これまで書いた作品に沢山の好意的な反応を下さりありがとうございました。
前作【この距離を】で煮詰まった時、気晴らしに書いてた副産物です。
書きかけだけどまた長くなってきたので、少しずつアップします。
皆様の軽い暇つぶしになればいいなと。
書きたかった事
●変態(変人?)全開の由井さん
●体育会系(本来ならそうだと思う)の捜査一課にしごかれる玲ちゃん
注!
ねつ造だらけ。ネタバレ配慮なし。個人的趣味一色。玲ちゃんは誰とも付き合ってません。
警視庁本部庁舎内の事は聞きかじったものがほとんどで確証ありません。某県警と同じ雰囲気で書いたけど多分違うんだろなと。
護身術とか柔道とか実際やってましたが、経験の範囲内で適当に書いてるので軽く流して下さいませ・・・
合宿初日
捜査企画課
朝8:30
「泉。すぐに出れるか?」
「はいっ!?」
会議室から戻った関の後ろには、捜査一課の大魔王:服部がゆらりと立ちはだかっていた。
「いきなりで悪いが、今日から暫く捜査一課に出向してもらう事になったよ。詳しい説明は服部さんがするからすぐ支度してくれ」
「へぁ?」
・・・出向???
唐突過ぎておかしな声しか出ない玲の前を横切り、玲のデスク脇にあったバッグを掴みながら服部は部屋の男達に告げる。
「マトリちゃん当分の間こっちでお預かりだけど、表向きはマトリにいる事にしててね~。荷物コレ?じゃ行くよ」
「え??ぁ??」
むんずと服部の大きな手に掴まれ、状況が飲み込めないまま連行されて行く(に等しい)玲は、辛うじてドアをくぐる時に振り返り、唖然としたマトリの一同と、困ったように微笑む関の顔をチラリとだけ見ることができた。
エレベータに乗り込んでも放してもらえない手のせいで、自然と密着せざるをえない隣の大きな男は、横目で盗み見る限りボンヤリと空を見つめて普段と変わりない様子。
しかし合同捜査でもないのに、なぜ捜査一課に連れて行かれるのか。
マトリの仕事・・だとしても自分1人が引っ張られるはずはないし、スタンド案件か、体質絡みか・・・大魔王直々のお出迎えは身に余る光栄・・というよりは、むしろ
・・・(逃げ出したい)
とにかく得体のしれない事態に、玲は怯えて混乱していた。
手を掴んでいるのが、かの大魔王だからだ。
大きな手は温かいが手を繋いでいるわけではなく手首を掴まれていて、わかるのは逃げようがないと言う事。
「もーのすっごいドキドキしてるねぇ」
「?!」
横を見上げると、薄ら笑ってい(るように見え)た服部が、視線をチラ・・と玲に寄越した。
「心拍が全力疾走並」
「!?」
捕まれた手首から脈を計られているとは思いもよらず、玲はビクッと体を強張らせた。
「そう怯えなさんな。狙ってる組織がいるから、マトリちゃんは服部班で保護する事になったよ」
「・・・は・・い・・・?」
「と言っても、手が空いた誰かにくっついてお勉強兼警護って感じだから、合宿みたいなもんだと思って」
「・・?? お勉強ですか?」
「鍛えてあげるから、これを機にちゃんと護身を学びんさい。それともずっと足引っ張って守られるだけのお姫様でいる気?」
「!!! いえ! 宜しくお願いします」
「暫くお家とマトリは近づけないからよろしくどーぞ」
「!!・・・そうなんですか?」
「いつもいる所うろついてたら、どーぞ攫って下さいって言ってるようなものじゃない?」
「そう・・ですね・・・」
玲の心拍が更に上がったのがわかったのだろう。
喉の奥でクツクツと笑う服部は、車の助手席のドアを開けて初めて玲の手首を解放した。
「関さん」
売られてゆく仔牛の様な瞳で振り返る玲がドアに消えた直後、状況説明を求めようとする男達が群がって来るのを見て、関は苦笑いした
「うん。説明するから落ち着いて」
関自身も服部から聞いたばかりの話を、マトリの課員は険しい顔で聞き入る。
たまたま今朝、一課が摘発した組の書類から、海外の組織と結託して玲を狙っている事が発覚。
既に検査と実験の計画が細かく立てられており、身の回りの世話する人間を手配する段階だったという。
