ある男性の回想

投稿日:2010-09-28 - 投稿者(文責):mumeijin

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台湾の女学生が中国国民党軍を迎える。

 

その男性を、仮に鄭さんと呼んで話を進めます。昭和3年生まれの鄭さんは現在82歳。御自身の事を「台湾で生まれた日本人」という意識で育ったという事です。

 昭和20年の日本敗戦後に鄭さんとその友人達は「祖国 中華民国への復帰」を歓迎し大陸からやって来る中国国民党軍の台湾上陸を出迎える為、青天白日旗の小旗を振って彼らの到着を待っていました。
そこで待望の「新たな祖国」の軍隊の姿を目撃して衝撃を受けたそうです。寸足らずの脚絆をだらしなく巻き、上下軍帽全てが不揃いで綻びた軍服、ぼろぼろの唐傘に鍋等をくくり付けた姿は軍紀厳正な日本軍を見慣れていた台湾の人々を唖然とさせました。まるで敗残兵の様な出で立ちで凱旋する「祖国の兵士達」の面構えの荒んだ悪相であった事にも少なからず不安を感じたと述懐されました。まるでならず者の集団だと。
この時、鄭さんは日本は米国には敗れはしたが中華民国には負けていなかったという事を理解したそうです。鄭さんはこうも付け加えました。久しく聞く事がなかった言葉ですので僕の心に強く印象に残りました。

 「日本の軍人は顔付きが凛々しかった。」

  鄭さんの友人が日本に引揚げる時が来ました。基隆(キールン)港から大阪港を目指し出航したのですが、当時大阪では疫病が発生していた事情で、急遽和歌山港に入港したとの事。そこで頭からDDTを噴霧された後、粟のおむすびを配給された事に度肝を抜かれたそうです。当時の台湾は食糧事情が日本内地よりも格段に良かったので米のおむすび以外は食べた事がなかったのだそうです。

以上は本日、鄭さんと友人の日本人御夫妻から直接お聞きした65年前の台湾での出来事のお話でした。これまで書物等で繰り返し読んで知っていた話ですが、実際にそれを体験した方から直接お聞きするという機会を得たのでした。それは非常に臨場感のあるお話でした。

 日本語世代の台湾人、鄭さんが日本に対する想いを語った時にみせた慟哭の感情に接した時、私は胸が痛かったのです。

 在台日本人軍民49万人の引揚げが完了した8ヶ月後、中国国民党による台湾大虐殺(2.28事件)が全土を襲うのです。


引揚げ前に検査を受ける日本軍人。
国民党の要請で残留した日本人技術者・教師、日本軍が残置諜者として残留させた軍人もいたとされ、その一部は二二八事件で遭難死している。

  この項は9月23日(土)午前の出来事を記事にしました。


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