
その言葉にちどりは安心したと同時にひどく緊張していた。
牛車が止まったということはつまり、中央に着いたということなのだ。
着物は崩れていないか、髪は大丈夫かなどと不安が次から次へと沸き上がってくる。
救いを求める様に山吹を見やると、そこには見たことのない表情の彼女が居た。
何時もの微笑みは消え去り、その顔は真剣そのものだった。
それを見ると、ちどりも自分が不安に揺れ動いていてはいけないのだと気付いた。
今回藤花の儀に行くのはちどりなのだ。山吹ではない。
いつまでも山吹に助けられていては駄目なのだ。
そう思うと不安や恐れは少しだけ薄れた。
大きく息を吐くとちどりは立ち上がった。
「山吹、行きましょう。春領の姫として、私も頑張るから」
そう言って精一杯微笑んで見せると、山吹も束の間驚いた顔をした後に表情を和らげた。
「はい、そうでございますね。では参りましょうか、姫様」
ちどりが牛車を降りると目の前には大きな門が建っていた。
牛車が飯事の小物の様に見える程に立派な門だった。
ちどりが呆気にとられていると、山吹に袖を引っ張られた。
「姫様、此方は中央門と申す門です。立派でしょう」
山吹は中央に来るのは二度目の筈なのだが、それでもやはり中央門の荘厳さにちどりと同じ表情をしていた。
「…………本当、立派だわ」
ちどりはあまりの驚きにこの一言しか口に出来なかった。
「ですが、姫様が通るのはこの門ではなく、少し先にある花実門でございます。お疲れでしょうが、花実門は男子禁制のため、歩いていかなくてはなりません」
大丈夫ですか、と心配そうに此方を見る顔は何時もの山吹に戻っている。
「ええ、大丈夫よ。疲れたなんて言っていられないもの。だって、この後は他の姫君達との顔合わせもあるのでしょう?」
お友達になれたらいいなぁ、とちどりが呟くと山吹は困った様な顔をしながら、そうでございますね、と言った。
ほんの少しばかり歩いたところに花実門はあった。
中央門に比べれば小さいが、それでも充分に立派である。
門の中央には帝后のみが使うことを許されている藤の紋が黄金で描かれている。
この紋が此処から先は后の統治下にあることを示している。
少々気後れしながらもその門を通り中に入ると、数人の美しい衣を纏った女性が立っていた。
「あの方達は誰?」
「あれは帝家から此方に遣わされた女官です。姫様と共に来た春領の女房と共に一年間姫様に仕えるのです」
そう言われると、なるほど、と納得出来た。
帝家の女官ならば、あんな綺麗な着物を着ているのも頷ける。
そこからは真っ直ぐに藤花宮に向かった。
藤花宮とは、主に儀式等を執り行う宮のことで、何か緊急のことが起きた際も藤花宮に召集が掛かるのだと山吹に教えられた。
四家の姫達にそれぞれ宮を与える「授宮の儀」もそこで行われるのだと言う。
「姫様、ここからは女官である我々は何もお助けできません。どうかお気を付けて、ご無礼の無いように」
春領の姫が通ると決められた東廊を通っている時に山吹がそっと耳打ちしてきた。
ちどりの顔が緊張の為か硬くなる。
が、すぐに緩んだ。というより、何かに見入っている。
ちどりの視線の先には、冬領の姫が通る北廊を静静と歩んでくる人物がいた。
北廊と東廊のぶつかる突き当たりで顔を合わせるとちどりは感嘆の吐息を溢した。
それほど迄に冬領の姫は美しかったのだ。
絹の様に滑らかな肌は透けるように白く、陽の光を浴びたことが無いように思える。
黒く艶やかな髪は丁寧に櫛ったのだろう、卯花の色目に映えている。
切れ長の眼は、長く細い人形の様な睫に縁取られている。
唇は桜の花弁の様に小さく、黒く綺麗な瞳は見ているうちに吸い込まれそうに美しい。
思わずまじまじと見つめていると、冬領の姫はついと藤花宮に入っていってしまった。
ちどりも慌てて後に続く。
そして、中でも驚くことになるのだった。
もう既に席に着いている夏領の姫と秋領の姫もこれまた噂に違わぬ美姫だったのだ。
夏領の姫は優しげな目許に薄く微笑みを湛えている姫だった。
髪は黒く艶やかで、藤の花の様に紫かかっている様に映る。
豊かな身体は美しく、それでいて健康そうに引き締まっている。
色気ばかりではない美しさを持つ姫だった。
変わった型の衣は薄く、見ていて涼しげだ。
だが、ちどりが最も目を見張ったのは秋領の姫だった。
秋領の姫は規範通りの美人ではなかったが、確かに美しく、見るものを圧倒させる華やかさがあった。
