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Ken ITO 伊東 乾
@itokenstein
Ph.D Prof. Komponist-Dirigent / Raummusik Kollegium Berlin. Habe viele Interesse an der Wissenschaft und am Mitleben dadurch.
Tokio / Berlin2010年1月からTwitterを利用しています

Ken ITO 伊東 乾さんのツイート

昔「桐朋の10曲」なんて言葉があった。トーサイこと斎藤秀雄氏が列挙したこれだけきちんとマスターしてたら取りあえず食って行ける必須古典10曲で「試験に出る英単語」の音楽版みたいな意味愛があったように思う。私は300曲暗譜しろと高校時代指導された。今はそういうのが無くなっているらしい
音大藝大に入る最大のメリットは中で合奏できること、と自他ともに言って久しいが、授業など正課で提供される合奏がどの程度充実しているか?はあまり問われていない。楽器の先生は自分の門下にソロは熱心に教える場合が多いが室内楽は置いてきぼりがわりと普通 などなど。
伸びない、伸び悩むという状態は適切なカリキュラムを欠くといって、大体外れない。私がぜんぜん伸びないもの、沢山あるが、それは良好な教育を受けそこなったまま、筋が悪いからダメなのであって、筋よくやっていればスイスイと進んだ筈、我流のダメ勉強で自滅したのだと思う。若い人にそれは良くない
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ISEP環境エネルギー政策研究所長。「人類史第四の革命」の真っ只中で起きた「日本近代史第三の敗戦」。地域資本を活かした21世紀型の本当の豊かさと持続可能なエネルギー社会実現へ向け発言と創造と実践 まとめ読み twilog.org/iidatetsunari
Journalist / Founder / Youtuber / NOBORDER NEWS TOKYO / 政治家 / 実業家 / 作家 / 僧侶 /Japan
ニコニコ「孫崎享チャネル」(月額110円です)で日々ブログ、週一回放映、各種案内はこちらへbit.ly/2Yz2EUq 最新の本は『日本国の正体』(サブ)「異国の眼」で見た真実の歴史」を刊行。古代から占領時まで、アインシュタインやカントやゴッホ等が日本に何を語ったか。現在朝鮮戦争勃発70年に際し、朝鮮戦争を記述中。
もう少し露骨に言うと例えば藝大に入ると「音楽」は殆ど教えられない。個別の技術は教授される場合「も」ある。がそれすらないケースもあまり珍しくない。日本は入試が大事である。受かったらあとはほったらかしというケースが洒落でなく普通に多い。東大なども進振りがなければどうなっていることか。
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先行きを思い悩む人は多い。うちの大学でも就活とか進路とか、お悩みは若者の特権と言ってもよい。そのとき、青い炎で燃えるためには燃料に正しく酸素を混ぜて完全燃焼させるべきなのだが、そういう状態を理解できない、不完全な黄色い炎で揺れてしまうケースがある・・・というか結構多い。宜しくない
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悪い意味で「感性」に流れるのではなく、感覚が捉える世界を、正確に専門のロジックと言葉で整理しつくすことで、初めて、音楽が楽譜に書かれた以上の輝きを持ち始めるという基本を、特に若い人、またすべての切磋琢磨する努力の人は良く認識すべきと思う。正しい努力の方向を見出すべき、ともいえる
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医者がカルテに医学用語だけで症状をすべて明確に書き込むから、患者の引継ぎが可能になる。最近の電子カルテでは悪い意味で凡庸なパタンで表現され、却って病態が分かりにくいと尊敬する先輩W先生(臨床医)がこぼしておられたが、まずはその一般性は必要不可欠であって
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でそういう楽典とソルフェージュの言葉だけですべての細部を再構成できるのがプロの知というものなわけ。国境を越えて合奏できる音楽の想像的な知恵などと言い換えてもいい。それを教えていないわけ30年経っても60年経っても。日本はいつまでたっても後進国の大道芸、見世物の意識から変わらないと
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私が言うのは例えば、ここに短い瞬時の休みを入れてはいけない、だから弓は返してダウンを継げ変えてはダメ、とかそんなのバッカでしょ。でも「ここに髪の毛ほどの間があるとこれが強迫になるからフレーズが終わる。そうなるとここまでつながらなくなって音楽は崩壊」といった具合で楽理の世界では一貫