多分組織内で予算をはじき出すための計画書なのだろうが、これだけ準備が進んでいたと言う事は、攫われるのは時間の問題と見なしたため、服部が玲の身柄を一時預かる事を提案。
関は選択の余地はないと判断し、服部に一任する事にしたという。
「事態は思ったより深刻だと思う。要人の様に警護する事は出来ないが、服部班の中で位なら表向きスタンド案件と言う事で一緒にいて守ってやれるから、と服部さんが提案してくれたんだ」
「じゃあ玲ちゃんは当分こっちに来ないって事ですか?」
「余程の事態じゃない限りそうなると思う。自宅も知られてるから1人で帰せないし、当面は24時間、服部班の誰かの傍にいる」
「あんな男がいる所に24時間・・・不憫だな」
面白くなさそうな顔をして青山が言うのを、関は眉を下げて宥める。
「事件が片付いた今なら少し余裕があるから、空き時間に泉を鍛えると言ってたよ」
「うわー・・・あの大魔王が鍛えるとか、血反吐が出そう・・・」
夏目が心底嫌そうな顔で呟く。
「泉には急ですまないと思ったが、これを見たらそうも言っていられないと思ってね」
「これ?」
「見つかった計画書みたいなものだ」
関がペラリとデスクに滑らせた紙を、たまたま一番近くにいた由井が拾い上げて目を走らせ、大きく目を開く。
「・・・・!!・・・これはっっ!!!!!」
「・・・なんだ孝太郎。読み上げろよ」
「・・!!・・・・!!・・・!!!」
「・・・・関さん・・・・」
何かを呟きながら紙に魅入る由井に、痺れを切らした青山が説明を求めて関に向き直ると、由井が呆然としながら口走る。
「いい・・・」
「は?」
「泉のあらゆる体液と皮膚片の採取・培養から始まり、採卵後は妊娠させて子供も観察しつつ薬物の耐性実験。なかなかそそられる内容だ」
「なっ・・・」
絶句する課員達の反応などどこ吹く風で、由井はうわ言の様に呟きながら紙面を指でなぞる。
横から今大路が覗き込んで、その指の先を読み上げた。
「エクリン腺、アポクリン腺、バルトリン腺、スキーン腺?」
「・・!!!!!!」
それを聞いた青山は、サッと顔色を変えた。
「アポクリン腺て脇の汗でしたっけ?」
夏目が訪ねると、意味を全部悟ったらしい青山は、歯軋りをしながら頷いて黙り込んだ。
「そうだ。バルトリン腺・スキーン腺は性交時に女性が体液を分泌する部分だ。愛液はいいとして、潮吹きは体質によると思うが・・・媚薬でも使うのかな」
「!!!!!」
部品の名前でも言うかのような調子で、淡々と口にする由井の熱っぽい表情とは対称的に、全員が凍りつく。
「ここまでやるか。いやしかし奇跡の身体だ、新たな発見の期待は高い。マウスに、ふーん・・・ストレス下に置くのは・・後で・・・確かに・・・」
ブツブツと呟く由井は、紙面に目を通しきった所で青山に取上げられながら、関に向き直って言った。
「人員手配の段階なら、準備は完了に近い。計画もかなり周到ですね」
苦笑いしながら関が答える。
「うん。由井は予想通りの反応だね。これを見る限り攫われるのは時間の問題だったと、服部さんが直々に保護しに来たんだ」
10:00
「孝太郎さん、あの計画書には具体的に何が書いてあったんですか?」
計画書は青山が目を通したところで回収され、細かい事を知りたがった夏目は、書類をとりに来た由井に何の気なしに声をかけた。
部屋にいた今大路も興味深そうに視線を寄越す。
由井は生き生きとして答え始めた。
「うん、まず泉は暫く睡眠をとらせず、判断力を低下させて懐柔する。洗脳に近いな。その上で用意した人間やペットと1・2ヶ月程ストレスの少ない健康な生活をさせ、爪や髪を伸ばして体重を増やしつつ、血液と背中の皮膚片を少量採取。少量と言っても、皮膚は培地に抗生物質を添加するパターンと分けるから・・」
「ああもういいです。捕まってすぐ、薬を打たれたりじゃ~ないんですね」
難しい話はゴメンだと言わんばかりの夏目が手を振って遮ったが、由井の説明は続いた。
