2020-01-28

臨床心理学大学院募集停止について

私はついに同僚のことが許せなくなった。

酒をあおってもやりすごせなくなった。アルコールに弱い私にそれがけっこうな毒なのは承知していたけど、彼よりはましな毒だった。体内をめぐる毒物毎日もくもくと戦った肝臓が、ある日とつぜん激痛を訴えてくるように、私は彼の毒に我慢限界を迎えた。

彼をAと呼ぼう。

Aとは同じ職場で20年仕事をしてきた。大学職員である。この大学はいくつかの大きな売りがあるけど(例えば皇族のご姉妹が学ばれたり)、売りの一つは心理学だった。私はこの大学心理学を学んで、職員になった。その贔屓目はあるかもしれない。でも臨床心理学大学院が、文部科学省から「魅力ある大学院」として評価されたときには我がことのように嬉しく誇らしかった。

その大学院は、もうない。

定員割れしたわけじゃない。大学院はもちろん、どの専修分野ものきなみ定員割れしていた。でも臨床心理学専修だけは人気が高く、倍率も大学入試みたいなものだった。その狭き門をくぐった学生たちは優秀だったし、教授陣はキリスト教精神体現する立派な方たちだった。東日本大震災ときも、被災者の方々の心のケアに精力的に取り組んだ。

その大学院はなくなった。Aが毒を撒いたからだ。

大学院のうち臨床心理学専修だけが学生募集を停止した。この事件の経緯について、学生教職員を問わず当時の学内人間の何パーセントかは知っていた。もう少し正確に言うと、いったい何が起こったのか想像がついた。募集停止が公表される数ヶ月前、mixi大学臨床心理学関係の「不祥事」が書かれた。ある卒業生が書いたものだった。この「告発事件がどこまで事実に基づいたものか、私は知らない。だからここでは詳しく書かない。だけど大学院の募集停止と因果関係があることはまず間違いないだろう。

私はこの事件と直接は関係していないから、何が事実かを判断することはできない。嘘。私と関係あるいくつかのことが引っかかる。Aが仕事中に、電話を受けたことがあった。Aはある決まった用件のとき、心の底から蔑むような声で電話応対する。心理相談室に通うクライエントから電話があったときだ。心理相談室とは、学内に置かれた臨床心理学付属機関で、心を病んだ人たちが有料で心理的援助を受ける。彼女たちからまれ大学事務電話がかかってくることがあった。Aは病んだ彼女たちのことを軽蔑して差別していた。

「中断してしまったんですね…」

Aの台詞から電話の内容が分かる。心理相談室は夏休み春休みになると、心理相談が中断して電話受付のスタッフもいなくなる。そこで大学事務電話が来るわけである。でも繰り返しておくとそれはまれなことだった。Aが電話応対してこの発言をするとき、とても汚いものを見たように声を絞り出す。女の経血を見た男のような、黒人出血を見た白人のような。馬鹿馬鹿しい、血は誰のだって汚いのに。

Aは一言二言返すと電話を切った。それから煙草を吸いにいった。Aが汚いものを洗い落としに行っているその間、私はAの毒に心を痛めた。誰よりも汚いのはAの方。Aの毒が病んだ人たちを殺したなら、Aはとても満足しただろう。Aの電話応対を咎めたこともあった。でもAは取り合わなかった。こんなとき、私はもう一度電話がかかってくるのを悲痛に祈って待つしかなかった。その晩はアルコールに身を委ねるしかなかった。

引っかかることの話をしよう。2013年7月に、大学院の募集停止が大学から公表された。「告発」は2006年心理相談出来事2013年になってからmixiに書いていた。この7年の間に何があったのかはやはり分からない。mixi2006年にすでにあったのに、2013年まで待たないといけない事情があったのだろう。私が引っかかるのは2006年のことである。その年の春休み、Aが電話応対して「中断してしまったんですね…」と例の毒を撒いた。私はAを強く咎めた。たまたま電話のやりとりが聞こえて、Aの応対が杜撰だと思い電話を切ったあと口論になったのをよく覚えている。私はその晩むしゃくしゃして、正体がなくなるまでアルコール摂取した。

私は2013年mixiを書いた彼女へ、メッセージを送っていた。事件について人からなにか聞いたらご連絡します、といったあたりさわりない内容に、それとなく2006年の何月のことか尋ねた。1月から2月にかけてのことだという。そして私がAと諍いがあったのが、その年の春休み3月のこと。

しかしたら…あのとき電話は…

心理相談室に関わりがあっただけで、心理相談が中断したわけではなかったのでないか。 十分にありうることだった。Aが心理相談室がらみのことでまともに電話応対するわけがなかった。心理相談に関するトラブルがあって、それで大学側に助けを求めたのではないか。もちろんこれは私の想像にすぎない。mixiでまたメッセージを送って確かめるべきだったのかもしれない。でもそれは私の想像が当たっているか知りたいという自己満足にすぎないとも思った。だからあえて確かめることはしなかった。

もし彼女が本当に大学に助けを求めていたのだとしたら、例えば学内人権委員につなぐということが考えられた。Aが電話応対したせいでそれすらできなかった。トラブルがあってからそれほど間をおかずに大学電話したのに、助けは得られなかった。だから7年もの歳月を待ち、SNSでの「告発」という形を取らなければいけなくなったのではないか…?彼女mixi募集停止が発表された2013年7月アカウントが消された。私の疑問を確かめる術は失われた。

私の仮説はこうだ。Aの毒は臨床心理学大学院と心理相談室を殺した。

臨床心理学大学院が募集を停止し、その付属機関である心理相談室もまた2017年に閉所された。これは教授陣が自主的に望んだことではなく、大学の決定によるものだった。私はこのことを悲しく受け止めたが、その内情について詳しくなく明かす立場にない。だけど引っかかることがある。もしかしたら、この一連の流れは止めることができたのかもしれない。Aの毒をアルコールによって毒してしまうのではなく、なにか行動を起こすことができていたなら?

私の仮説はこう言い換えてもいい。臨床心理学大学院と心理相談室を、私がアルコールと無行動という毒によって殺した。

私はついにAのことが許せなくなった。私が私自身を許せないから。

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