30年ほど前Tempusという作曲作品の発表グループを作った事があった。正確にはTempus Novumとつづる。活用形の正確などが気になり西洋古典学科に確認に行ったのはもちろん私である。20代の当時も今も、学力は大したことないけれど、恥を知る意識は一貫して同じである。普通にするというのは大変な事
昨日早朝「法王」のあだ名を持つとある厳密の極みのような(中学高校の)先輩にラテン語の質問をお送りした。電光石火のスピードで、結論 と冒頭に明記された短く明晰なご返信でご教示を賜った。私はおよそ無教養な人間であるが、そういう知の巨人に知己が結構あることで、恥は知るようになって久しい
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医師や弁護士を要請しようというとき、テキストや国家試験に余談は出てこない。ところが音楽は「趣味」の対象と誤解され、多くの人、もっといえばマーケットの好悪によってどのように変質しても平気と、それなりに見識があるはずの大人も思い捨てて顧みない傾向がある。音楽にとっては死刑宣告も同様で
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ある楽曲「を」分析するのなら、その内容「を」つぶさに見るべきであって、どこのCMで用いられたとか、テレビ番組のオープニングに使ったとか、ごみにもならない情報が書き連ねられているサイトは単なる有害無益な無駄話でしかない。夢のない事を言うようだが専門が専門として成立するのには必要不可欠
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ネットという新しいメディア上の日本語で見る「名曲解説」が、殆どすべてやめといたほうがよい無駄なおしゃべりだけに終始しているのを、改めて憂慮した。加えて言うならリスナーだけでなく専門学生までそういうものをチェックし無防備に参照しかねない状況に危惧の感を持った。
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例えば解釈、ギリシャ語ラテン語の格変化とかそういう「ちょっとしたこと」の莫大な堆積でしかない。そんな些末なこと、と思うかもしれないが「てにをは」が一つ違うと台無しになる。「古池に蛙飛び込む水の音」としたら、全部世界は壊れ単なる陳腐に終わるでしょ?同じことであって神は常に細部に宿る
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昨日も長時間にわたって尊敬・信頼する先輩方とソルフェージュやエクリチュールの基礎だけの話題で6時間ほど打ち合わせの円卓を持たせていただいた。まあ本の訳があるので話はすべて具体的かつ現実的な細部ばかり、いや、細部しかない話でもあるのだがその全体を入れる知の器は相当大きなものが必要で
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あえていうなら「人まね子ザル」はよろしくない、というのはある。誰かに似た演奏を、といったことをあちこちからパッチワークして、どこにでもありそうな演奏を組み立てるなどというのは、藝術音楽の表現ではなく、曲芸の一種と考えるべき仕儀であって
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言えることがあるとすれば「個性的な演奏」など決して目指してはいけないということだろう。そうではなく、何等かの普遍を透徹して求める過程で、結果として現れるのが個性的な表現と「俗に」言われるもので、精進すべきは極めて一般的な基礎「だけ」という現実だけである。
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そんなので楽しいのか?と言われると、みなに訊いてもらうしかないが、演奏はおよそ違うことになる。あるいは「私の解釈では・・・」「霊感が・・・」みたいな新興宗教のような御託も一切出てこない。ではファンタジーがなくどこにでもあるような演奏になるか?の答えも、皆に訊いてもらうしかない。
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ご存じのように私のリハーサルとかレッスンとかには楽語以外の言葉がほぼ出てこない。あるのはリズムの読み替えとか、この音程を純正の長3度でとか、ここにアクセントがあるとかないとか、以外何も出てこない。
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リスナー向け、あるいは子供向けにさまざまな副詞や形容詞が使われるとしても、私たちにとって本質的なのは、一つの音符をどう演奏するか、あるフレーズをどのように解釈し発音するか、といった細部、楽典の用語で厳密に定義出来るディティールしか、実はない。極論すればそれ以外は気分転換でしかない
