2019年5月某日。21歳、平均的な大学生である私は、いつの間にやらイ〇ラーム教徒になっていた。
以下の文章は、サークルクラッシュ同好会によるアドベントカレンダー企画(テーマ「自分語り」)の20日目として書かせていただいている。前日である19日目の記事は、olovさんによる「VRで女の子になってセックスした話、おまけでVRと魔術の話」。
注意していただきたいのは、以下の文章は自分個人の改宗に伴う雑感(生きづらさを抱える女が宗教で生きやすくなった話)を書き散らしたものであって、決して私はイ〇ラーム教徒を代表しているわけではないし、また決して「正しい」ム〇リムでもないという点である。
この「イ〇ラーム」という語も厄介で、知識人に築かれた宗教体系のことを示したり、或いはム〇リムの慣習(因習)を指したりなど、文脈によって使われ方が様々である。私がこの記事で「イ〇ラーム」という伏字付きの語を使用していく理由は、私が言及するのはあくまでも現代日本で生まれ育った私が知り・私が感じ取った「イ〇ラーム」についてであって、「本当の」「正しい」イ〇ラーム、若しくは「実際の」「地域的な」イ〇ラームとは少なからず乖離しているという自覚の為である。
繰り返すようではあるが、私は一人のイ〇ラーム教徒であるものの、研究者ではないし、ましてやムッラー(宗教知識人)でもない。宗教理解に関して未熟な点が多々あるということを念頭に置いて、優しい気持ちで読み進めていただけると幸いである。
1. 改宗までの話
1.1 大学入学前
つまらない、よくある話。
勉学を放棄したダメ高校生であった私は、ものの見事に大学受験に失敗する。やむなく自宅浪人するものの、どう勉強していいのかがまるで分らず、すぐに机に向かえなくなった。焦燥感や孤独感、そして自己嫌悪によるストレスは、ずるずると精神状態を悪化させていく。
ストレスの影響は身体にもおよび、慢性的な吐き気や背中の痛みに苦しまされた。何とかしたいという思いから毎日のようにADHDやうつ病について調べるものの、自分は病気ではなくただ無気力な「クズ」だと結論付け、その上両親との信頼関係も無かったために自分の症状を訴えることもできず、結局病院へ行くことは一度もできなかった。
何とか病院を頼らずに自分を立て直すため、「クズ」な私がどうすれば「マトモ」になるのかをよく考えた。考えた結果、しばしば献血や銭湯に救いを求めた。血液や汗などの「かつて自分であった何某か」が身体から外に出ていくために、その分クズな自分が減り、新しくマトモな自分になれる気がしたのだ。
このような、ある種の「生まれ変わり願望」とでも呼べるものに拘泥し、考え得る範囲で試行錯誤を繰り返した。
中でも最も記憶に残っているのは、坊主頭になってしまったことだろうか。今日から生まれ変わるぞ、明日からは勉強に専念できる自分だと念じながら、自分の髪に容赦なくハサミを入れていった。無論、ハサミではうまく坊主にならない。ぐちゃぐちゃになった娘の頭を見て、「気でも狂ったのか」と母親は泣いていた。実際半分くらい狂っていたと思う(切った髪と坊主頭をTwitterに載せて承認欲求を満たしていたので、殆どモンスターだろう)。
バイト代を貯め、英国に渡航したこともあった。ヒッピーの集まる仏教系イベントの手伝いで、テントに住みつつ朝と夜にはミニマムサイズの仏像を前に瞑想するような穏やかな日々を過ごした。しかしながらその程度で陰鬱とした気分は晴れず、英国ヒッピー達の前で”What is my life...”と情けなく涙を流し、あまりに突然すぎて彼らをドン引きさせた記憶がある。
じたばたと藻掻き続ける中で、ふと、生まれ変わりの為には「宗教への熱心な信仰」が適しているのかもれないと思い始めた。祖母が新興宗教の熱心な信者であることも大きかったと思う。
狂信に近い、重い信仰心が欲しい。いや、最早狂信者になりたい。縋るような思いで何度も神社にお参りするものの、通い続ける気力は無く、そもそも特に明確な信仰心があるわけでも無い。これもうまくはいかなかった。生まれ変わりには程遠い。しかしながら、宗教という選択肢はその後もぼんやりと頭に残ることとなる。
1.2 大学入学後
