お菓子を買って子供を連れて近所の公園に行くと、ちょうど学校帰りの子供たちが集まる時間で、グラウンドではドッジボールが始まっていた。子供は機嫌よくそちら(グラウンド)の方に自転車をこいで行こうとするので「そっちに行ったら危ないで〜」と伝えたら、「そんな事言わなくてもわかってる」とぶち切れる。それを聞いて私もムカッとなってしまって「次にそんなして怒ったらあっこちゃんも怒るからな」とドスをきかせて言ってしまい、それでもムシャクシャはおさまらず「いちいちそんなことを怒りながら言うな」と怒りながら言う。そして子供はショックを受けたような状態で固まって、涙を流しだす。私の腕に抱えられている犬はおろおろしている。少し時間がたって、なんとなく仲直りは出来るんだけど、押さえつけるような言い方で子供の感情を押さえつけた時の、こういうやり方をした後の後味の悪さ。こちらに余裕がある時は何を言われても大丈夫だけど、片手に犬を抱えていて子供はフラフラとこけそうな自転車に乗っており、他の子供らはたくさん、ドッジボールはいつ飛んでくるかわからない、しかもその前にはお菓子をたくさん買ってやったのに、みたいなあれやこれやがあって、そんな時に理不尽にキレられると、なにヌカしとんねんコラみたいな感じになってしまう。しかし子供と私とでは力の関係が別次元に違いすぎるので、これは本来やってはならない事だと考えている。怒らない子育てみたいなやつは、たぶん正しい。子供のためだけを考えるならば怒らない方がよい。それでも私は普段からガミガミと怒っている。私の場合、怒ってるというのが、教育のためなんかじゃなくて、単にムカついたからなのだ。ムカついた時にはしっかり怒る。身近な大人が何を言ってもやっても大丈夫な聖人君子だとは思われたくない。大人はサンドバッグとちゃうで。教育以前にワイはひとりの短気なおっさんなんや。なめとったあかんどワレ、アンダラほんま。図書館で土曜日のイベントのための調べ物をして夜、帰って冷蔵庫の物を片付けていると寝ていた布団から出てきて夕方の事がなかったみたいな笑顔で「あっこちゃんが帰ってきたで〜」と笑っている。「これなに?」「イカ。40パーセント引きやった」「これは?」「明日の朝ごはん。笹かま」。公園で流していた涙はどこへ行ったのか。なくなったわけではなくどっかにあるんだろう。そして私が感じた後味の悪さもどっかにあって。