バッハとモーツァルトの作品で駄作ってありますか? 難しい質問だとは思いますが...
2018/9/213:54:32
ベストアンサーに選ばれた回答
2018/9/302:57:28
モーツァルトは作品の粒が揃っている(出来不出来の差が小さい)作曲家だと思います。天才だ天才だと言われますが、実はけっこう努力家で、丁寧な仕事をしていたと思いますね。
若い頃の作品、例えばヴァイオリンソナタ(正確に言うとヴァイオリン伴奏付きピアノソナタ)第1番ハ長調 K.6 などは、まだまだ単調で幼さが残りますが、これはこれで味があると思います。
一方、モーツァルトには意図的に書いた駄作があります。『音楽の冗談』K.522 がそうですね。カノン『おれの尻をなめろ』K.231 も偉大なる駄作でしょう。
真面目に書いた駄作としては、ピアノ協奏曲第5番の第3楽章の別バーションとされる『ロンド ニ長調』K.382 があります。これはウィーンの聴衆の好みに合わせてレベルを下げて書かれたと言われています。あるいはモーツァルト自身が弾くピアノ独奏部分で華麗なアドリブを入れることを前提に書いたのかもしれません。いずれにせよ、楽譜通りに演奏されたものを聴く限りでは、おそろしく退屈な曲です。笑
他にも「ウィーンっ子の好みに合わせて書いた」とされる曲には、やや出来が悪いと思える曲がいくつかありますね。逆に言うと、これら以外には駄作なし、という印象です。
次にバッハですが、彼は「わざと手を抜いた」ことは一度もありません。そういうことができない人です。ただ、バッハ自身が弾けなかった楽器のための曲は、「バッハにしては」出来が悪いと思います。
リュートのための曲は全体的に出来が悪いです。たぶん鍵盤曲と同じような感覚で作曲してしまうためでしょう。リュート曲に関しては、親交のあったヴァイスのようなリュート奏者のほうが、楽器を生かし切った優れた曲を書いていると思います。
無伴奏フルートのためのパルティータも、さほど良い曲だとは思えません。やはり管楽器ならテレマンのほうが良いなと思います。
無伴奏チェロ組曲も、ヴァイオリン曲と比較すると、やや不満が残ります。ディミトリー・バディアロフ(楽器製作者)や寺神戸亮などが「この曲集はヴィオロンチェロ・ダ・スパッラのために書かれた」という説を唱えています。肩にかつぐスタイルで弾くほうが運指・運弓が自然だという話です。一理ありますが、「スパッラのために」書かれたとするのは勇み足だと思います。やはり普通のチェロ奏者のために書かれたが、バッハ自身はチェロを弾けないので、実際に演奏可能か確認する際にはスパッラを使ったと考えるのが妥当でしょう。結果として、チェロという楽器を十分に生かし切れていない点があるのではないかと思っています。
なお余談ですが、無伴奏チェロ組曲がアンナ・マグダレーナ・バッハの作品だとする説は、私には「珍説奇説」に思えます。笑
あと、どの作曲家にも言えることですが、「世間で言われているほどでは…」「有名な割には…」というのは沢山あります。『アイネ・クライネ・ナハトムジーク』とか『G線上のアリア』とかですね。これらは軽いダンス・ミュージックであり、あまり思い入れたっぷりに演奏されると、逆につまらなく聴こえます。質問主様が挙げておられるモーツァルトの交響曲第39番もそれに近いのかな。この曲はまるでオペラのような描写性に優れた楽しい曲ですが、真面目くさった重々しい演奏で聴くとつまらないかもしれません。私の推しはトレヴァー・ピノックの軽やかな演奏ですが如何?
