阿賀野市ブログ応援隊

個人・サークル・行事・歴史・頑張っている人などの阿賀野市の情報と、人生の楽しみ(?)をお伝えします。

新潟ロシア村の記録75(1993-16)

2020年02月18日 | 新潟ロシア村の記録

  1993年(平成5年)8月31日の新聞記事の続き

 ロシア村の建設地は笹神村になった。県が21世紀の発展に向けたまとめた「にいがた21戦略プロジェクト」にもロシアンパーク構想があり、候補地として新潟市(中央区)の万代島再開発地が有力だった。大森頭取(新潟中央銀行)は戦略プロも踏まえたとしながら、なぜか内陸部に入った笹神村を選んだ(※ この笹神村を場所に選んだことに、色々な話が存在します。 ※新潟市の万代島というのは、新潟市中央区 信濃川に架かる柳都大橋近く、朱鷺メッセや佐渡汽船のりばのある中洲部分を言います。もしかしたら、この万代島に規模の小さいロシア村が存在したのかも)。

 五十嵐利彦村長(笹神村)は「(新潟ロシア村を)積極的に誘致したわけでなく、大森さんがどうでしょうと言われるので、いいでしょうと答えた」と振り返る。建設地になったことを喜びながらも、なぜ笹神村になったかわからないといった表情だ。

 その大森頭取は「テーマパークと名付けるには最低でも敷地が7万坪(23.1ヘクタール)から10万坪(33ヘクタール)必要。万代島(新潟市中央区)ではとても土地代を負担できない。確かに新潟市に造るのが最高だが、磐越自動車道ができれば笹神村はすぐで、新潟市も同じ。沿線町村の土地開発にもつながればと思って選んだ」と言う。 ※磐越自動車道は、1994年(平成6年)7月28日に安田IC~新潟中央IC間の供用を開始し、北陸自動車道と接続。 1997年(平成9年)10月1日、磐越自動車道全線開通。 つまり、新潟ロシア村に一番近い安田IC「旧安田町」は、新潟ロシア村開業1年後に運用開始しました。道路事情は、それほど良くなかったんですね。  次回に続きます。

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新潟ロシア村の記録74(1993-15)

2020年02月08日 | 新潟ロシア村の記録

 1993年(平成5年)8月31日の新聞記事の続き

 大森頭取が原動力になって、1991年3月に経済界、新潟県、新潟市の出資による第三セクター方式の「ソ連投資環境整備会社」(本店同市、資本金15億円)が設立された。自ら合弁事業を展開するほか、県内企業の合弁などを支援するのが目的。同社はその後、「ユーラシア投資環境整備会社」と名前を変えている。

 しかし、極東との経済交流は進まない。交渉を重ね契約に近い文書を交わしても それが履行されず、突然一方的なほごの報が入ったりする。大森頭取はそこには文化の違いがあり、まずそれを理解した上でないとロシアとの交流は進まないと考え、文化村としてのロシア村を構想した。   ※当初の計画では、笹神村は関係なし。文化の違い~から、笹神村でのロシア村構想が出来たのでしょうか?  ※当時の雑誌(財界にいがた)さんの記事に、大森頭取は「資源が無尽蔵にあるソ連は、魅力に富んだ有望な相手だ。国民の程度は低いが、指導者層は有能で、上から統率できる国だ。投資するには都合がいい」と知り合いの会社社長に語った。と、あります。 平成元年5月に、大森さん(昭和3年生)は新潟中央銀行の頭取になった(60才か61才)。大森さんが頭取になってからの新潟中央銀行の躍進ぶりは目覚ましく、預金量もいっときは北越銀行に迫る勢いだった。詳しくは前誌をお読みください。

 ロシア村は会員制のロシア風ホテルと文化施設などを配したテーマパーク会社「新潟ロシア村」(本社新潟市、資本金35億円)の設立にひた走る。 以下、次回に続きます。

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新潟ロシア村の記録73(1993-14)

2020年01月30日 | 新潟ロシア村の記録

1993年(平成5年)8月31日の新聞記事から「誌名記録無し」

 「新潟ロシア村」構想の推進役は新潟中央銀行(本店・新潟市)の大森竜太郎頭取。単なる観光施設の建設でなく、背景には環日本海経済圏構想がある。

 環日本海経済圏構想は、1986年に旧ソ連のゴルバチョフ大統領が「日本海を平和の海に」とロシア極東ウラジオストクで演説し、日本海が緊張の海から平和の海になるという期待が高まったのをきっかけにして持ち上がった。最近では、日本海という呼び方に異論も出され、北東アジア経済圏構想とも呼ばれる。