「そうだな。最初のうちは排卵誘発剤、皮膚片を採取する時の麻酔ぐらいかな。麻酔も効かないのから各種試すようだから、薬物投与の記録はここから始まる。皮膚片はわりと深く切る上に、ついでに腰から髄液も採るから、麻酔が効かない場合は結構痛い。術後は暫くうつ伏せで回復を待たねばならないから、まとめてやるんだろうな」
「麻酔は効かないだろうけど、一応効かない事を確認していく、みたいな感じですか?」
「まぁ、そういう事になる。痛みに耐えるストレス下での、生体反応のモニタリングや唾液・毛髪の採取も忘れていないのがいい」
「孝太郎さんの目がギラギラしててヤバ・・・痛いのって結構ストレスだと思うんですけど、それ以外はわりといい生活って事なんですよね?」
「そうだな。ある意味最初の2・3ヶ月位は採卵のコンディションを整えるためにストレスは少ないはずだ」
「サイランって、卵子を採取のサイランですか?」
「そうだ。専用針のついた器具を膣から卵巣へ挿入して、卵子を採取し凍結保存して体外受精に使う。母体は代理かな?これも麻酔が効かないと痛いかもしれない」
「うわ」
痛そうな顔をする夏目とは正反対に、由井は何でもないような口調で更に続ける。
「体液の採取はその前に行うとあったな。どんな状況で採るのか興味深い」
「それって・・・ただのエロ話に聞こえますけど。その前に孝太郎さん、それ全部あの目を通した一瞬だけで覚えたんですか?」
「ん?ああ。泉の身体を各パターンで隅々まで研究という視点だけで見たら、なかなか悪くない計画だったからな」
「うわ・・・マッドサイエンティストっぷりが漏れ出てる。計画したやつらと同類に見えてきた」
由井は辛辣な夏目の発言を否定はするものの、特に気に留めた様子もなく話し続けた。
「一緒にしないでくれ。この計画は卵子を採取した後からが結構酷い」
「酷いって?」
「まず強烈な心的ストレス下に置いたところで、血中の白血球や赤血球の増加や免疫力・抗ウィルス作用の向上を検査する。つまり涙が枯れる程ストレスをかけて追いつめた状況で、死なない程度まで血を抜かれる」
「強烈なストレス下って・・?」
「泉の世話をする人間は、身寄りがないのが人選の条件だった。これは邪推だが、共同生活で情を移しておいて、目の前で惨殺するとか、泉のせいで死ぬ様に仕向けるんだろう。泉のような性格の人間には相当堪えるはずだ」
「うわ・・・・外道・・」
「それを乗り越えた頃に妊娠させる。いや、妊娠することで乗り越えるのかな?羊水や胎盤も研究対象だ。出産後、本格的に薬物の実験をするか再び妊娠させるかは、それまでの検査結果による」
「・・・・・・・・・・」
溢れる様に説明をしきった後、絶句した夏目に向きなおった由井は、取り澄ました表情で締めくくった。
「勿論そんな事は、あってはならない」
「その目つきで散々言っといて、説得力が全然ありませんね」
「そんなことはない。興味自体は大いにあるが別の話だ。これじゃ泉個人の扱いがモルモットと同じだ。人道に反するし賛成できない」
真面目くさった顔で言ってのける由井に、あきれた顔を向ける夏目の後ろから、それまで黙って聞いていた今大路が口を開いた。
「これだけの実験や検査ができる環境となると、ある程度絞られてきますよね?」
「・・・そうだな。医師免許のある人間に限るとまではいかないが、麻酔の知識や採卵・髄液の採取は素人には無理だろうから、医療従事者は絡んでいるだろう」
「内容的に手術と言っていいですもんね」
「この医療行為と普段の生活・採取した諸々を研究する設備となると、場所も大分限られるだろう。期間も長いし費用も相当掛かる。日本とは限らない」
「そこまでお金をかけるメリットはあるんですかね」
「LSD29なんかは元々少量で済むドラッグだから、その量産型の開発とか、検査に引っかからない薬の研究とか・・・まぁ如何様にもできる」
「マトリが玲ちゃんをスカウトした理由をかなり忘れてましたけど、やっぱり危ない体質なんですねー」
「何を言う。俺が見つけた類稀なる奇跡の体質だ」
「言い方が変態じみている」
「変態じゃない。変人だ」
「どっちでもいいですよこの際」
今大路が穏やかにまとめた。
「どちらにせよ、玲さんがいないと静かで寂しいですね」
