50年ほど前から、この店は中野にあった
中野はどこか懐かしい匂いがする街だ。
私は大田区の出身で現在は品川区の西小山に居を構えているから、中央線カルチャーにほとんど馴染みがない。だから勝手なイメージを描いている。
高円寺では傍若無人なバンドマンが朝からキンミヤを飲んでいて、西荻窪ではスノッブな人種がワイングラスを傾け、吉祥寺ではお金と時間をもてあましたマダムが昼からカプチーノを飲んでいるに違いないと。
だけど、中野は私が幼少期を過ごした蒲田から、あまり遠い感じがしない。
東西線と中央線が乗り入れたホームから階段を降り、中野駅の改札を出ると、なんだかホッとした気持ちになる。
▲本日は中野ブロードウェイ2階にある、こちらにお邪魔します
中野のイメージ、それは「ごった煮」である。
シュッとしたビルの横にある商店街は賑わい、サラリーマンからお年寄りまでがのんびりと歩いている。都会でありながら、新宿などと比べると、人が歩くスピードがスロウな気がする。
駅の北口を出て最初に目に入る店が立ち食いそば屋というのもいい。
北口改札を出ると、目の前に長い商店街がある。その突き当たりにあるのが、中野のランドマークとも言える中野ブロードウェイだ。
その2階にある、歴史ある中華料理店の物語を聞く機会を得た。
中野ブロードウェイは流行の最先端をいく複合施設だった
▲のれんからちらっと見える強面の男性が店主の村上さん。奥に見えるのが奥さん
中野ブロードウェイ2階にある「東北(とんぺい)」。
見た目のとおり中華料理店だ。店の周囲には「まんだらけ」などのフィギュア店、マニア向けの店が立ち並ぶ。このフロアには他にもいくつか飲食店があるが、なぜこの地に店を出したのか。そしていつからやっているのだろう。
村上さん:店はね、50年くらい前からやっているのかな。正確なことがわからないんだ。
──それはなぜ?
村上さん:俺の兄貴たちが始めた店なんだよね。
▲年季の入ったカウンターが歴史を物語る
最初に店をやっていたのは村上さんの2人のお兄さんたち。
聞けば中野ブロードウェイができて数年後にこの場所に店を構えたというが、村上さんはそれから数年後にこの店で働き始めた。ブロードウェイの開業は1966年。
つまり店ができてから50年ほど経過している。
村上さん:自分は料理学校を出て最初は大蔵省の食堂で働いていたの。俺が働きだしたのは、この店ができて数年後。だから正確なオープン年がよくわからないんだよね。
村上さんが働き始めた当時、ブロードウェイ2階は飲食店街だったそうだ。
そしてラーメンは当時国民食への階段を駆け上がっていた。人々は安くてうまいラーメンに熱狂し、「東北」も文字通り猫の手も借りたいほどの忙しさだったという。
村上さん:だから俺も一緒に働かないかって兄貴たちに誘われたの。当時、この2階だけでもラーメン屋が5店舗あったからね。最高で8店舗あったけど、その時のほうが今より忙しかったな。朝から晩まで通し営業で、休む暇なんてなかったから。
▲いつから使っているかわからないという年代モノの冷蔵庫
当時は、上の兄が調理を、下の兄が洗い物を、村上さんは主に出前を担当していた。
料理人として働いていたからには、自分も調理したいとは思わなかったのだろうか。
村上さん:ぜんぜん思わわなかったね。とにかく忙しくて、兄弟で会話している暇もなかったからさ。朝から晩までバタバタで、食事をする時間もなかった。地下に大きな生地屋さんがあって、よく来てくれたな。
その会社が朝から夜まで3部制で営業していたから、うちも夜までやってたの。朝11時から20時までずっと混んでたね。ああ、懐かしいな。
▲現在、調理は村上さん、洗い物は奥さんという役割分担ができている
当時、中野ブロードウェイは流行の最先端をいく複合施設だった。JUNやVANなど、時代の先端を行くブランドも出店していた。
村上さん:飲食店はみんなここを狙っていたんだって。「たまたまテナントが空いたから」って、兄貴の知り合いが紹介してくれたみたいで、うちは権利を買ったの。だから今でも他の店と賃料が違うと思うよ。
