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↓ツイート
https://twitter.com/georgebest1969/status/1229742057746419713?s=21
以下文字起こし
岩田健太郎です、
神戸大学病院感染症内科教授をしていますが、今からお話しする内容は、神戸
大学など所属する機関とは一切関係なく、私個人の見解です。
あらかじめ申し上げておきます。
今日、2月の18日にプリンセスダイヤモンドに入ったんですけど、1日で追い出
されてしまいました。
何故そう言うことが起きたのかについて、簡単にお話しようと思います。
もともとその、プリンセスダイヤモンドはすごく、そのCOVID-19の患者がどん
どん増えていくということで、感染対策がすごくうまくいってないんじゃない
かという、あの、懸念がありました。
で、環境感染学会が入り、FETPが入り、行ったんですけどあっという間に出て
いってしまって、で中がどうなっているかよく分からないという状態でした。
で中の方から、いくつかメッセージを頂いて、すごく怖いと。感染が広がって
いるんじゃないかと私に助けを求めてきたので、いろんな筋を通じて何とか入
れないかと打診してたんですね。
そしたら、昨日、2月の17日に厚労省で働いている某氏から電話が来て、入っ
てもいいよと、やり方を考えましょうという事でした。
で最初、環境感染学会の人として入るという事だったんですけれども、環境感
染学会はもう中に人を入れないという決まりを作ったので、岩田一人を例外に
できないということで、お断りをされて、結局DMATですね、災害対策のD-MAT
のメンバーとして入ったらどうかというご提案を厚労省の方から頂いたので、
わかりましたということで、18日の朝に新神戸から新横浜に向かったわけです。
そしたら途中で電話がかかってきて、誰とは言えないけど、非常に反対してい
る人がいると。入ってもらっては困ると言う事で、DMATのメンバーで入るとい
う事は立ち消えになりそうになりました。
すごく困ったんですけど、なんとか方法を考えるということで、新横浜で待っ
ていたら、またもう一回電話がかかってきて、D-MATの職員の下で、感染対策
の専門家ではなくて、DMATの一員としてDMATの仕事をただやるだけだったら入
れてあげると、非常に奇妙な電話を頂きました。
なぜそういう結論に出たのか分からないですけど、とにかくいう事を聞いてDM
ATの中で仕事をしていて、だんだん顔が割れてきたら、感染のこともできるか
もしれないから、それでやってもらえないかという依頼を、非常に奇妙な依頼
を受けたんですけど、他に入る方法は無いものですから、分かりましたと言っ
て現場に行きました。
そして、ダイヤモンドプリンセスに入ったわけです。
入ってご挨拶をして、最初はこの人の下に就けと言われた方にずっと従ってい
るのかと思ったら、DMATのチーフのドクターとお話をして、そうすると、お前
にDMATの仕事を期待していないと、どうせ専門じゃないしということで、お前
感染の仕事だろうと、感染の仕事をやるべきだと助言を頂きました。
これ、D-MATのトップの方ですね、現場のトップの方。
あーそうなんですかと、私はとにかくいう事を聞くと約束してましたので、感
染のことをやれと言われた以上、やりましょうという事で、現場の案内をして
頂きながら、いろんな問題点というものを確認していったわけです。
それはもう、酷いものでした。
あのーー、もうこの仕事20年以上やっていてですね、アフリカのエボラとか中
国のSARSとか、いろんな感染症と立ち向かってきました。
もちろん身の危険を感じることも多々あったわけですけど、自分が感染症にか
かる恐怖っていうのは、そんなに感じた事が無いです。
どうしてかと言うと、僕はプロなので、自分がエボラに罹らない、自分がSARS
に罹らない方法って言うのは知っているわけです。
或いは、他の人をエボラにしない、SARSにしない方法とか、施設の中でどうい
う風にすれば感染がさらに広がらないかってことを、熟知してるからです。
それが分かっているから、ど真ん中にいても怖くない。
アフリカにいても中国にいても怖くなかったわけですが、ダイヤモンドプリン
セスの中はものすごく悲惨な状態で、心の底から怖いと思いました。
これはもう、COVID-19に感染してもしょうがないんじゃないかと、本気で思い
ました。
レッドゾーンとグリーンゾーンと言うんですけど、ウイルスが全くない安全な
ゾーンと、ウイルスがいるかもしれない危ないゾーンをきちっと分けて、そし
てレッドゾーンでは完全にPPという防護服を着け、グリーンゾーンではなにも
しなくていいと、こういう風にきちっと区別をすることによって、ウイルスか
ら身を守るという事は、我々の世界の鉄則なんです。