「・・・・・・・・」
「・・・・・・・・」
3人で玲のデスクを見つめて黙った。
その沈黙は肯定だった。
警視庁・捜査一課
「あ、玲ー!!」
一課に入ると、待ち構えていたのか菅野がすぐに気付いて走り寄ってきた。
「菅野くん。お世話になります」
玲は背筋を伸ばして頭を下げた。
それを見て菅野は破顔する。
「こちらこそ。攫われてなくてよかった。警護のお礼は体で返してくれるって言うから待ってたよ」
「?!?!からだっ!?!」
玲が慌てて服部を見上げると
「ただで警護するわけないでしょ。ちゃんと体で返してもらうよ」
と涼しい顔の大魔王がのたまい、玲の背中をトンと押す。
「摘発明けだから書類の山なんだ。その前から溜まってるのも全部今日中に片づけろって言われててさぁ。超アテにしてるからよろしくね」
笑顔の菅野の後ろを歩きながら、なぁんだと安堵の息を吐いた玲は、一課の面々に挨拶しながら菅野の席の脇で手伝いを始める。
服部はそれを見るともなしに自席に腰掛けると、おもむろにデスクの一番下の引き出しからクッションを取り出して寝始めた。
「・・・・・・・」
課に戻ってすぐ寝る服部、それを気にもかけない一課の様子、日常なのかこれは・・・
色々思う事はあったがここは自分の立場をわきまえようと、玲は黙って書類の山と闘う菅野に加勢する事にした。
今日一日この手伝いで終わるのかと思いきや、実は全然そんなことなかったと後から思い知る事になる。
定時後
玲は貸し出されたジャージに着替え、緊張しながら柔軟運動をしていた。
場所は警視庁の柔道場。
輪になって一緒に柔軟をする服部班の面々は当然皆黒帯で、着慣れていると思しき道着姿で緊張感もなく喋っている。
「皆で練習って超久しぶりですね~」
「今日、人多いな」
「大会が近いからでしょう」
「事件続きで鈍ってたんだから、暇ができた今だけでもたっぷり汗流しんさい」
「はーい」
一日デスクに座っていたのでストレッチは気持ちいいし、いつもと違う皆の道着姿にドキドキしたいところだが、正直今はそれどころではない。
いかつい誰かが近くで投げられたり受け身をするたびに、スプリングの入った畳が揺れて落ち着かず、柔道場の猛々しい雰囲気にビクビクしていた。
「マトリちゃん、研修後は大したコトやってないんだって?急ごしらえだけど叩き込むから、死ぬ気で覚えてね~」
「(ひっっ)わかりました」
「耀さんビビらせすぎ・・・」
「シッ。夏樹黙ってろ」
「だって蒼生さん、玲の唇が白いですよ。そろそろ死んじゃいそう」
「夏樹は元気そうだから、乱取りは元立ち(休憩がない)ね」
「うぇっ?!」
「相変わらず夏樹は懲りないですね。少し口を慎んで下さい」
「じゃあ司、よろしく。蒼生相手してやって」
「はい」
「わかりました。玲さんはこっちです」
服部と菅野が二人一組のストレッチをしながら雑談している。
「いいなぁ。俺も女の子と組んず解れつしたい」
「後で交代するから、夏樹が練習の相手すればいいじゃないの」
「ホントですか??やったー!!」
呑気な会話を背に、玲はオドオドしながら朝霧と荒木田にお辞儀をする。
「よろしくお願いします」
「まず最初に言っておきますが、この目的は犯人の制圧ではなく、対・拉致の護身です。くれぐれもここを間違えないように」
「はい」
「習った合気道の技は、今回一度忘れて下さい」
「はい」
「まず手を掴まれた時の躱し方からいくつかやりましょう。蒼生、犯人確保と同じ手順で、手を掴みゆっくり後ろ手に拘束して下さい」
「はい。いくぞ、泉」
「!!!」
いきなり荒木田に力強く手を握られて、玲はあっさり手を捻られ犯人のように畳にねじ伏せられる。
荒木田はあっさりねじ伏せておきながら、玲の手首の細さと柔らかさに内心驚いていた。
普段相対する犯人や、練習の相手になる男達とは造りが全然違う。
朝霧は淡々と解説を始めた。
「・・・いいですか?まず手を掴まれた時は、このように手に力を入れて張り・・・」
「・・・指の力を抜いて手の甲を打ち付ければどこかが目に当たります。どこでもいい、目に当たれば一瞬でも相手は怯むので・・・」
