つくづくバカだと思う。
集団で中傷を連呼すれば、批判が消えるとでも思ってるのか?
論理で考えなさい論理で。
批判者が屈して逃げるとでも思ってるのか?
そもそもそういう人物ならリスクの高い批判をするか?
そういうこと何も考えてないだろ。
あのねぇ。
こっちが何と、何を、戦ってきたか、考えてないし、確認しようともしてないだろ。
嫌がらせに屈しないからこそインセルが数の力で凍結させたのだし、
戦っていたからこそインセルが嫌がらせまとめを量産したわけだろ。
んでその嫌がらせまとめを貼るって「インセル同類です!」の自己紹介じゃん。
ほんと端から端までバカすぎる。
● 信念
自分はだいたいいつも保身を考えずに批判をして、
大量の嫌がらせ~執拗なネットリンチを何度も受けている。
批判の前に保身を考えることが一向に習慣にならないのは、
自分でも全然学んでないなwと思ったりするんだけど、
でもそれもよく考えてみれば、
やっぱり保身は自分にとって大した問題じゃないんだよ。
自分が主張することに信念があり、信念に自信があるから。
主張の内容が絶対に正しいという意味ではない。
今現在、これこれこのような根拠に基づいてこのように考えている、
という明確な表明をすることの、公正さに自信がある、という意味。
あと複数の人に言われているのが「ブレない」ということ。
考えを深めていけば少しずつ考えは変わる、アップデートする、
でもその中にある芯は変わらず常にある、みたいなこと。
● 否認しても意味ないのにな
他人を見ていてよく不思議に思うのは、
なんで皆そんなにかたくなに否認するんだろう、
否認しようが事実はもうそこにあって変わらないのに、ということ。
見ていたい幻想にしがみついている、その必死さに、
なんで現実を認めないのかなぁー、と、いつも思うのですよ。
認めたくない事実、知りたくなかった事実、はいくらでもありますよ。
そりゃもう、自分、にわかには信じてもらえないだろう体験をいろいろしてますよ。
で、どえりゃーショックだったし茫然としたし打ちのめされた、けどね、
わかってしまった瞬間から、それと向き合うしかないわけですよ。
そこで否認に走れることが、自分にはわからない。
● カルト春巻とマスナリジュン
似てるなぁ、と思いますよ。
きれいな自分、でいたくて、
きれいな自分、にしがみつく偽善が、
きたない自分、なのにそれが全然見えてないところが。
そう思いたい、に認知をどんどん改ざんして、
事実を全然見てないところも。
マスナリは「いいことやっちゃうオレ!」の幻想を打ち砕かれて、
ぴえんからの逆上、というはいはいはい百万回目、解散、てやつだし、
カルト春巻は「差別しないワタシ」の幻想の維持強化が最優先だから
御神体がボロを出そうがヒビが入ろうが「そんなものはない!」と自己催眠かけてて、
こちらが「その御神体、てか鰯の頭をありがたがるのやめなよ臭いよ」と指摘したもんだから、
御神体(鰯の頭)以下信者が沸騰しちゃったのね。
「臭いとは何事!!!!!!」
えー、悪臭ってれっきとした公害ですけど。
信仰なら教団外に悪臭まいていいんですか、悪臭を黙って受け入れろと強制するんですか。
みたいなことを、やってるわけねこの数か月。