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例えばチャイコフスキーに「幻想序曲ロメオとジュリエット」という作品がある。通俗名曲のごとく知られる。またシェークスピアの戯曲が下敷きにある。そしてそれらすべてを捨象して、音楽の内容に特化して、非常に厳しい造形が求められ、純音楽として捉え解釈演奏される必要がある。そういうことがあり
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音楽のリハーサルに「ちょっと」とか「もうすこし」とかいった副詞、さらには形容詞は不要である。適切な楽語でシンプルに指示すれば、本来ほとんどすべての内容は伝えることができる
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子供を見守る世間さまの目 みたいなものも 大きくかわった よその子を本気で叱る大人は激減 関わりあいの薄い 問題回避型の社会になっていると思います。私自身もそうですし・・・
引用ツイート
kajisan
@karcyan
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通りなどで、大人は、子供が視界に入ったら、視界を外れるまで意識を持ち見守る。思い遣りと行動力あれば、法律も増えないと思うのだが。 twitter.com/itokenstein/st
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公共の経理出納はルールを守らねばならないし、指定業者が割高であるのは 実質的に建て替えをその業者がしているので、メリットがなければ担当する企業などないのも当然だ。とはいえ限られた予算である。有効利用に徹さなくてはならない 難しい問題がある。
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とりわけ留学生などには 日本円建てで多額の建て替えなど絶対にさせたくないわけだが、官費執行のルールは細かく かつ融通は基本的に利かないことで 会計検査的に妥当ということになっているようだ。私も昔苦労したことがあり、何とかしてやりたいと痛感する
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指定旅行業者を使えば 学生は建て替えをしなくてもすむ ただし指定業者の価格は自分で探してくる最安値よりは明らかに高い。そこにも一つのダブルバインドがある
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国立大学法人の事業は一種の公共事業なので、終了後後払いが原則の出納である。ここで問題となるのが、学生の海外渡航旅費などで、若い諸君には少なくない金額を建て替え払いなど極力させたくない。そういう関係で気を減らすことが多い
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さすがに二十歳を過ぎれば、保護者がどうこう、ではないとも思う。しかし修士を取った直後、25歳で一人暮らししていたT君は、オウムの拉致と洗脳で取り返しのつかないことになってしまった。本当に、ほんのちょっとのケアの不足で、どのような危険な事態も普通に起きる。できることは尽くさねば。
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先週の中学高校生の音楽教室でも、子供達だけで帰宅するケースでは必ず安全に親御さんや保護者と合流できた段階で一報を入れるいつもの約束を徹底してもらった。私たちがケアできるのは大学の門を出るところまで、その先の安全にブラックボックスがないよう、安全を大きくとってみるようにしている
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パリではポンピドゥセンターまわり、ミュンヘンはTUMとくにAI倫理センターなどで、いま進めている仕事を一人でプレゼンテーションできるよう、内容の準備も大切だが、何より一番は身体生命の安全、これに勝るものはない。
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来週は 小ラボのJさんを単身パリ~ミュンヘンに送り出す。お預かりしている大切なお嬢さんであるので、安全を考えだしたらきりがない。私の身の回りではオウム事件を筆頭に物騒な出来事が現実にいくつも起きており、気を配りすぎるということがないと痛感する。
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奈良で作っているのは、とある民族芸能で使う道具にエレクトロニクスを埋め込む作業なのだが、本腰をいれるといろいろ大変で 時間を食っている・・・
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現在の日ソル研がまだ「ソル研協」といっていたころ、ソルフェージュ教育の在り方を原理的に考えるお手伝いをした。今現在もカステレードのテオリ―を訳しており 新学期は藝大東大双方の興味ある学生たちと読み合わせのクラスを開く予定にした。基礎から磨けば本物の輝きになる、音楽。