センター試験に遅刻して受験資格を失うという大ポカをやらかしつつも、這う這うの体でなんとか大学入学を果たす。精神状態は入学後も相変わらず乱高下。頭には常に自殺の二文字が付きまとい、ベッドの上でスマホから離れられない日々であった。
見ず知らずのフォロワーとコストコで購入したクッキー、ハワイのチョコレート菓子、フリーズドライの味噌汁、それにAmazonから届いたフルーツグラノーラ。チンパンジーのように貪り食った。服を着るのも億劫で、全裸。全裸で、貪り食う。のろのろとシャワーを浴びてバイト先のガールズバーまで自転車を飛ばし、知らない男と死ぬほどどうでもいい話をして、時々飲み物をねだる。それが終わると知り合いの店で飯を食い、朝日を浴びながら帰宅。睡眠。起床即ソシャゲ。別に面白いわけではない。惰性。
人間不思議なもので、ほとんど何もしていないのに腹は減るし、トイレットペーパーも減る。ガールズバーの同僚に金を貸していたので、金も減る。貸した25万円は未だに返ってきていない。
生きる希望を完全に失っていた中、魅力的に映ったものはやはり宗教であった。所属学部にはム〇リム(イ〇ラーム教徒)によるイ〇ラーム入門講義があり、この宗教であれば信仰できそうだと、そして生きやすさを得られるのではないかと思い始めていた。
1.3 はじめての信仰
イ〇ラームの聖典であるク〇アーンは、旧約聖書の世界観を前提としている。学部の講義で少し旧約聖書に触れた上でク〇アーンを読んだので、内容がよく頭に入ってきた。読みながら、よくできた宗教だと感心した。現代に生きる日本人である私の心にも、時代や場所を感じさせずに訴えてくるものがあった。何より、これらはすべて本当に起こった出来事だと信じさせるものがあった。信じられる、と感じた。私は、この宗教を信じてもいいと思った。
こうして、素朴な信仰心しか持ち合わせておらずに宗教者を馬鹿にしていた私が、「信じる」の意味を全く理解できなかった私が、初めて唯一神の存在を信じ始めた。
善は急げ。信じているのだから早く改宗しようと近隣のモスクに電話を掛け、改宗の予約(?)を入れた。あとは金曜を待つだけだという時、改宗を知った同居人たちが私を止めた。今更蒸し返するもりもないが、確か「日本でム〇リムになるのは茨の道すぎる」といった内容を3時間説かれたと思う。とにかくそれで納得して、一度は改宗を止めた。
1.4 改宗
その後、縁あってイランの宗教都市に留学していた自分は、ここであれば誰にも邪魔されることはないだろうと改宗を決意する。
イ〇ラームへの改宗が至極簡単である(ムスリム2人以上の前で「シャハーダ」を唱える)ことは有名だ。シャハーダを記憶していた私は、何ら問題なく改宗を終えられるだろうと気楽に指定の場所へと向かったものの、甘かった。
初めて会うアラブ人ムッラーが発する改宗文句(シャハーダ)は私が記憶しているものと違っていて、更には10倍ぐらい長かった。嘘だろと思いつつも5分前に会ったばかりのアラブ人の発音を何度も聞き返しながら無理くり真似し、滅茶苦茶なアラビア語もどきをなんとか発声できた。改宗が済んでいるか否かも分からない混乱状態の中、おめでとう!!!!という言葉と共に滅茶苦茶デカいク〇アーンを渡され、祝福された。
「今まで犯した罪はすべて消え去り、あなたは新しく生まれ変わりました」。確かそんなことを言われたと思う。こうして私は滅茶苦茶な発音のアラビア語で改宗を終え、無事「生まれ変わ」ることができたのである。
2. 改宗前後の変化
2.1 性
ここからは、改宗して以降変化した諸々について書いていく。繰り返すが、あくまで「私が」感じたことであるので、イ〇ラーム教徒を主語にして考えないでいただきたい。
さて、改宗前後で大きく変わった価値観のひとつに「性」が挙げられる。
私は(幸いなことに?)比較的男女の差を感じることのない教育を受けてきた為か、男女に精神的な差異は存在せず、したがって女でも男に「なれる」と信じていた。振り返ってみると、この思い込みは(「正しい」のか否かはさておき)間違いなく私を苦しめる原因の一つであったと思う。自分は女であり、尚且つ恋愛対象は男であるけれど、男が羨ましかった。できることなら、男になりたかった。