 狙いは、日本海を囲む日本、韓国、朝鮮民主主義共和国(北朝鮮)、中国東北部、ロシア極東の経済交流を活発にし、一つの経済圏ブロックを築くこと。 新潟県が日本海側にあって地理的優位性を持つことから県をはじめ経済界は積極的な関心を寄せた。大森頭取は、その先頭に立った一人。     次回に続きます。

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新潟ロシア村の記録72(1993-13)

2020年01月22日 | 新潟ロシア村の記録

 1993年(平成5年)9月1日に開園した「新潟ロシア村」。写真は開園前日の新聞記事。「誌名記録無し」。約A3サイズ分の紙面。この新聞の切り抜き、屋根裏の紙箱の中にありました。捨てなかったのは、記事が「よく調査したなぁ」「開園前日に載せて大丈夫?」と思ったから。現在の時代感覚なら問題にされるかも・・・。貴重な記事なので、なるべく記事通りの文章に私の感想を入れて投稿するつもりです。これは「歴史」として大切な記事と考え、書いた方に敬意を表して投稿します。文章が長いので、数回に渡って投稿します。

 北蒲笹神村笹岡の笹神ケイマンゴルフパークの一画に9月1日、「新潟ロシア村」の第一期施設がオープンする。さらに16日にはテーマパークの建設運営会社の設立総会も開かれ、第一期施設から8キロほど離れた笹神村・大室財産区に本格的なテーマパークを第二期施設として建設する態勢に入る。構想が県民の注目を集めるようになってから2年。ようやく「新潟ロシア村」が現実のものとして動き出す。地元の笹神村をはじめ一帯の市町村のかける期待は大きい。しかしバブル崩壊と景気の低迷によってリゾート熱は冷めている。さらに対外的な信用保証につながると期待した新潟県の参加も事実上見込めないなど、先行きに不安も交錯する。出発(たびだち)を前に「新潟ロシア村」の周辺を追った。    「以下、次回に続きます」

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新潟ロシア村の記録71 (2019-2)

2019年12月03日 | 新潟ロシア村の記録

2019年11月13日(水)夜、上の写真のようなテレビ番組で、「新潟ロシア村」の現在が紹介されました。放送時間は14分間。

立入り禁止の心霊スポットとして、紹介されました。地元の若い人達が数名出演し「地元で有名な心霊スポット」と話していました。

私は阿賀野市に住んでいるけれど、新潟ロシア村の跡地が有名な心霊スポットだと聞いたことがありません。若い人たちがテレビに写っていたけれど、あの路地は阿賀野市では、ありません。おそらく新潟市中心部の裏通りでしょう。東京から見たら新潟市中央区も阿賀野市も同じ地区に思うのでしょうが、新潟市中央区に住む人が阿賀野市を地元と感じることは、絶対ありません。テレビ番組の構成上しかたないのでしょうが、もう少し丁寧な取材を希望します。そもそも立入り禁止の私有地に勝手に入ったら、不法侵入になり犯罪になります。注意して放送しなくては。

しかし、テレビの影響力は大きいです。 当ブログは一日約230~420人の訪問者と約1000前後の閲覧数。それが放送の翌日は980人の訪問者と3954の閲覧数。翌15日は718人の訪問者と2514の閲覧数。 ネットの時代というけれど、やはりテレビの力は偉大です。

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新潟ロシア村の記録70(1993-12)

2019年11月27日 | 新潟ロシア村の記録

 

 1993年(平成5年)9月2日の新聞記事から「誌名記録無し」

9月1日に新潟ロシア村の第一期施設がオープン。経済界や新潟市などがタイアップして構想2年でスタート。開館1時間前に100人の行列。

20室あるホテルは既に予約で満杯。約3900㎡の延べ床面積で、総工費25億円。(最近は幽霊スポットで、テレビに紹介されていますが)

テープカットの午前11時前には、建物前広場で三人組の民謡団「ザラタヤルーシ」がロシア民謡を披露。9人組の民族舞踊団「ナスレージュ」は、エキゾチックなカチューシャの踊り。観客を引き入れ、和やかな雰囲気をつくりだしていた。

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新潟ロシア村の記録69(1993-11)

2019年11月14日 | 新潟ロシア村の記録

 1993年(平成5年)9月1日 水曜日の新聞、全面広告 「誌名記録無し」

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新潟ロシア村の記録68(1993-10)

2019年11月11日 | 新潟ロシア村の記録

     

1993年(平成5年)8月9日の新聞記事から「誌名記録無し」。 9月1日に新潟ロシア村の最初の施設「サテライトゾーン」が完成。

完成したのは「マールイホテル」「スーズダリ教会」「マールイ美術館」。宗教色の濃い絵画や宝石をふんだんに使った美術品、生のロシア民謡に触れると、日本を離れたような錯覚に陥る。 教会の中はロシア正教会の荘重な雰囲気が漂う。見上げれば異国情緒を誘うステンドグラスと鮮やかな天井絵画。 ステージからは日本にもなじみ深い「カチューシャ」の歌声が響く。