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シベリウスの第二交響曲も、漫然と聞くのと、現実に譜面を見るのとでは 世界が宙づりになる程度に違うことが書いてある。そしてそれはなぜか?と考えざるをえない。考えるように作曲者はヒントの謎をかけている。それを読むことをなぜ音大藝大でおしえないか?というのは長らく疑問である
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アート系の多くで マネジメントが特化してつかなければ 楽隊からアニメ―タまで 30歳定年 あるいは 永続ワーキングプアみたいな状況は容易に成立するわけで これをどう避けるか は 私たち上の世代の藝術人が責任をもって考えるべき未来への海図だと思う。
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けっきょくね 自分で考えるしかないわけ。で考えたり感じたり、なにより驚くこと。それ以外には伸びる手立てはないですよ。そのうちに、他人が教育出来る限界を超えたそのひとというものが立ち上がる 才能とかいう言葉はそこで使われることが多い。僕は極力避けていますが
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30歳定年というのは、学校を出ますよね、で数年はフレッシュマンとして廉価で仕事を受け、それなりに回る。でも7,8年するともう新しい、下の世代でより性能の良い若者が出てきて、飽きやすい業界やマーケットから声がかからなくなる現象で、商標の特権化と裏表にある現実です
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音源勉強、すぐれた演奏に触れ、心を豊かにするのは もちろん大切なことです。しかしそれは、専門人が音楽を創造的に開拓する王道ではない。また権威によりそい、大衆受けにおもねるような音楽へのアプローチは30歳定年に直結する 音楽終了の道であるのも事実だから。
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例えばストラヴィンスキー「火の鳥」カシチェイ王の魔の踊り は シンコペーションですが、譜面を見ずに聞いた最初の子供時代私は表裏を誤解していました。楽譜を見ると違うことが書いてある。その齟齬から幼かった私は多くの音楽構造の驚きを学びました。そういう原体験が大事
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少し前、専門学生たちと話して「音源」で勉強するとかいうの やめなさい と指摘した。目をつむって音を聞いているだけでは拍の表裏やその入れ子構造などは見えてこない。客観視することで従来の因習的で平板な読みを超える演奏が構築できる。流布する通俗をなぞるなかれ。
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というのはね、例えば五線で記譜できるあらゆるリズムは「位相」をずらすことで「シンコペーション」を形成することができます。内在的な強弱を逆転するとすべてが裏返る場合が少なくない。そういうことから様々な構造の遊び、喜びを形作ることが可能です。
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あらゆるリズムは本質的に複数の読み方が可能で、意図的に「誤った」リズムを読みだしてその上に楼閣を築くことでモーツァルトもチャイコフスキーもシベリウスも仕事しています。わかるひとしかわからないのはもったいない
引用ツイート
しーな
@wanyankokko
·
返信先: @itokensteinさん
なるほどー
✖️
2。そういう聴き方ができるように音楽の授業でも教えていかなければと思います。通常学級で教えていた時も、そのような聴き方が出来る生徒はピアノを長く習っているごく一部の生徒だけでしたし、そういう事が話題にも上りませんでした。
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私は所詮 数理や物理はユーザにすぎない。それらは道具であって、すべては音楽のためにある。音楽を中心におく価値観で世界の全てを見ている。当然ながらそういうひとはまれにしかいない。ただ音楽専攻生たちは全員そういう人間だ。だから意味のある仕事が一緒にできる。自然なことだ
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エッシャーのだまし絵とか イスラムのタイルとか 図と地が組み合わさって全体が構成されているものがある。これはリゲティのお陰であるが、そういうリズム構造をチャイコフスキーにもモーツァルトにも随所に見出す。それは子供にも気づかせさえすれば普通に理解させることが出来 それを教えている
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