勿論、現実はそうはいかない。一緒に秘密基地を作り、エアガンを飛ばし、玉ねぎを投げ合い、モンハンに興じていた男子たちは、中学に入ったころからだったか、いつの間にか私を誘わなくなった。高校に上がり、クラスに「男子ライン」ができたので一時期入れてもらったけれど、私が入って以降一度も動くことは無かった。部活においても、仲が良かったのは男の先輩たちなのに、やはり「男子会」には入れてもらえなかった。
高校三年、クラス替え初日の出来事を鮮明に覚えている。教室の後ろで談笑する男子生徒たちに混ざりたくて、必死になって会話に食らいついた。知り合いの一人が「コイツは男みたいなもんだから~」と私についての説明を加えたその時、場の中心にいたリーダー格の男は、初対面の私に「何カップ?」と口を聞いた。
彼が何を思ってその発言をしたのかは測りかねるものの、とにかく、当時の私は恥辱で死ぬかと思った。性自認の拗れていない女であっても相当に恥をかくだろうけれど、当時の私は心の底から自分が女であることを呪った。毎日のように性転換を夢見た。
男性間の関係性に「男として」入っていきたいけれど、うまくいかない。そのような想いを燻ぶらせたまま、自分が女であるということをうまく認められないままに大学生となってしまった。制服が無い分随分マシになったけれど、悩みは尽きなかった。
その解決を、多様な性の呼称による自身のラベリングで図ったこともあるけれど、どうにもしっくりこなかった。「性別」を決めて自称できるほど自分の判断に自信は無かったし、インターネットの簡単な診断で出るようなカタカナの「性別」は、自分に何も与えてくれなかった。
考えるだけでは良くないと思い立ち、ガールズバーの女の子をしてみたり、オカマショーパブのボーイをしたりしてみるものの、余計に自分の性がわからなくなる*1ばかりだった。いくら悩んでも全く答えの出ない話で、私はもう性について考えることに疲れていたし、早く降りたいと常々願っていた。
そんな中、(性同一性障害の場合は別として*2、)男女が明確に区別される神の法、そしてその価値観に近いイラン社会での経験は、私にある種の諦めを与えてくれた。神は男女を分けて創造されたのだから、決して男にはなることはできないという諦めである。
男にはなれないのだから、自分がいくら「女をする」ことを拒否しようと、私は「女である」。これで自分は、ようやく女への帰属意識を持つことが出来るようになった。「私は女である」と後ろめたさを感じずに言うことができるのである。
2.2 性交渉
しばしば男女を問わず、そして恋愛関係にあるか否かをも問わず、それなりに自由な肉体関係を持った。自由な性的関係については、きっと「道徳的」には良くないんだろうなと思いながら、人間は「自由」なのだから何をしようと勝手だろう、となんとなく曖昧な価値観を持っていた。
ただ、そろそろ人間と関わるときに性がちらつくのは面倒だと感じ始めていた。自分が相手を性的対象にしてあれこれ手を焼くことも、妄想に身を焦がすことも、所謂「恋の駆け引き」も、単純に疲れる。性的にアプローチをされているような気になるのも嫌で、そういったこと全てから降りたかった。それに、性を抜きにした一人の人間として他者と関わっていく方が、人間に対して誠実である気がした。
こういった煩わしさは、大抵解決された。ご存じの通り、この宗教は婚前交渉からしてよろしくない。神が示しているのだから、それは他人の目だのなんだのと考える余地もなく、とにかく絶対に禁止。わかりやすくて良い*3。
こうした神の法に対する私の姿勢は、「最後の審判」の際の判断材料となり、私が天国へ行くのか・はたまた地獄へ向かうのかをダイレクトに左右することとなってしまう。「不道徳」による損失はたかが知れているかもしれないが、神の法については破ることで私自身の来世の安寧が損なわれてしまうのである。
天国に行きたいので、私は婚前の性交渉を止めることにした*4。
2.3 不自由
私の留学先であるイランの宗教都市においては、女性のほとんどが「チャードル」という、ほとんど顔と手しか出ることのない黒い服に身を包んでいた。