「・・・正面に向き合った時は、逃げるための隙を作ります。狙うのは膝か・・・」
仏頂面の割には懇切丁寧な朝霧の指導と、黙って練習相手になる荒木田。
最初恐る恐る遠慮しながら技をかけていた玲は、1時間程熱心に練習した。
「はい、マトリちゃん、テストしまーす」
「っ!?」
休憩中に水を飲んでいた玲の傍に、服部がタオルで汗を拭いながらやって来た。
はだけた道着からシックスパックを覗かせ、色気と汗を滴らせる服部にずずいと迫られた玲は、驚く暇もなく手首を掴まれる。
ハッとした玲が、教わったばかりの抜き技で振り解こうとするが、荒木田には多少通用したはずなのに、服部にはかからない。
焦って何度もやり直していると
「あーあー。こりゃ攫われてモルモットコースだねぇ」
と言うが早いか、そのまま後ろ手に捻りあげられ、さっきと同じく畳に顔を押し付けられて踏みつけられた。
「!!!!」
畳は柔らかいが、容赦なく乗っかる服部の重みと拘束の痛みに、玲は悲鳴を上げそうになる。
「ありゃ、マトリちゃんの手首随分やーらかいねぇ。夏樹ー。蒼生と交代」
「はい!!! やったぁ~~」
元立ちをしていた夏樹が、服部の一声で滝のような汗を拭きながら戻ってきた。
そして
「ごめん。汗かいてるけど」
といって、息を弾ませながら玲の前に笑顔で立つ。
その横には服部が仁王立ち。
「司、何教えたの?」
「片手内回し、小手抜き・目打ちと金的蹴り・前蹴りを左右です」
「それだけ?ぬるいねぇ」
「玲さんの覚えが悪いので、いっぺんに詰め込んでも無理でしょう」
「?!?!」
それなりに一生懸命やっていたつもりだった玲は、朝霧からの思わぬ辛辣な感想を聞かされて衝撃を受けた。
「おっけー。奥に4機から何人か遊びに来てるから揉まれといで~」
「うわ・・・」
「なんでこっちに・・・」
ゲンナリしながら乱取りに加わっていく荒木田と朝霧に手を振って、服部は大魔王の笑み全開で向き直った。
「マトリちゃん、死ぬ気でやってる?」
「ひっ。はい!」
玲はこの日、半泣きで多数の技を教わるが、結局服部からはダメだししかもらえなかった。
警視庁:地下食堂
練習の後、庁舎のシャワーで汗を流してから、食堂でミーティング兼夕食となる。
全員がメガ盛りをもぐもぐする中、服部の一言にまた玲は凍りついた。
「明日から全員、1日1回マトリちゃんを縛り上げる事」
「!!??」
「はーい。不意打ちでもいいんですか?」
菅野が驚いた様子も見せずに、返事と質問を返す。
「いいよ。場所は課内と道場限定、1分以内に拘束できなかったら出直す事。縛り上げたらマトリちゃんのおでこに自分のハンコ押して証拠残して。帰るまでに押印ないとペナ1だから」
「おでこ?!?!」
「「「はい」」」
「マトリちゃんはハンコ押されたら帰りまで消さないように。嫌なら全力で警戒して抵抗してね~」
「は・・・・・はい・・・」
「おでこかぁ。前髪で隠れるところなら目立たないかな~」
「明日は昼前に出る予定なのですが・・・」
「出る前に縛り上げちゃえばいいじゃないの」
突拍子もない服部の発言に慌てふためいていたのは玲だけで、他の面々は慣れっこと言った顔つきで食事を続けている。
そもそも1回サラッと言われただけで皆は頭に入っているのか・・・と、混乱する脳裏の端でそんな事にも感心し、彼らの優秀さを垣間見た思いだったが
この発言によって、服部はこの生活が長期になると見ているという事に、1人だけ気付けないでいた。
「そーだ。あとでマトリちゃん家の鍵借りたいんだけど?」
「私の家のですか?? はぁ」
「ちょっとあがらせてもらうけどいい?」
「えっと・・・片付いてたか怪しいですけど・・・」
玲は目まぐるしく思いだしながら答えた。
今日は下着を干しっぱなしとかもないし、最低限の片づけはしてあったと思う。
「蒼生と秀介だから物色はしないと思うよ」
「・・・・はぁ・・・・」
わかったようなわからないような。
腑に落ちないけど拒否権はないんだろうな・・・と、本能に近い所で察した玲は、巻き取ったパスタを口に押し込んだ。
