Deep House(ディープ・ハウス)とは – 音楽ジャンル

公開日:  最終更新日:2020/02/14

Deep House(ディープ・ハウス)

狭義のDeep House

語源と定義

Larry Heard(ラリー・ハード)がハウスミュージックにソウルとジャズの要素を取り入れたことでディープハウスが誕生、この用語は1988年までに英国で使用されはじめており、1988年2月に英国レスター・スクウェアにあるエンパイア劇場で開催されたイベント「Deep House Convention」では、Kym Mazelle(キム・マゼル)やMarshall Jefferson(マーシャル・ジェファーソン)、Frankie Knuckles(フランキー・ナックルズ)など有力なシカゴのアーティストが特集されました。

By incorporating elements of the soul and jazz he grew up on, Heard unwittingly sophisticated and intellectualised the genre and, even though he probably didn’t know at the time, deep house was born. … The term was being used in the UK by 1988 and the Deep House Convention at Leicester Square’s Empire in February of that year featured a number of seminal Chicago artists like Kym Mazelle, Marshall Jefferson and Frankie Knuckles.
– mixmag : STOP CALLING IT DEEP HOUSE –

注意)ただしフランキー・ナックルズはハウスミュージック発祥および語源のクラブとなったシカゴのWarehouse(ウェアハウス)において当初よりガラージやソウル/ディスコ系ハウスを扱っているため、ラリー・ハードの登場によって突如ディープハウスが誕生した訳でもなく、「深み」を加えた結果としてモダナイズされていったとみるべきです。

「ディープハウス」という名称は、誕生当時はハウスミュージックのサブカテゴリ名ではなく、主にイベントやコンピレーションのためのキャッチフレーズとして使われていました。(一方で、アシッドハウス、ヒップハウスといったサブカテゴリは既に存在していました。)

曖昧な定義のまま生まれたディープハウスという言葉ですが、厳密な本来の意味合いを「狭義のディープハウス」とするならば、フィリーディスコを原点としたシカゴ・ハウスおよびNYガラージ・ハウスの系譜にあるソウルフルでジャジーなハウスミュージックの総称であると言えます。

そもそも語源が黎明期のハウスそのものを指しているため、オーセンティックな(派生したものではない正統派の)ハウスの総称という風にざっくりと理解することも出来ます。

 

ラリー・ハードは如何にしてハウスミュージックをディープにしたか

How Larry Heard made house music deep | Resident Advisor(字幕あり)

 

電子音楽化と反復化

1985年~1986年頃 歴史上に登場したハウスミュージック(=現在のディープハウス)は、単にFour on the floor(4つ打ち)に乗せて電子音楽化されたディスコミュージックではなく、誕生時にもう一つ重要なコンセプトを持っていました。(電子化よりもこちらの方が先で、こちらの方が革新的でした。)

それは、過去のダンスミュージックとフロアの反応に対する考察を元にクラブDJ達によって生み出された「ディスコソングの一番気持ち良いパートやフレーズ、リズムに特化して反復する」という編曲方法です。(※ 1989年の海外音楽誌 i-Dより)

この手法が編み出される以前のダンスミュージックでは歌としての完成度が優先されていたため、ダンスフロアにいる客はそのパートがくるのを待ちわびるしかなかったのです。

ハウスから派生して誕生したデトロイト・テクノにも継承されたこの手法は、単に歌モノを打ち込みに置き換えたポップス系のハウスとは異なる、大きな特徴となっています。

電子化以前の例として、この反復化はロン・ハーディがオープンリール・テープデッキと2台のターンテーブルを使ってアイザック・ヘイズの「I Can’t Turn Around」を元に、生音の段階でやってのけています。後にシカゴハウスの2つのアンセム「J.M. Silk – I Can’t Turn Around」「Farley Jackmaster Funk – Love Can’t Turn Around」へと転化していった曲です。

※ ただしIsaac Hayes「I Can’t Turn Around」をループさせるというアイデアはFrankie Knuckles(フランキー・ナックルズ)が生み出し最初に始めたものです。→ Resident Advisor:Frankie Knuckles: Waiting on my angel