大きな目は長く多い睫に縁取られている。
濃い赤みかかった茶色の髪は衣の上で豊かに波打ち、唇はみずみずしく熟れた果実のようで、甘く美しい。
何もかも、完璧であった。
着ている物も贅を凝らしており、金糸銀糸がふんだんに使われている。
蘇芳の衣がよく似合う人だった。
私は場違いではないかしらと、ちどりは不安に思いながら席に着いた。
それから少し経って
「帝后陛下、紫苑の御前がお越しなさいました」
と帝家の女房の声が朗々と響いた。
場が緊張に包まれた。
- Re: 藤の如く笑えよと ( No.9 )
- 日時: 2019/08/23 13:35
- 名前: 千葉里絵
帝后陛下は帝の妃の中で最も位の高い御方のことである。
今上陛下には妃は二人居たのだが、今は帝后陛下お一人である、とちどりは山吹に牛車の中で説明を受けていた。
何故、もう一人の妃が居なくなったのかは聞けなかったのだが、兎に角、今は紫苑の御前お一人なのだ。
ちどりは紫苑の御前が話されるのだと思ってじっと御簾を見据えて待っていたが、口を開いたのは先程の女官だった。
自分のことを白波と名乗ると、儀式的な挨拶と祝辞を述べる。
最後に、この藤の花の咲く頃に國神様の御加護がありますように、と厳かに結びの言葉を言うと、その淡々とした口調のまま
「これより、ここ藤花宮を含む四季の宮において無断の外出、及び外部の者を無断で連れ込むことを固く禁じます。また男子の入宮は帝家の者が、許可を得た場合のみとします。また、外部との手紙のやり取りは必ず藤花宮を通してください。もし、どうしても外出が必要になった場合は帝家からそちらに遣わした女房を同行させてくださるようお願い申し上げます」
と言うと一礼をして後ろに下がった。
その後も儀式は滞りなく進み、ついに「授宮の儀」の段になった。紫苑の御前とお話するに当たり失礼が無いようにせねばと、ちどりは一段と緊張していた。
「秋の家の姫」
呼ばれた秋領の姫は「はい」と柔らかく答えると御簾の前に進んだ。その一連の動きがあまりにも美しく、ちどりは思わず見惚れてしまった。
「秋家が当主の娘、蘇芳菊でございますわ。お会いできたこと、心より嬉しく思います」
蘇芳菊か、と紫苑の御前は反芻した。
「そなたには秋の宮を頼もう。そなたに合った良き宮だと思うぞ」
女官が鍵を御簾の奥から受けとると、蘇芳菊に渡した。
「有り難く頂戴致します」
蘇芳菊が元の位置に戻るのを見ると、次に冬領の姫が呼ばれた。
はい、と応える声はしっかりとしていて女にしてはやや低い気もするが美しい。
「冬家が当主の娘、淡雪にございます」
淡雪か、と呟くと、では冬の宮を頼もう、とだけ言われた。
「夏の家の姫」
はっ、と返事をすると夏領の姫は御簾の前に進んだ
「夏家が当主の娘、葵にございます」
「夏の宮を授けよう。妾も夏の宮を授かったが、居心地の良い屋敷だ。しっかりと頼むぞ」
「承知致しました」
そう言って鍵を受けとると葵は席に戻っていった。
「春の家の姫」
「は、はい」
最後に呼ばれたのはちどりだった。
遂に自分の番である。緊張して立ち上がり一歩一歩慎重に、御簾の前に進む。
「春家が当主の娘、ちどりと申します。お目にかかれて光栄です」
聞き取り易いように、と意識しながら慎重に言葉を紡いだ。
すると、特に言うことも無いのか、春の宮を授けよう、とだけ言われた。
その後、女官が鍵を渡すために御簾を少し開いたとき、ちどりは御簾の向こうに、ちらりと細く美しい指を見た。
その指は御簾の向こうから流れてくる香の薫りと共に、御簾が閉まると消えてしまったが、席に戻ってからもちどりは御簾の向こうの高貴な方の姿に思いを巡らせていた。
- Re: 藤の如く笑えよと ( No.11 )
- 日時: 2019/08/02 22:28
- 名前: 千葉里絵
ちどりが御簾の向こうに思いを馳せているうちに授宮の儀は終わっていた。
山吹に声を掛けられ、慌てて他の三姫の後ろに続いて藤花宮を後にする。
緊張から解放され、ちどりが溜め息を吐くと横から山吹が「お疲れ様です」と労いの言葉を掛けてくれた。
ただ座って話を聞いているだけだったのに、本当に疲れた。
そして、来る前からあった気後れが他の姫達を見てますます膨れ上がった。
「私、本当に春領の姫としてやっていけるかしら……」
思わずそう溢すと、横から優しげな声が返ってきた。
「大丈夫ですよ、ちどりの君。貴女は十分綺麗だ。気後れする必要はない」