「マトリちゃん、まだ元気そうだし夏樹先生と眠くなるまでお勉強タイムね」
「???・・・はい。眠くなったら終わりでいいんですか?」
「いきなり初めての仮眠室でぐっすり眠れる図太さがあるならもう寝ていいけど、無理でしょ」
「そう・・・ですね」
「夏樹ついでにあの計画書見せて説明しといて」
「はーい」
「んじゃ俺は飲み会だから。よろしくどうぞ~」
「お疲れ様でしたー」
今日は菅野が当直のようだ。
珍しく平和なのだろう。
少しずつ人が減っていく課内で菅野は
「それじゃ一時間目の授業を始めまーす」
と、エアーなメガネを直す仕草をおどけてやってみせたので、玲も笑って
「きりーつ、れーい、宜しくお願いしまーす」
と言ってお辞儀をした。
「はぁ~。コレきっと怖くなる話なんだけど、夜にするの可哀そうだなぁ」
と、眉を下げる菅野は、一枚の紙を玲に渡して話し始めた。
今朝摘発された事務所にあったこの書類から、玲が拉致寸前だった事が発覚し、現場に居合わせた服部がその足で九段下に玲を迎えに行ったという経緯。
何が計画されていたかはここに書いてある通りで、今手分けしてこれを追っているが海外組織が関わっているので簡単にはいかないだろうと言う事。
「隅々までゆっくり目を通してね」
と渡された紙面を丁寧に目で追いながら、ここで初めて玲は自分の置かれた立場を正確に知り、身に迫った脅威に背筋が凍るほどのショックを受けた。
「ゴメン。怖がらせるつもりじゃないんだけど、状況を正確に知っておくのも大事な事なんだ」
玲の顔色を見てフォローを入れつつ、菅野は続けた。
「安全が確認されるまで、玲は家とマトリには近づけないから、基本ここで宿直の誰かと寝泊まりだよ。事件が入って全員出る時は、誰かに帯同してもらう」
「・・・・ハイ・・・・」
「だけど不測の事態っていうのは必ずあるし、1人で逃げ切るための知恵も知っといた方がいいんだ」
優しく前置きを置いて、菅野は具体的な話を始めた。
玲は頷いて真剣にメモを取る。
追われた時にどうやって逃げ切るか。
足で逃げる時。
人ごみの使い方・溶け込み方。
追っ手が複数だった場合。
尾行のみつけかた。
徒歩尾行・車両尾行。
信号を使った撒き方。
交通機関と駅の使い方、メリット・デメリット。
etc…
時折質問したり書き留める時間をもらいながら、玲はひたすらペンを走らせて頭に叩き込んだ。
「明日もし誰か手が空いていたら、実際に雑踏を歩きながら特訓すると思う」
「はい」
なるべく噛み砕いた言葉で教えながら、菅野は真剣にメモを取って反芻する玲を見て少々不憫に思った。
今日練習の相手をしていてわかったが、玲はこのような事に向いていない。
朝霧が「覚えが悪い」と言っていた事はその通りで、そしてそれは玲のせいではないと思った。
真剣に取り組んではいるが、基礎がほぼゼロなのだ。
ついこの間まで一般女性だったから当然だ。
だから服部は「死ぬ気で覚えてね」と言った。
死ぬ気で覚えないと、短期間で身につけるのは難しい。
その「覚える」とは、頭ではなく体にも叩き込まねばならない。
体が覚えるためにはひたすら反復練習なのだが、果たしてそこまでできるかどうか。
守るだけでは何の解決にもならないので歯がゆい。
経験やスキルを譲ってやれたらなぁ・・・などという非現実的な事すら思った。
玲にとっては長い一日だったが、恐怖と緊張感でなかなか眠気はやってこなく、欠伸が出たのは日付を越えた後だった。
それまで根気よく教えていた菅野は、仮眠室へ送りながら玲の頭を撫でて労ってやった。
たとえ庁内でもただのトイレでも、玲は独り歩きを禁じられている。
「玲、お疲れ様。頑張ったね」
「ありがとう。菅野くんも当直なのに、先生までしてくれてありがとう」
「こんなのいつでもやるよ。今日はなるべく考え事しないで目を瞑れよ」
「ふふっ はーい」
「それじゃおやすみ。明日迎えが来るまで出ないようにね」
「ありがとう。おやすみなさい」
仮眠室に消えていく玲の後姿を見届けてから、菅野は欠伸をしながらデスクへ戻って行った。
合宿初日 終わり