https://www.youtube.com/watch?v=sHCAbyrrcX8
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質問者
2018/9/400:14:09
『ロンド ニ長調』K.382を聴いてみました。これは作業用BGMに最適ではないかと感想を持ちました。なにかの役にたつのなら駄作ではないのかもしれませんね(笑)
寺神戸さんの講義やミニコンサートは何度か行き談話時間で直接お話もしたことがありますが、当時のバイオリン以外の楽器にもかなり精通されていて、演奏もおどろきの連続でした。
食っていく以上、なにか人と違ったことをしないといけないと言った感じで、それを楽しんでやっておられるようでした。
- Yahoo!検索で調べてみよう
マエカワヤスユキさん
2018/9/313:58:36
・バッハ
ヴァイオリンや鍵盤楽器用の器楽曲ではハズレが少ない作曲家だと思いますが、平均律集第1巻には、習作というかお手軽に書いているような雰囲気の曲が多いと思います。1番や2番が典型的でして、この曲集が元は練習曲集として書かれたという説も頷ける内容です。その一方で、♯や♭が多い調性では気合いが入ったのか、明らかに内容が濃い曲が多いのが面白いです。
あとリュート曲は良くないです。これは駄作とか、やっつけ仕事ということではなくて、そもそもバッハはリュートという楽器を理解していなかったと思います。リュート奏者が、バッハの鍵盤楽器や弦楽器の独奏曲をリュート用に編曲したもののほうがずっと良いのは皮肉ですね。
宗教曲では、やはり膨大なカンタータにはやっつけ仕事もあると感じます。特にライプツィヒ時代に毎週1曲ペースで作っていた頃は使い回しだらけですし、音楽的な密度が低い曲が多いです。この頃の言動などを見るに、バッハも自身の処遇に不満があったのではないかと思います。
・モーツァルト
ピアノ協奏曲で明らかに手薄な曲があります。有名な曲では21番で、これは楽譜が真っ白です。ピアノパートは本番で即興演奏する前提で書いたと想像しますが、その前の20番の充実ぶりと比較するといかにも忙しい中のやっつけ仕事に見えます。ただ、全体的に密度を落とすことで、逆に薄さが気にならなくなるように書いた手腕はさすがだと思いますし、第二楽章などはこういう密度が低い曲のほうが人気が出ることをわかっていたのではないかとすら思えます。
ピアノ独奏曲では「きらきら星変奏曲」の出来が突出して悪いと思いますが、これは明らかに練習曲として書かれた曲なので仕方のないところでしょう。でも大人気です。
宗教曲は全部しっかり聞いているわけではないですが、ミサ曲に関してはハ短調ミサK.427以外はどれもお仕事的に書いたものだと感じます。レクイエムも、完成したとしてもK.427以上の出来になったかは疑わしいです。ミサ曲はほとんど注文されて作ったということなので、自発性が乏しいのもやむなしでしょう。いずれにしても、自発的に作ったK.427の内容の濃さは突出しています。
この回答を書いていて思ったのは、音楽的な密度が低いシンプルな曲は大衆的な人気を得やすいということです。レオポルド・モーツァルトが「軽い曲を書け」と言ってたことは真実なんだなあと改めて実感した次第です。
2018/9/218:25:50
モーツアルトは基本的にダメなので、バッハの方。
無伴奏チェロ組曲5番のサラバンド
https://youtu.be/oBFrEJK7oAg
一度も面白いと思ったことがない。
演奏の仕方というか解釈というかが根本から間違ってるんじゃないですかね・・・
リュートのためのプレリュードBWV999
https://youtu.be/M42Ktp5VQas
一応真作ってことになってるようですけど、ほんとですかね。まったくバッハらしく聞こえない。
他にもあったけど、何番だかわからなくなってしまった。
編集あり2018/9/222:29:08
全部聴いたわけではありませんが、まず駄作はありません。
この二人は、特別です。
モーツァルト(1756- )については、極幼少時の楽曲は、必ずしも必要ないと思いますが、
少年時代から大人になるまで、明らかに余裕があったのでしょう。全てが傑作で駄作と呼べるものはありません。
バッハ(1685- )は、少年時代の作品が、少ないので、モット充実しています。。
ふたつのランバッハ交響曲については、私の見解では、どちらも要りません。