Isaac Hayes – Can’t Turn Around ( Ron Hardy’s Edit) [1983] Chicago

オリジナル曲

クラブDJならばこの曲のダンサブルな後半部だけをピッチアップして使いたくなります。ピッチコントローラを使わずイントロから最後まで流しちゃう頑固なDJ、David Mancuso(デヴィッド・マンキューソ)でない限り…。

Isaac Hayes – I Can’t Turn Around [1975] Memphis

特にJ.M. Silkの「I Can’t Turn Around」はニューヨークでも熱狂をもって受け入れられ、この1曲だけを深夜から朝までぶっ通しでMIXしながらリピートしていたクラブもありました。また空気を読まずユーロビートを流し続けたDJがクラブオーナーに殴られ、J.M. Silkの曲を流すハウスDJに交代させられたというエピソードもありました。

電子音楽としての面からはすでにPaul Hardcastle(ポール・ハードキャッスル)のようなインストゥルメンタリストから「19(ナインティーン)」のような大ヒット曲が出ていたり、ユーロビート/Hi-NRG(ハイエナジー)の分野でもローランドのTRサウンドは活用されていたため技術的に驚くほどのことはありませんでしたが、ディスコミュージックの反復化と複合することで衝撃的なインパクトのある新しい音楽ジャンルが誕生してしまったということです。ちなみにJ.M. Silkとは、Farley “Jackmaster” Funk と Steve “Silk” Hurleyのあだ名を合体させたコンビ名です。

J.M. Silk – I Can’t Turn Around [1986] Chicago

「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!」のジングルとしても有名な曲!
Farley Jackmaster Funk – Love Can’t Turn Around [1986] Chicago

ディープハウスとは言えない初期ハウスヒット

ただしNYの伝説的クラブParadise Garage(パラダイス・ガラージ)におけるLarry Levan(ラリー・レヴァン)のガラージ(Soul/Disco)のムーブメントとは無関係な多くの人々にとって、初めてハウスミュージックに触れた時の印象は、シンセフックをリピートしてサンプル音をコラージュした先進的な風変りな電子音楽でしかありませんでした。

レコード店ですらよく分からない打ち込み系ダンスミュージックはとりあえずハウスミュージックのタグを貼っておくといったカオスな時代なので、今の感覚で言えばハウスといえるかどうか微妙なメガヒットもたくさん存在し、ハウスミュージックの定義が固まるまでには時間を要しました。(こうして過去の情報をコラムに落としているのも、日本の音楽評論家は洋楽ロックのレビューが本業だったため、当時はハウスに関する情報が乏しく、mixmagやi-Dのような海外音楽誌と現地レポート、輸入レコード店から得られる情報が全てだったからです。)

このような事情で初期ハウスヒットであってもディープハウスとは言えない楽曲例として、以下のようなものがあります。

インディーロックの4ADレーベルから誕生したワン・ヒット・ワンダーで実質的にはDave Dorrell、C.J. Mackintosh、A.R. Kaneが制作した楽曲。

M|A|R|R|S – Pump Up The Volume [1987]英 London

現在の基準ではハウスというよりブレイクビーツである、中国系ハーフのTim Simenon(ティム・シムノン)による世界的ヒット

Bomb The Bass – Beat Dis [1987]英 London

故・フランキー・ナックルズが大阪のクラブDJの祖、故・天宮志狼らと共に心斎橋のクラブGenesis(ゲネシス)のDJを務めていた頃のハウスヒット、オリジナルはR&Bポップス

Natalie Cole – Pink Cadillac (Club Vocal) [1987]米 LA

Dead Or Alive(デッド・オア・アライヴ)のハイエナジーサウンドがまだ売れていた1988年という早い時期にしてはブッ飛び過ぎていてHardcore Techno/Raveブームの到来を予感させるアシッドハウスとテクノの中間でインダストリアルもブレンドされた曲。ダンスミュージック革命「The Second Summer Of Love(セカンド・サマー・オブ・ラブ)」黎明期の代表的な曲でもあります。なぜかハウスの分類でしたが当時はハウスとテクノの分類もいい加減でした。