このチャードル、種類によっては誇張を抜きにして3秒で着替えが終わる。髪の毛は整えずとも外に見えることが無いし、パジャマの上から着てもバレることは無い。そもそも毎日同じ物を着ても問題ないし、何より黒色なので汚れが見えない(この宗教では清潔さが大事にされるということには一応触れておく)。私はズボラな人間なので、この真っ黒けなチャードルに好んで包まれた。
チャードルまみれの風景に慣れた状態で、私はある日テヘランへ向かった。テヘランの女はチャードルなど着ない。チャードルは、宗教熱心な、古臭いおばあさんが着るものである。聞いた話によると、子供たちはチャードルを怖がるという。
女たちは、洗練された都市の装いをしていた。私は怖くなった。ヒジャーブ(頭に巻く布。テヘランの若い女は巻き方と髪の出し方に大いにこだわる)の色、形、巻き方、髪の出し方。髪色。服。どんな色、どんな形、どんな組み合わせ、どんな素材。あまりにも選択が多すぎる。あまりにも自我が見えすぎる。あまりにも情報が多すぎる。
他者からの視線を気にして多くの選択をしていることが、なんだか嫌になった。着飾った自分を他人に見せたくなどなかった。私には、黒い布と顔だけ見えていれば十分なように思えた。*5
2.4 祈り
この宗教、場所・時間を問わず(というのは言いすぎで多少制約はある)、それなりにフレキシブルに祈ることができる。それどころか、祈り(礼拝)は義務であるので「祈らなければならない」。これは自分にとってかなり魅力的であった。
日本の諸宗教にあるような、特定の場所に行かなければお祈りできないというのは自分にとってかなり面倒で、家で簡単に祈ることができるのはありがたい。それに、「マインドフルネス」や座禅の実践と同じように、忙しい日常から身を引いて一心に神を想起する時間というものは、精神的なゆとりに大きく繋がっているように思う。
さらに、私は礼拝を「神を頼る場」として認識している。人に何かを頼むだとか、何かを縋るだとか、そういったことの得意ではなかった私が救いを求める対象は、いまや全知全能の神である。これほど心強いことがあるだろうか。
人間を頼ると迷惑をかけてしまうけれど、神に迷惑をかけることは恐らく無いだろう。堂々と助けを乞うことができるというのは、なんだか、うれしい。
2.5 生きやすさ
日本に帰ってからも、ヒジャーブを付けることを選んだ。ヒジャーブがあれば、初めて会った人間であっても私がイ〇ラーム教徒だと一目で判別できる。日本人はそんな私を見てどんな反応をするのだろうと気になっていたが、次第に私は私自身の心境の変化に気付くこととなる。
大多数の日本人と同じ要素を持つにも関わらず社会にうまく同化できずに生きづらさを感じていた私は、ヒジャーブを付けることにより、完全に(マジョリティ)社会から飛び出ることとなった。
今までは、「文化的背景を共有している」という前提のために、私は社会と同化すべきである・同化できるはずだと思い込んでいたけれど、見た目の変化でその前提は完全に覆った。
大多数の日本人の目から見たときの私は、「分かり合えるはずの日本人」から「分かり合えない得体のしれない余所者」となっただろうし、それは私からしてみても同じであった。
分かり合えることなどないという前提で、髄分生きやすくなったように思う。
2.6 生きる理由
信仰を始めてから、自分の見据えるものは来世となった。もちろん現世も大事なのだけれど、来世に天国へ行けるか否かが最も大事な事柄となった。そうすると、行動の指針は必然神の法となり、シンプルで分かりやすい。
何が良くて何が悪いか、法学者によって大抵は示されている。行きずりで性行為をするのは良くないし、ドラッグなんてもっての外でよろしくない。このあたり、他者の存在に大きく依拠する「道徳」とは大きく異なる。
絶対的な神の法に対して、無力で非力な自分、信用するに値しない自分は(多くの場合)判断を加えなくてよいのだから、自分の判断を信用できずとも「良く生きられる」。
結局、私は自分の従う生き方や信念のようなものを決め、更にそれを信奉できるほど自分の判断を信用していない。自分への不信から神の法への依拠を見出したのだろうなあと感じる。不変で普遍である(と思わしき)神の法に従うことで、少なくとも日々の自分の行動への懐疑は免れることができる。
