1993年(平成5年)8月31日の新聞記事の続き
ロシア村の建設地は笹神村になった。県が21世紀の発展に向けたまとめた「にいがた21戦略プロジェクト」にもロシアンパーク構想があり、候補地として新潟市(中央区)の万代島再開発地が有力だった。大森頭取(新潟中央銀行)は戦略プロも踏まえたとしながら、なぜか内陸部に入った笹神村を選んだ(※ この笹神村を場所に選んだことに、色々な話が存在します。 ※新潟市の万代島というのは、新潟市中央区 信濃川に架かる柳都大橋近く、朱鷺メッセや佐渡汽船のりばのある中洲部分を言います。もしかしたら、この万代島に規模の小さいロシア村が存在したのかも)。
五十嵐利彦村長(笹神村)は「(新潟ロシア村を)積極的に誘致したわけでなく、大森さんがどうでしょうと言われるので、いいでしょうと答えた」と振り返る。建設地になったことを喜びながらも、なぜ笹神村になったかわからないといった表情だ。
その大森頭取は「テーマパークと名付けるには最低でも敷地が7万坪(23.1ヘクタール)から10万坪(33ヘクタール)必要。万代島(新潟市中央区)ではとても土地代を負担できない。確かに新潟市に造るのが最高だが、磐越自動車道ができれば笹神村はすぐで、新潟市も同じ。沿線町村の土地開発にもつながればと思って選んだ」と言う。 ※磐越自動車道は、1994年(平成6年)7月28日に安田IC~新潟中央IC間の供用を開始し、北陸自動車道と接続。 1997年(平成9年)10月1日、磐越自動車道全線開通。 つまり、新潟ロシア村に一番近い安田IC「旧安田町」は、新潟ロシア村開業1年後に運用開始しました。道路事情は、それほど良くなかったんですね。 次回に続きます。