Humanoid – Stakker Humanoid [1988]英 Manchester

 

世界で最初のハウスミュージック

「どの曲が世界初のハウスか?」には諸説ありますが、候補とされるものをいくつかピックアップします。

ローランド TR-808でプログラミングされ、1983年に録音、1984年に世界で初めてレコード化されたハウスミュージックとされる Jesse Saunders(ジェシー・サンダース)の「On and On」。

Jesse Saunders – On and On [1984] Chicago

世界で初めてビルボードチャートに入ったシカゴ・ハウス。ヴァイナル・プレスの前にはカセットテープでリリースされていました。

Jamie Principle – Waiting On My Angel (Prod. by Frankie Knuckles) [1985] Chicago

 

広義のDeep Houseの登場

ただし最近では拡大解釈された「広義のディープハウス」の意味合いでも使われています。

こちらは歴史的経緯と無関係に、文字通り「Deep(ディープ)」という言葉の意味をそのまま感覚的に受け止めた用法です。

英国~欧州を舞台として、2010年代からTech House(テック・ハウス)の変種としてのポップス志向のハウス、Wankelmut、Klangkarussell、Robin Schulz、Felix Jaehnなどヨーロピアンハウスの楽曲が ディープハウスの名目で販売されはじめましたが、従来のディープハウスとは関連性が無いものでした。

EDMとハウスのボーダーラインからはコチラ側にあり、ちょうどテック・ハウスやトロピカルハウスと接したサウンドの曲が多くみられます。単なるパーティーソングではない、落ち着いたトーンの曲調からディープだと感じられてもおかしくない曲を含んでいます。

新定義のディープハウスが登場した背景には、DTMの進歩によりハウスの楽曲スタイルで「踊れるポップス」をリリースするのが容易になってしまった事情があると言えます。その気になれば古典風のハウスも作れるがその再現にとどまるつもりはない、といった姿勢と技術的余裕も伺えるので、一概に否定するわけにもいきません。

1970年代後半~1990年代前半のNYガラージ、つまりLarry Leavan(ラリー・レヴァン)の影響下にあるアンダーグラウンド・ダンスミュージックとは全く異なる曲調のハウスであるため、古典派からは指摘を受け続けていますが、プログレッシブ・ハウス等「ハウス」の名を冠したEDM系の楽曲と明確に区別できる便利さもあり、実際にはもう少し柔軟な解釈で使われているようです。

 

発売当時はDeep House(ディープハウス)として売り込まれ、イビザ・アンセムとなったChris Malinchak(クリス・マリンチャック)のヒット曲。実質的にはテックハウスの変種であるトロピカルハウスとみなされます。

Chris Malinchak – So Good To Me [2012] NY

参考)mixmag – ”その曲はディープハウスじゃない!”

参考)reddit – ”なぜディープハウスを選定するのにそれほど混乱が生じるのか? 真のディープハウスとは?”

 

 

ディープハウス至上主義とEDM

”Not Everyone Understands House Music.”

Not everyone understands house music

1997年にエディー・ アマドールが生み出し、後にディープハウスのキャッチフレーズとなったメッセージ ”Not Everyone Understands House Music.(誰しもがハウスミュージックを理解できる訳ではない)”。 商業主義的で分かり易い音楽しか解さないリスナーとの間に一線を引き、ディープハウスこそが至高のダンスミュージックだと位置付けるエリート主義的なフレーズとも言えます。

(ポップスに馴染み歌モノが好きな人、特に日常で洋楽を聴く環境にない日本人にとって、分解&反復化された編曲方法やレア・グルーヴの音源ネタはユーロビートやトランス、EDMと異なりハードルが高いのは当然とも言えますが)