「まんだらけ」ができて客層が変わった
▲これまた時代を感じるメニュー表。天津丼の左横の消されたメニューはカツ丼だとか
やがて上のお兄さんと下のお兄さんは、独立して中野から離れた。
村上さんが切り盛りするようになってからは新たな苦労があったようだ。
村上さん:やっぱり兄貴のお客さんがたくさんいたからさ。「前はこうしてくれたのに」って言われるのはつらかったね。俺は酒が飲めないし、お母ちゃんも酒を飲んでしつこいお客さんが嫌いだから、ここで酒を飲むのを楽しみにしてた常連さんが離れちゃった。でも、回転が早くなったし、酔っ払いが減ってよかったよな(笑)。
夫婦で店に立つようになって、がむしゃらに働くうち、気がつけばそんなモヤモヤはなくなったという。新しい常連さんがついてくれたのも大きかった。
村上さんはそれから40年以上、この場所で中野の移り変わりをずっと見てきた。
▲村上さんは現在70歳。鍋を振る手つきはまだまだ健在だ
中野周辺はどう変わったのだろう。
村上さん:昔は駅前に警察学校があったから(現在は中野四季の都市)、そこの学生がたくさんきてくれたよね。彼らは田舎から出てきて寮暮らしでしょう。土日しか外に出られないから、ここに来ると「ほっとする」って言ってくれたんだ。
──若い人たちは、さぞかしたくさん食べたのでは?
村上さん:食べた食べた。半端じゃないよ。「ラーメンとチャーハンとカツ丼!」なんてオーダー当たり前。たくさん頼むから注文を聞き取るのが大変だったね。彼らは外出時はスーツを着なくちゃいけないんだけど、ここで着替えてスーツを預けて遊びに行ったのもいたな。あいつら、いま何やってんだろう。意外と偉くなってたりするのかもしれないね。
▲人気のレバニラ炒め(520円)は、もやしのシャキシャキ具合が絶妙
中野駅周辺と同様、このブロードウェイも大きく様変わりした。
村上さん:大きな変化はやはり「まんだらけ」ができたことだよね。それから客層が一気に変わった。うちのお客さんも変わった。若い人がたくさんいるからって、このフロアから足が遠のいた年配のお客さんもいる。
──ある時期から増えたという若い人にとって、こんな雰囲気の店は逆に新鮮では?
村上さん:そうかもしれないね。新たに来てくれるようになった若いお客さんもいるんだけど、「懐かしい味」がするっていうんだよ。懐かしいって言うけど、あんたこの味をいつ知ったんだって(笑)。
「ああこれだ、懐かしい」
▲ラーメンはなんと390円。シンプルだけどうまい。
懐かしい。
確かに、この店のラーメンはどこか懐かしい味がする。誰もが一度は食べたことがある、すっきりとしたしょうゆ味。私はこのラーメンを口にした瞬間、なんだか涙が出そうになった。
村上さん:年配のお客さんは、うちのラーメンを食べるとみんな「ああこれだ、懐かしい」って喜んでくれるよね。昔は、青島幸男さん(元東京都知事)が上に住んでいて毎日のように食べに来てくれたんだけど、「これぞ東京ラーメンだ」って言ってくれたこともあるから、あの時代の人にとってはおなじみの味なんだろうね。
▲細麺にあわせるのは、鶏ガラと豚でとったシンプルだけど飽きのこないスープ。それがいいのだ
ブロードウェイの上は、青島幸男をはじめ沢田研二なども住んでいた高級マンションだった。時代の最先端をいくデザインと最高級の内装で、屋上にはプールがあり、みんなが憧れを持ったという。
50年経った現在も高い人気を誇り、多くの人が住んでいる。
村上さん:青島さんは、参議院議員の時からずっと来てくれていたね。都知事になったときはSPを連れてきたから「勘弁してくれ」って言ったら笑っていたよ。いつも仕事の前にきて、ちょっと小腹を満たしていくんだよね。
▲ 自慢の餃子(380円)は肉汁たっぷり。朝5時に店に来て仕込むという
東北に入ると、一瞬圧倒される。