はっとして横を見ると其処には夏領の葵が立っていた。
「あ、葵様……。そんな、お世辞でも嬉しいです……有り難うございます」
微笑みながら此方を見ている葵には何とも言えない安心感の様なものがある。
「お世辞などではない。それにそんなに緊張しないでいい。私の夏領とお前の春領、同じ血筋同士仲良くしよう」
葵の優しい声音に緊張が少し解れると同時に、同じ血筋という言葉が気になった。
「あのぅ、葵様……同じ血す」
「あら、春領の方? 確かちどりと言いましたわね。こんな所で何をしてらして?」
ちどりが葵に血筋のことを聞こうとしていた処に華やかな一団がやって来た。
先頭を歩いているのは秋領の蘇芳菊である。
藤花宮に居た時よりは抑えめではあるが、それでも十分に華美な衣裳を身に付けている。
蘇芳菊はするりと葵とちどりの間に入り込むと、まるで今気が付いたように「あら、夏宮の方もいらしたの。気付きませんでしたわ」と言った。
葵はこの嫌味を聞いても、今までと変わらず優しげな笑みを湛えていた。
だが、口から発せられたのは表情に合わない皮肉だった。
「おや、気付くのが遅いね。そんなに無駄にきらきらと着飾っているから、目の調子が悪くなっているのでは? うーん……だが、その唐衣の柄や襲色目を見ている限り、衣を選ぶ前から目の調子は悪かった様だ」
その言葉に蘇芳菊は顔をひきつらせている。
その顔を面白そうに見つめると、葵は先程までよりも生き生きとした表情で、では後程、と優雅に一礼して女房達を引き連れて夏の宮へと戻っていった。
ちどりが呆気に取られてその後ろ姿を見送っていると、横から蘇芳菊の震え声が聞こえてきた。
「……な、何なの?! あの姫は!」
そこから暫く葵に対する怒りに蘇芳菊は震えていたのだが、少し経つと大分落ち着いた様でちどりに話し掛けてきた。
「……まぁ、良いですわ。そもそも、あの方に用は無かったのですし。それよりもちどりの君、私可愛らしいものや、美しい物は皆好ましいと思ってますの。貴女も私程ではないけれど綺麗でしょう?」
だから、お近づきの印に此方を差し上げるわと蘇芳菊が言うと、後ろに控えていた女房が綺麗な朱色の箱を持って進み出てきた。
箱には贅沢にも鶴や亀が金箔で所狭しと描かれている。
「この箱をくださるのですか? 美しいですねぇ。有り難うございます」
ちどりがそう微笑むと、蘇芳菊はぽかんとした顔をした。
後ろに居る女房達の肩が小刻みに震えている。
遂に女房の一人が、ぷっと噴き出した。
それに釣られて他の女房も笑い出す。
失礼でしょう、と女房達をたしなめている蘇芳菊も唇の端が歪に歪んでいる。だが蘇芳菊においてはその歪みさえも歪というよりも美しいと思わされてしまう。
場は一瞬のうちに笑いに包まれた。
ちどりは何故こんなにも笑われているのか理解が出来ずに、笑っている秋領の女房達を見つめていると、山吹が囁き声で宮中では入れ物があれくらい豪華なのは当たり前なのだ、と教えてくれた。
ずっと別邸で女房達と暮らしていたちどりが知らないのは無理もないのだが、どうやら自分には宮中の常識が足りないのだとようやく実感出来た。
「ち、ちどりの君。勿論、この箱も差し上げますとも」
ですが私が貴女に差し上げたいのは箱の中身ですと蘇芳菊が笑いを噛み殺しながら言うと、箱の蓋が開かれ、中にある物が見えた。
それは、銀と桃色に輝く宝石をふんだんに使った海棠の髪飾りだった。
きらきらと日の光を浴びて輝くそれは世間知らずのちどりでさえも高級な品だとわかる。
「此方は我が領の名工が腕を振るって作った品ですの。秋領でしか採れない紅水晶と銀を使っています。紅水晶は本当に薄く削られているのでこの様に桃色に見えますのよ。見てください、この紅水晶の輝きの美しいこと!」
蘇芳菊の声に応えているかの様にきらきらと輝く水晶は確かに美しい。
「大した物ではないですけれど、どうぞお納めになって」
「こ、これをでございますか……?」
蘇芳菊に恐る恐るという風に訊ねたのはちどりではなく山吹だった。
何か問題が?と蘇芳菊は問題などある訳がないと言わんばかりの口調で訊ねる。
主の代わりに品物を受け取った山吹は何時もより動きが堅く慎重に箱を抱え持っている。
それに気付いたのか蘇芳菊が山吹に笑い掛けながら言った。
「気にしないでくださって結構ですのよ? これくらいの物、私掃いて捨てる程持ってますもの。宮仕えの前だと言うのに、お父様や殿方がくださるんですの」