BBC Radio 1 のダンス部門においてこのキャッチフレーズを掲げたキャンペーンを張ったり、ハウス黎明期のDJ達が設立したオンラインショップ、Traxsource(トラックスソース)が同様のキャッチコピーを社の旗印としていることからも、ディープハウス至上主義を根強く支持する層が存在していることが分かります。

Eddie Amador – House Music [1997] LA

この思想はラスベガスの興行主たちが牽引する2010年以降のEDMブームが隆盛を極めるにつれ、「EDM系ダンスミュージックとの対立」という形で表面化し、軋轢を生んでゆきます。古参のハウスDJ達がEDMを「Vegas」という暗喩で呼ぶ理由はここにあります。

この対立軸が明確である限り「EDMはElectronic Dance Musicの略語なのでハウスもEDMの一種である」といった机上の空論は、誕生から30年を経て電子化ダンスミュージックの宗主を自認しているハウスDJ達からすれば到底受け入れられないと言えるでしょう。

EDMの定義と混乱の原因

ではなぜ特定分野の音楽を指すために「EDM (Electronic Dance Music)」といった広範囲な用語が使用されてしまったのかということですが、cuepoint(キューポイント)が一つの解を提示しています。

”それ以前のエレクトロニカのように、EDMという用語は明確な語源を持っていません。よく知られているのは、1985年という早い時期に、異種のサウンドを1つの市場に出しやすい部門にまとめるために使用されていた企業用語として使用されていたことです。 ~(中略)~ この分類の統合の理由は、アメリカで大規模フェスティバルイベントを盛り上げるために必要な「規模の経済性:Economies of Scale」と大いに関係があります。” (cuepoint: Etymology of EDM)

このラスベガスの目論見(フェスへの集客を目的とした名称の統合)に対する抵抗として、世界的なクラブミュージック専門誌 mixmag(ミックスマグ)ではEDMの定義について次のように述べています。

”まず最初に「EDM」を定義しましょう。 mixmagによるEDMの定義はすべての「エレクトロニックダンスミュージック」を網羅しているわけではありません。 それはアメリカを征服したヘビーなDrop(サビ)を持ち、スタジアムを満たし、観客が拳を突き上げ、チャートのトップを占める、大規模な商業的メインステージのサウンドを意味します。 それは蛍光色ベストを着た保安員であり、EDC、Ultra、ラスベガスのプールパーティー等であり、そして(Steve Aoki等がやる)ケーキ投げを意味します。” (mixmag: 8 Reasons EDM Is Over (And 4 Reasons It Isn’t))

 

Nicky RomeroやShowtekの楽曲など、後のEDMに大きな影響を与えたElectro House(エレクトロ・ハウス)をメインストリームに押し上げた先駆けとして知られるベニー・ベナッシの「Satisfaction」。ハウスがEDMの一部なのではなく、EDMがハウスから派生したものであるため、定義を拡げようとすると矛盾が生じるのは当然とも言えます。(ジャズをフュージョンの一部だと呼ぶようなものです)

Benny Benassi – Satisfaction [2002]伊 Electro House

 

The Black Madonna(ブラックマドンナ)

以下は、故フランキー・ナックルズの後継者としてアンチ商業主義/原点回帰の崇高な理想を掲げたディープハウス至上主義の急先鋒、この分野の最重要人物である The Black Madonna(ブラック・マドンナ)のDJプレイです。選曲にあたってハウスとテクノの間の垣根は取り払われています。自ら設立したレーベル名「We Still Believe」にもディープハウス復権への強い信念が表れています。

 

Can You Feel It ~ 如何にしてダンスミュージックは世界を制覇したか

ブラックマドンナがダンスミュージックの歴史を詳しく解説する貴重な1時間特番!MFSBのアール・ヤングによるFour on the floor(4つ打ち)からハウス・テクノの誕生までを網羅!Part 2ではデヴィッド・マンキューソの「Loft」とラリー・レヴァンの「Paradise Garage」を解説。


Can you Feel It- How Dance Music Conquered the World. Episode 1 The Beat

Can you feel it – How dance music conquered the world – Part 2 – The Club