なにしろ店主は料理に集中していて、席に座ると、どんと横から水が置かれる。そして「さあ早く注文しろ」という空気を感じる。
無愛想ではあるが、感じが悪いのとは違う。
早くうまい料理を届けることに精一杯なのだ。だから、注文した品物はすぐにやってくる。どの料理を食べてもうまい。ハズレがない。そして値段も安い。この先も値上げする気はないと村上さん夫婦は笑った。
村上さん:息子が大学に入った時に、うちのお母ちゃんと「値上げしようか」って相談したんだよ。息子は私立の大学に行ったし、お金がかかるじゃない。ここの売り上げだけでやっていくのは大変なんだから。でもね、さんざん悩んだ挙句、値上げはしなかった。長年のお客さんに悪いなって思ってね。
▲奥さんとは大蔵省の食堂時代に知り合ったという。「薩摩の女は強いよ」(村上さん)
朝から夜まで奥さんと同じ仕事場にいて、喧嘩をすることはないのだろうか。そんな筆者の余計な心配に対して、奥さんは「そんな時期はもう過ぎたよ」と笑った。
村上さん:うちの母ちゃんは鹿児島の出身だから、とにかくこの人は気が強いんだよ。でも、九州の女性って、ちゃんと旦那を立ててくれる。仕事で料理を作っているというのもあるけど、家じゃご飯を作ったことは一度もないね。いつも用意してくれているからありがたいよね。
──ちなみに今日のメニューは?
お母さん:生姜焼き。
村上さん:お、いいね。
「変わらない」という哲学
▲これが50年働き続けた料理人の手である
50年以上も働きづめの人生を送ってきた村上さん。休日はどんな風に過ごしているのだろう。
村上さん:それが休みの日になると自然と店に来ちゃうんだよね。掃除したり、片付けしたりさ。他の店の味見や研究なんかはもうしなくなったね。年齢とともに、今以上のものを求めなくなった。これでいいんじゃないかってさ。
味もスープも創業当時からまったく変わらない「東北」のラーメン。
時代の流れに合わせてちょっと塩分は控えめになったそうだが、「変わらない」という強い哲学がこの口当たりのいいスープには隠されている。
▲「息子は奥さんに似てできが良くてさ。都立で一番いい高校に行ったんだよ。サラリーマンをしている息子に店を継いでもらう気はさらさらないね」
一人息子は独立して、今は夫婦二人で穏やかな生活を送っている。
だが店に来たら、かつてと同じように、ハードな仕事が二人を待っている。夫婦とも70歳を越して体力の余裕もない。だから仕事中は笑顔を見せることがないのだ、とようやく気づいた。
村上さん:もうさ、毎日疲れちゃって。立ってるだけで精一杯。でも、店を続けていると、おいしいって言ってもらえる。そりゃうれしいよ。あとは、体と手を動かしてお客さんとしゃべってると、元気になるんだよね。
▲そうだ、チャーハンもおいしいんだ
二人は今日も店に立ち続ける。
ふとしたことで出会った二人がラーメンを作り続け、子供を立派に育てた。二人が一生懸命生きてきた証がこの店なのだ。なんだか涙が出そうになる。
中野ブロードウェイで見つけた、ちょっとレトロな中華料理店「東北」。
そこには昭和から平成を生きた夫婦の物語があった。1年でも、1日でも長く店を続けてほしい。私にはなにもできないけれど、中野に行くたび足を運ぼうと思う。
お店情報
東北 (トンペイ)
住所:東京都中野区中野5-52-15 中野ブロードウェイ 2F
電話番号:03-3386-3601
営業時間:12:00~17:00ごろまで。日曜日も営業
定休日:水曜日
書いた人:キンマサタカ
編集者・ライター。パンダ舎という会社で本を作っています。尿酸値13の痛風持ち。足を引きずりながら飲み屋の取材をしてます。『週刊実話』で「売れっ子芸人の下積みメシ」という連載もやっています。好きな女性のタイプは人見知り。好きな酒はレモンサワー。パンダとカレーが大好き。近刊『だってぼくには嵐がいるから』(カンゼン)
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