すでにブコメや言及で書いてあるけど、人に貸す場合を想定している。
で、次第にリビングに電話の居場所が移っていくわけだが、法律の制定や条約の締結とかと違って、各家庭の事情が絡んで「いつ」は言いにくい。
ただ言えることは各家庭に電話が普及するのと表裏一体の動きだということだ。
ところが、電話の普及ってのも技術革新と絡んで複雑な経過をたどる。
電話の普及は、ただ電話線が家に引かれることを想定するだけではダメという話。
「交換士あり」から「即時電話」(これには二つの意味合いがあって複雑なんだが)への変化を見なくてはならない。
私は北海道の事例しか調べたことがないのでそれを例にすると、市街地では昭和20年代後半から30年代丸々をかけて、まず「市内即時化」がなされていく。
これはある一定範囲の市内通話だったら交換士なしで自動で繋がるシステム。それまではトトロみたいに電話をつなぐ中の人がいた。
これを「即時化」とか「自動化」という。「即時化」「自動化」は地域ごとにボトムアップで進んでいく。中央から一気に御達しが出て一斉スタートになるわけではない。
その際に電話番語が改まる。それまでは電話の開通順で「1番」とか「8番」とか「53番」とか「104番」とか番号が割り振られていたが「即時化」で全ての番号が再編成され、私の調査値だと4XXXみたいな4桁の番号が新たに割り振られる。詳しくは忘れたけど、官公庁や公共施設はは2XXX、病院は3XXX、みたいにある程度分野ごとに割り振りがあったと記憶している。
今でも市内だったら全部の電話番号押さなくても下何桁かで連絡できるでしょう。それはこの時期に出来上がった技術。
今まで手動でしなければならなかったところが自動化されたことで、通信線が強化されつつ、電話が急速に都市に普及していく。
市内での即時化が完了したが、都市ごとの連絡には未だ交換士に繋いでもらうことが多かった。
これも次第に、時に市内自動化と並行して解消されていく。
例えば北海道なら札幌を起点に、札幌ー函館、札幌ー釧路、札幌ー東京、札幌ー大阪、函館ー釧路、釧路ー小樽……みたいに自動化がなされていく。なおこの順番は適当だぞ(道内では多分誰も順番調べた人いないんじゃないだろうか)。ともあれ網の目状に進んでいったという点に留意されたい。
都市間の自動化は、都市に固有の番号を割り振りそれを頭につけることで実行される。
戦後、農村部ではラジオの普及と電気・電話の開通が急務だった。
また北海道では、NHKが地理的にも経済事情的にも農業の勉強がかなわなかった農家に対して、朝早く(野良に出る前に)「ラジオ農学校」を開設しており、地域ごとに識者を読んで種まきや農作物の維持管理の啓蒙に努めた。不作や冷害の場合への対策も、時にラジオを通じて伝えられた。
農業の成果に直に関わるため、各地域の農家のリーダー役の人々は、請願運動をし、時に自分たちで出資して電気・ラジオ・電話を普及させていった。
農協から何キロも線を引っ張って、自分たちで電信柱を立てて、地元に情報をもたらそうとした。
こうした事情もあり、農村各地域に電話は限られ都市で自動化が進む時期においても電話を借りる、というシチュエーションは多く残されていた。
ラジオ・電気に遅れるも、おおよそ昭和40年代丸々をかけて、農村部でも電話は普及していく。
私が見たことのある昭和37年の北海道の事例だと、小学校の連絡先にその児童の隣のうちの名前と電話番号が書いてあったり、農協の事務所の番号が書いてあったり、電話ないけど学校から近いから直接連絡伝えてください、と書かれているものがある。
とってもわかりにくいんだけど、「即時化」と呼ばれる現象はもう一つある。
交換士が特に都市間の電話をつなぐ時、回線が限られており、相手先に繋がるまで相当待たされた。これを「待時」という。
場合によっては数時間かかる。いったん電話を切って、交換士さんからの電話を待つ。
数時間後、交換士さんから電話がかかってきて「〇〇さんとつながりました」と言われる。
それでようやく遠方の人と会話ができる。この現象がよく起こった時期は調べたことがない。
それで、この「待時」の解消も、時に「即時化」と呼ばれる。
この辺りの事情は連続テレビ小説「なつぞら」の考察をした人が最近詳しく書いている。
https://www.excite.co.jp/news/article/E1562427232846/
今生きる私たちも、ガラケーからスマホへの劇的変化の時代を生きている。
契約方法もどんどん変わる。誰もそれを詳しく記録していないし、きっと、全部は記録しきれないだろう。
個人的には、カメラ付き携帯がではじめた頃の数秒に一度しか画面が更新されないカメラから現在の自撮りの時代に至るまで、たったの十数年なのに隔世の感がある。
身近で微妙な変化も今のうちにちょっと記録しておくと、50年後くらいに楽しく老人会が開けるかもしれない。
電話きたら走って取りに行っていて今からしたら意味不明だよな。
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食事スペースでデカい声で会話されると不愉快だからニダ
居間で話したらTVのおとはいっちゃうじゃないか
庭先から靴脱がずにとれる
おれんち昔の黒電話時代は玄関になんて置いてなかったぞ リビングと仏間の間くらいに備え付けてあった
電話線を玄関から引き込んでたからだ
家が建った時期より電話を引いた時期のほうが遅い場合は配線の自由度が低くて奥まで配線するのが困難だったり高額だったりしたんじゃないの。 まあ分かるかそんなもんって話だ。
昔は携帯電話も公衆電話も無いところが多かったから、 他人の家の電話を借りることが多かった。 村でも一番金持ちの村長さんの家にしか電話がなかったりした。 結果、電話は見ず...
似たような理由でトイレが玄関脇にあったりしたよね
トイレが玄関先にあったのは、汲み取りのために道路に近い必要があったからでは。
となりのトトロで、サツキがカンタの家の本家で電話借りる場面あったけど、あれって土間(玄関)に近いところだったっけ?すぐそこに本家のお婆さんが座ってる茶の間かどっか映っ...
前半の説明がやさしさあふれてて好き。
配線を短く済ませても、奥まで配線しても電電公社には月額60円の屋内配線使用料しか収入が無かったので、電電公社の担当者が玄関までで済ませようとしたという説を唱えてみる。
それより電話加入権って何だったんだろう
日本に5千万世帯あって7万2000円もして、一体いくら儲けてんねん 今ですら3万6000円もする
俺の子供の頃は、全ての家に電話があるわけじゃなかった。 俺の家には電話があったが近隣には電話がない家庭があって、電話がない家宛の電話が俺の家にかかってくることがあり、走...
明治生まれとかですか?
40代だけど、幼い頃住んでた長屋では貧乏な家が多くて、同い年の子の家の人が電話借りに来てたのは覚えてる。
たぶん玄関で来客に接するのと同じような感覚だったんじゃないかなあ
来客ならリビングに案内すべきやろ・・・
実家や祖父母の家では最初からリビングにあったからのび太ん家の玄関の電話描写に違和感感俺俺した でも2階、便所や風呂から電話に出る事を考えたら玄関が家の中心でも正解な気が...
確かに、昔ながらの家だと玄関にあり ・電電公社(今のNTT)の工事費 ・後から引き込みでそういう隙間が作れるのは玄関 ・電話を引くと仮に来る人がいることを考慮しないといけない な...
昭和時代を舞台にしたアニメ。サザエさん、ちびまる子ちゃん、ドラえもん、クレヨンしんちゃんとか、設定そのままなんだろうけど、意味は分からなくなって行くんだろうな。(おば...