美しすぎるのも悩みの種ですわね、と嘆く蘇芳菊の嘆きの中にはちらちらと嬉しさが見え隠れしている。
確かに蘇芳菊はとても美しい。
とても美しいのではあるが、何と言うか……強烈だ、とちどりは此処まで話を聞いていてそう感じていた。
そんなちどりに構わず蘇芳菊は話を続けている。
「先程、淡雪にも差し上げましたのよ。葵にはあげませんけれどね。それに貴女のその淡い髪色。私程ではないけれど美しいのですから、きっとその髪飾りも似合いますわ!」
淡雪もそう思うでしょう、と言いながら蘇芳菊が振り返った先を見ると淡雪が静かに立っていた。
静かすぎて、ちどりも今まで気付かなかった程だ。
「はい、そうでございますね。ちどり様によく似合うかと……」
目線を足元に落としながらそう言っている彼女は、抱き締めればぽきりと折れてしまいそうにか細く思える。
「淡雪様……! いらっしゃったのに挨拶もせず……申し訳ございませんっ」
ちどりが慌てて頭を下げると、上からあの低めの声が降ってくる。
「いえ、挨拶をしなかったのはわたくしも同じです。頭を上げてください、ちどり様」
「ですが……」
淡雪は別に許してくれているし、そもそも挨拶をしろとも言われていないのだ。
だが、ちどりの気が済まなかった。
礼儀を欠いたという恥ずかしさと申し訳無さがない混ぜになり混乱していたのだ。
すると混乱しているちどりの頭の中に、淡雪の声がすっと滑り込んできた。
「四家の姫は全員対等な立場なのですから、そんなに頭を下げないでください」
確かに、家柄としてはちどりも淡雪も、蘇芳菊や葵だって対等であり上下は無い。
だが、ちどりにはとてもではないが自分と他の三姫が対等だなどとは思えなかった。
ちどりがそう思いを巡らせ、頭を上げられないでいると、いきなり淡雪の綺麗な顔がそっと下から覗き込んできた。
ちどりが驚いて体を起こすとしゃがんでいた淡雪もゆっくりと立ち上がる。
「わたくし達は此処では対等なのです」
ちどりが顔を上げたのを確認すると淡雪はちどりにしか聞こえない様な声でそう囁いた。
「淡雪様、そろそろお召替えのお時間です」
女房の一人が後ろから淡雪に声を掛ける。
淡雪はそれに頷きで返した。
「では皆様、また別の機会にお会い出来ることを楽しみにしております」
にこりともせずにそう言うと淡雪は冬の宮に帰っていってしまった。
- Re: 藤の如く笑えよと ( No.12 )
- 日時: 2019/08/02 22:31
- 名前: 千葉里絵
「淡雪は照れ屋なんですわ。だから今日もあんな地味な色目の衣を選んでしまったんですのよ」
せっかくの晴れ着だと言うのに、と淡雪の行った方を見ながら、哀れむ様な声音で蘇芳菊は言った。
だがちどりはその言葉に何とも言えない気持ちの悪さを覚えた。
確かに淡雪の着ていた衣は白を基調とした淡い色合いの物であったが、それが淡雪の場合はとても良く似合っていたのだ。
それに、恐らくはあの衣も今日のために迷いに迷って決めたのだろう。
皆、自分に最も似合う物を今日のために準備してきたのだ。
例えば、葵が着ていた衣。美しい秘色の衣は正装には用いられない細長だった。
しかし、葵はそれをしっかりと着こなしていた。誰もその着こなしに文句を言えない程に美しく、葵だからこそ着れたのだとちどりは感じた。
かくいうちどりだって、今日のために悩んでこの衣を選んだのだ。
紅梅の匂はやや色が明るかったかもしれないとも思ったが、自分にはこの色が似合うと思いこれに決めたのだ。
それをもし自分がこの様に言われたら、と考えるだけでも悲しくなった。
気が重くなり黙っていると、蘇芳菊が何を思ったのか突然「今度、茶会でも開きませんこと?」と言い出した。
「茶会………ですか?」
「ええ、秋の宮で行いましょう。私が主催ということで」
どうかしら、と訊ねる蘇芳菊は活き活きとしている。
「良いと思います……」
勢いに圧されてちどりは肯定することしか出来なかった。
「茶会なんて楽しみですわ。今回は葵も呼んであげましょう」
日取りは何時が良いかしら、と楽しそうに計画を練りながら蘇芳菊は挨拶もそこそこに自分の宮へと戻っていった。
ちどりとその女房達だけになると、遠慮がちに後ろからそうっと声を掛けられた。
「姫様……」
山吹のたった一言で一気に力が抜けてしまったちどりである。
「ねぇ、山吹……わからないことだらけだわ……」