美術館には145点の美術品が並ぶ。中でも目玉は世界初公開の聖画像「全能者キリスト」。エメラルド710個をはじめ多くの宝石が発する光線がまばゆい。 3頭のバイカルアザラシが子供たちに愛きょうを振りまく・・・と、書かれています。

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新潟ロシア村の記録67 (1993-9)

2019年10月27日 | 新潟ロシア村の記録

1993年9月1日にオープンした「新潟ロシア村」の求人案内のチラシ  「正確ではありませんが、1月20日の新聞チラシかも」

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新潟ロシア村の記録66(1993-8)

2019年10月24日 | 新潟ロシア村の記録

         

 

 1993年(平成5年)8月26日の新聞記事から「誌名記録無し」

新潟ロシア村の第一期施設が25日完成、9月1日オープンする。 地上3階地下1階の建物はホテル棟、教会棟などに分けられ、延べ床面積は約3900㎡。総工費25億円。 ホテルは18~19世紀のロシアクラシックを基調に20室(収容人員54人)。

今後 第2期以降の事業については、平成8年(3年後)をめどに同所から約8㎞離れた同村の大室財産区で、ロシア文化・芸術を伝える大規模なアーバンゾーンの建設を進めていく方針。 この日記者会見した新潟ロシア村の設立発起世話人で新潟中央銀行の大森頭取は「今回できた第一期施設から得られる観光客からの反響や実績、交通アクセスの変化などを踏まえた上で、これからの新潟ロシア村の構想を考えていきたい」と語った。 五十嵐笹神村長は、「内容のあるものを造ってもらった。村としても、これから全面協力していきたい」と語った。

 

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新潟ロシア村の記録65(1989)

2019年10月18日 | 新潟ロシア村の記録

  平成1年(1989年)の新聞記事から「誌名記録無し」

新潟ロシア村は、何故 存在したのか。 それは、ケイマンゴルフ場が あったから。

新聞記事によると、 ケイマンボール専用のゴルフ場が来秋完成とあります。 本格的なケイマンボールコースは、世界で4番目。国内では初。 2年前からケイマンゴルフ場に注目し、今回のオープンにも一役買っているのは、新潟相互銀行の副社長・大森さん(59才)。事業は新潟農林開発が行う。 ゴルフ場は18ホールの予定。

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新潟ロシア村の記録64(2019-1)

2019年06月20日 | 新潟ロシア村の記録

2019年6月19日の新潟日報朝刊の記事から → 阿賀野市 五頭山麓に大規模太陽光発電所が3箇所で建設中だそうです。

その1箇所が、「阿賀野市笹岡のゴルフ場跡地」。紙面の地図からすると新潟ロシア村に隣接していたケイマンゴルフ場跡地と思われます。

工事をしている会社は、東京都の機械商社です。海外にも支店があり、再生エネルギー事業もしています。

新潟ロシア村は「幽霊がでる・・」噂がありますが、新しい事業に使用されれば「幽霊騒ぎ」も 無くなるかも。

営業は2021年3月竣工で、東北電力に売電予定。発電規模は23メガワット。阿賀野市かがやきにある新潟県の太陽光発電は17メガワット。

新潟県のより、発電量が多いです。 他の2箇所は、阿賀野市山寺と隣接地域。

 

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新潟ロシア村の記録63(1996-8)

2019年04月02日 | 新潟ロシア村の記録

 

 

平成8年(1996年)7月、新潟ロシア村。 ビデオ映像の画面を撮影。

 

 

人気だったバイカルアザラシ。 世界で唯一 淡水にすむアザラシです。バイカル湖から来ました。

1996年のビデオ映像の画面投稿、今回で終了します。

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新潟ロシア村の記録62(1996-7)

2019年03月20日 | 新潟ロシア村の記録

 

平成8年(1996年)7月、新潟ロシア村で撮影。 ビデオ映像の画像です。

 

    

園内の「ピエロ」、人気でした。 細長いゴム風船で、動物などを作っていました。

 

次回に続きます。

 

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新潟ロシア村の記録61(1996-6)

2019年03月13日 | 新潟ロシア村の記録

 

平成8年(1996年)7月、新潟ロシア村で撮影。ビデオ映像の写真です。

 

上の写真、本物の動物では、ありません。動くロボットです。 職人とにぎわいの森広場で撮影。

 

談笑する日本人スタッフ女性とロシア人の男性。       談笑しているロシア人男性。

  

メリーゴーランドが広場にありました。メリーゴーランド昇降口で案内していた日本人スタッフ。皆さん、元気でしょうか。

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