新ランバッハは、モーツァルトとしては、出来の悪い作品と思っていました。旧ランバッハについては、良くでいているが、様式がモーツァルトの物とは思えない。。
で、どちらも違うという、見解でした。。
しかし、旧ランバッハの自筆が見つかったらしく。旧ランバッハが真作となりました。。
やっぱ、音楽家として、凄い人だと、思いました。あまりに作風が違うからです。。
只管、ロココ古典派様式で、描き続けたモーツァルト。
二人は神です、
楽神と呼んでいます。。
作曲への集中力が、半端ではありません。
その次のランクの作曲家を、私は個人的に、楽聖と呼んでいます。
ジョスカンデプレ(1455- )
パレストリーナ (1525- )
ラッスス (1532- )
モンテヴェルディ(1567- )
ヘンデル (1685- )
ハイドン (1732- )
ベートーヴェン (1770- )
ワーグナー (1813- )
ブラームス (1833- )
ドビュッシー (1862- )
シェーンベルク (1874- )
ご参考に成れば、光栄です。。。。
公式をひとつ。
モーツァルトを過小評価=馬鹿。
2018/9/216:16:57
モーツァルトは「駄作が多い作曲家」と言われることもよくあります。実際、作曲者の名前は有名なのに、有名作品はそんなに多くはないですよね。交響曲でも有名作品は全体の1割にも満たないほど。教会音楽では弟子達が完成させたレクイエムだけが有名で、100%本人作の曲では無名なものが大半を占める有り様。
もっとも、モーツァルトを若干弁護すると、「駄作率が高い」のはモーツァルトだけにある傾向ではなく、モーツァルトの時代の作曲家にはよくある傾向です。当時は一部の例外を除き、反復鑑賞する習慣があまりなく、音楽は量産され使い捨てされる消耗品という感覚。それに加え、楽長などの安定した地位を持たない作曲家は、数を多くこなして世間にアピールするしか方法がなかったという事情もあるようです。1曲1曲を推敲し完成度を高めて丁寧に仕上げる傾向は、19世紀になってから徐々に浸透したようです。
モーツァルトの駄作はこちらもご参考に。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q121808956...
いっぽうJ.S.バッハは多作なのに「駄作が少ない」という点で、珍しい作曲家に属すると思います。同時代の近い場所に超多作家のテレマンという作曲家もいますが、テレマンも傑作こそあっても駄作というほどの曲には出会ったことがありません。
その理由は何でしょう?私自身よくわかりません。あくまで個人的推測の域ですが、J.S.バッハの時代までは対位法の技術が必須で、生まれつき音楽の才能・技術が高い人しか作曲家になれなかったが、対位法の比重が低下し平易なホモフォニーが一般化した18世紀後半(つまりモーツァルトが生きた時代)では、作曲家になるためのハードルが大幅に下がったことが要因かと考えています。つまり「音楽の大衆化・平易化・単純化」の時代です。
実際、マリー・アントワネットやケリー伯爵やスヴィーテン男爵らのアマチュアでも作曲家たりえたのがモーツァルトの時代です。「モーツァルトの子守歌」として知られる曲も、実はアマチュアが作曲した曲です。ピアノを嗜んだ文豪ゲーテは、モーツァルトの曲は弾けたが、J.S.バッハやベートーヴェンの曲は上手く弾きこなすことができなかったとも伝えられています。
この「音楽の大衆化・平易化・単純化」が進行した18世紀後半という時代が終わった後、その反動というべきか、再び音楽は複雑・難解になり、名人芸や超絶技巧が脚光を浴び、パガニーニやリストが登場してくる。
こう考えると納得がいくことが多いと思います。
2018/9/215:46:11
そりゃありますよ。バッハ、モーツァルトとはいえ人間なんだもの。
駄作というか、モーツァルトの場合は習作みたいなものまで世に出してるみたいなので、初期の作品群の中でも特に小品等には、ちょっと…と言いたくなるような作品もあるにはあります。
バッハはブランデンブルグ協奏曲の1番とか、傑作とは言いづらい作品も結構ありますよ。
問題は何も持って駄作とするかですが、傑作を生み出す者の共通点は多作であることが音楽問わずそれが全てに共通する条件なので、イマイチ作品をあれこれ論ったところで、彼らが生み出した歴史的名作と讃えられる曲が何曲もある以上、彼らの名声が些かも揺らぐことはありえません。
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