ところが、ダイヤモンドプリンセスの中はですね、グリーンもレッドもグチャ
グチャになってて、どこが危なくてどこが危なくないのか、全く区別がつかな
い。
どこにウイルスが、、ウイルスって目に見えないですから、完全な区分けをす
ることによって、自分の身を守るんですけど、もう、どこの手すり、どこの絨
毯、どこにウイルスがいるのか、さっぱり分からない状態で、いろんな人がア
ドホックにPPを着けてみたり、手袋はめてみたり、マスクをつけてみたりつけ
なかったりするわけです。
で、クルーの方も、N95をつけてみたりつけなかったり、或いは熱のある方が
ですね、自分の部屋から出て歩いて医務室に行ったりするということが、通常
で行われているということです。
私が聞いた限りでは、DMATの職員、それから厚労省の方、検疫官の方がPCR陽
性になったと聞いていたんですが、それはもうむべなるかなと思いました。
中の方に聞いたら、いや、我々もこれ感染すると思ってますよ、という風に言
われて、びっくりしたわけです。
どうしてかというと、我々がこういう感染症のミッションに出る時は、必ず自
分たち医療従事者の身を守るというのが大前提で、自分たちの感染のリスクを
ほったらかしにして、患者さんとかですね、一般の方々に立ち向かうってのは、
御法度、これもうルール違反なわけです。
環境感染学会やFEPが入って、数日で出ていったという話を聞いた時に、どう
してだろうと思ったんですけど、中の方は感染するのが怖かったんじゃないと
いう風におっしゃっていた人もいたんですが、それは気持ちはよく分かります。
なぜなら、感染症のプロだったら、あんな環境にいたらものすごく怖くてしょ
うがないからです。
ぼくも怖かったです。
もう、これは感染、、今、某、これちょっと言えない部屋にいますけど、自分
自身も隔離して、診療も休んで、家族とも会わずに、いないとヤバいんじゃな
いかと、個人的にはすごく思っています。
今私が、COVID-19、ウイルスの感染を起こしていても、全く不思議はない。
どんなに、そのPPとかですね、手袋とかあってもですね、その安全と安全じゃ
ないところっていうのを、ちゃんと区別できてないと、そんなものは何の役に
も立たないですね。
レッドゾーンだけでPPを完全につけて、それを安全に脱ぐってことを遵守して
初めて、その、自らの安全が守れる。
自らの安全が保障できない時に、他の方の安全が守れるはずがない。
今日は、藤田医科大学へ人を送ったり搬送したりするって、皆さんすごく忙し
くしてたんですけど、そうするとこう、研究者の方と一緒に歩いてて、ふっと
患者さんとすれ違ったりするんです。
あ、今患者さんとすれ違っちゃうって、笑顔で検疫の職員が言っているわけで
す。
この、我々的には超非常識なことを平気で皆さんやってて、で皆それについて
何も思っていないと。
聞いたらその、そもそも常駐しているプロの感染対策の専門家が一人もいない。
あの、時々いらっしゃる方がいるんですけど、彼らも結局ヤバいなと思ってい
るんだけど、何も進言できない、進言しても聞いてもらえない。
やってるのは厚労省の官僚たちで、私も厚労省のトップの人と相談、話しまし
たけど、ものすごく嫌な顔されて聞く耳持つ気無いと。
何でお前こんなところにいるんだ、何でお前そんなこと言うんだみたいな感じ
で、知らん顔すると、いうことです。
非常に冷たい態度とられました。
DMATの方にも、そのようなことで、夕方のカンファレンスで何か提言申し上げ
てもよろしいですかと聞いて、いいですよという話はしていたのですが、突如
として夕方5時くらいに電話がかかってきて、お前は出ていきなさいと、検疫
の許可は与えないと、ま、臨時の検疫官として入っていたのですけど、その許
可を取り消すということで、資格を取られて検疫所の方に連れられて、当初電
話をくれた厚労省にいる人に会って、なんでDMATの下で仕事しなかったのかと、
感染管理の仕事はするなと言ったじゃないかと言われました。
でも、そもそもDMATの方に感染管理してくれと言われたんですよと話したんで
すけど、とにかく、岩田に対してすごくムカついた人がいると。
誰とは言わないけど、ムカついたと。
だからもう、お前はもう出ていくしかないんだと話をしました。
でも、僕がいなくなったら今度は感染対策するプロが一人もいなくなっちゃい
ますよって話をしたんですけど、それは構わないんですかっても聞いたんです
が、それからこのままだともっと何百人という感染者がおきて、DMATの方も、、
、DMATの方を責める気は更々なくて、あの方々は全く感染のプロでは無いです
から、その、どうも環境感染学会の方が入った時にいろいろ言われて、DMATの
方は感染のプロ達にすごく嫌な思いをしていたらしいですね。
それは、申し訳ないなと思うんですけれども、別に彼らが悪いって全然思わな
い、専門領域が違いますから。