ところがどっこい、驚くことに、現代に生きる大多数の人は自分で決めたルールに自分で従うことができているように見える。凄まじいことだと思うし、私にはとてもできない。
こうして私は、神の存在を受け入れることで、生きる理由と指針を得た。
2.7 言語
余談であるのだけれど、イ〇ラームへの興味から入った語学学習が自分の状況の改善に一役買ったのでは、と本気で思っている(根拠はない)。
自己肯定感マイナスの状態から留学してペルシア語を詰め込んだのだけれど、(ペルシア語は文法が易しいので)日々勉強した分だけ着実に話せるようになっていくのは気持ちがよかった。小さな成功体験の積み重ねは、自己肯定感を徐々に回復してくれた気がしている。
うつ状態の頃には日本語でさえ簡単な名詞が全く頭に浮かばず、多くを「アレ」としか指し示せないほどであったが、そんな状況からも抜け出すことができた。脳トレとして言語学習をする人がいるのも大きく頷ける。
現在も趣味で少しずつ続けているのだけれど、成長(成長を定義しやすいのも言語学習の良いところだと思う)を実感できるのは本当に癖になる。ありがとうペルシア語。
3. おわりに
色々と書き連ねてきたことをまとめてみると、今のところは改宗して良かったと感じているし、改宗まで下り続きだった人生は(タイミングがたまたま重なっただけの可能性も大いにあるけれど)予想外に上昇傾向にある、というお話でした。
因みに何度か書いたイランの留学については、学費・食費無料でペルシア語とシーア派信仰にどっぷり浸かれるのでかなりお勧めしている。気になった方は私のTwitter(@WomanMarginal)まで。
それでは、最後までお読みいただきありがとうございました。
*1:私はガールズバーにメイクをして出勤していたが、1時間相手をした客に「男が女装している」と本気で思われていたことがある。また、オカマショーパブのでのママの口癖は、「オカマはどこまで行ってもオカマにしかなれない(男は女に、女は男に、完全に成り変わることは不可能)」だった。
*2:イランの最高指導者であったイマーム・ホメイニーの性転換に関するファトワーを考慮している。以下、wikipediaではあるが "Transgender rights in Iran"より抜粋。"Khomeini, however, did give her a letter to authorize her sex reassignment operation, which she later did in 1997. Due to this fatwa, issued in 1987, transgender women in Iran have been able to live as women until they can afford surgery, have surgical reassignment, have their birth certificates and all official documents issued to them in their new gender, and get married to men"
*3:不正確。確かに神は地上にク〇アーンを下しているが、ク〇アーン含む諸法源から具体的に法を立てるのは人間の仕事である。学派や学者により解釈が異なるので、そこまで単純な話ではない。ただしここで言いたいのは、方向性がある程度定まっている事項については絶対的権威を理由に積極的に従いやすいということである。
*4:誤解をしてほしくないのだけれど、性交渉の問題に限らず、ム〇リム全員が「法」を守っているわけではない。「敬虔」な人もいればそうでない人もいる。信仰の度合いと実践の仕方は人それぞれで、それを他人が見てあれこれ言うのはお門違いだと感じている。
*5:補足をしておくと、これに関しては自由であることも不自由であることも選択可能な現代日本に生まれ育った私が感じたことであって、現在「自由」を求める人々に対しての否定をする意図も、「抑圧」の肯定をする意図も無い。