しかしながら、彼らが実はリスクの状態にいるわけです。
自分たちが感染するという。
それを、防ぐこともできるわけです。
方法ちゃんとありますから。
ところが、その方法すら知らされずに、自分たちをリスク下に置いていると。
そして、そのチャンスを奪い取ってしまうという状態です。
で、彼ら医療従事者ですから、帰ると自分たちの病院へ行って仕事するわけで、
今度はまたそこから院内感染が広がってしまいかねない。
で、もうこれはもう、大変なことで、アフリカや中国なんかに比べても全然酷
い感染対策をしているし、エラ*`+(聞き取れず)なんかの方がよっぽどマシで
した。
日本にCDCが無いとはいえ、まさかここまで酷いとは思ってなくて、もうちょ
っとちゃんと専門家が入って、専門家が責任を取って、リーダーシップをとっ
て、ちゃんと感染対策についてのルールを決めてやってるんだろうと思ったん
ですけど、まったくそんなことはないわけです。
もうとんでもないことなわけです。
これ、英語でも、つたない英語でも収録させて頂きましたけど、とにかくあの、
多くの方にこのダイヤモンドプリンセスで起きていることをちゃんと知って頂
きたいと思います。
そしてできるならば、ちゃんと学術会ですとかね、或いは国際的な団体なり日
本に変わるように促して頂きたいと思います。
彼らはまぁ、あの、残念ながら、、、(電話で中断)
あの、編集が下手でちょっと変なつながりになったと思いますけども、考えて
みると03年のSARSの時に、僕も北京に行ってとても大変だったんですけど、特
に大変だったのはやはり中国が情報公開を十分してくれなかったというのがと
ても辛くて、何が起きているのかよく分からないと。
北京にいて本当に怖かったです。
でも、その時ですらもうちょっときちっと情報は入ってきたし、少なくとも対
策の仕方は明確で、自分自身が感染するリスク、SARS死亡率10%で怖かったで
すけれども、しかしながら今回のCOVID-19、少なくともまぁ、ダイヤモンドプ
リンセスの中のそのカオスの状態よりは、遥かに楽でした。
で、思い出して頂きたいのは、そのCOVID-19、武漢で流行りだした時に、警鐘
を鳴らしたドクターが、ソーシャルネットワークを使って、これはヤバいと勇
気をもって言ったけです。
昔の中国だったらああいうメッセージが外に出るなんて絶対許さなかったはず
ですけど、中国は今、BBCのニュースなんか聴くと、やっぱ、オープンネスと
トランスペアレンシーを大事にしているとアピールしています。
まぁそれがどこまで正しいのか僕は知りませんけど、少なくとも透明性がある
こと、情報公開ちゃんとやることが、国際的な信用を勝ち得る上で大事なんだ
ってことは理解しているらしい。
中国は世界の大国になろうとしてますから、そこをしっかりやろうとしている。
ところが日本は、ダイヤモンドプリンセスの中で起きてることは全然、情報を
出していない。
それから、院内感染が起きているかどうかは、発熱のオンセットをちゃんと記
録して、それから、カーブを作っていくという、統計手法、エビカーブっての
があるんですけど、そのデータを全然とっていないということを、今日教えて
もらいました。
PCRの検査をした日をカウントしても、感染の状態は分からないです。
このことも実は厚労省の方に既に申し上げていたんですけども、何日も前に。
全然、されていないということで、つまり要は、院内の感染がどんどん起きて
てもそれに全く気付かなければ、気付いてもいない、対応すらできていない、
で、専門家もいないと。
ぐちゃぐちゃな状態になったままでいるわけです。
このことを、日本の皆さん、或いは世界の皆さんが知らぬままになってて、特
に外国の皆さんなんかは、そうやってこう、あの、、かえって悪いマネジメン
トで、ずっとクルーズの中で、感染のリスクに耐えなきゃいけなかったという
ことですね。
やはりこれは日本の失敗なわけですけれども、それを隠すともっと失敗なわけ
です。
確かにあの、まずい対応であるということがバレるというのは、それは恥ずか
しい事かもしれないですけど、これを隠ぺいするともっと恥ずかしいわけです。
やはり、情報公開大事なんですね。
誰も情報公開しない以上は、ここでやるしかないわけです。
ぜひ、この悲惨な現実を知って頂きたいということと、ダイヤモンドプリンセ
スの中の方々、それからDMATやTPATや厚労省の方々がですね、或いは検疫従事
の方々がですね、もっとちゃんとプロフェッショナルなプロテクションを受け
て、安全に仕事ができるように、彼ら本当に、お気の毒でした。
という事で、全く役に立てなくて、非常に申し訳ないなという思いと、この大
きな問題意識を皆さんと共有したくて、この動画を上げさせて頂きました。
岩田健太郎でした。
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