『ドグラ・マグラ』ってどんな話?まずはあらすじ、登場人物を解説!ヤンデレ妹との物語?ミステリー小説?
冒頭、「ブウウーーーン」という独特の時計の音で目を覚ました主人公の「私」。精神病棟の中にいるのですが、自分の過去をすっかり忘れているばかりでなく、名前も思い出せません。出だしから何やら不穏な空気が流れます。
ストーリー序盤に出てくるこの印象的な時計は、モデルとなった柱時計が、2014年に夢野久作の遺品から発見されて話題となりました。
そして私は、九州大学の法医学者、若林教授から、ある殺人事件に関わっていると教えられます。彼の記憶が有力な手掛かりになると、回復を期待されますがなかなか記憶は戻りません。やがて私の前に、死んだはずの天才医学者・正木教授が現われて……。
正木教授は研究のためと頭がおかしくなるようなことをし続けてきたり、私を「おにいさま」と呼んで慕う妹は終始泣いていたりと、主人公の苦難の1日が始まります……。
| 作者 | 夢野 久作 |
|---|---|
| 出版社 | 角川書店 |
| 出版日 | 情報なし |
難解で頭がおかしくなる、狂うなどと聞いたことがあり、読むのをためらってしまう方も多いかもしれません。
しかし「ヤンデレな妹との物語」とする読み方や、「不可思議なミステリー小説」、「中二病っぽい」などという感想もあり、そう聞くと何だかとっつきやすい気がするのではないでしょうか?多様な読み方を可能にするのが、この作品の魅力、自在さの証でもあります。
ちなみに気になるのは独特なタイトルの意味ですが、明かされていません。こちらも読者の想像を掻き立てるものですよね。
さて、つぎからはまず本作を生み出した作者、夢野久作についてご紹介しましょう。
作者・夢野久作って?
| 作者 | 夢野 久作 |
|---|---|
| 出版社 | 新潮社 |
| 出版日 | 2016年10月28日 |
本名は杉山泰道。1889年、福岡市に生まれました。大学を中退し、禅僧として出家しましたが後に還俗。1922年、童話を発表し始め、1926年から本格的な作家生活に入ります。その後10年間意欲的に創作しますが、1936年、脳溢血で急死しました。
その作風は、探偵小説の枠を破った奔放怪異な作風で知られます。日本探偵小説三大奇書の1つ『ドグラ・マグラ』は10年間かけて何度も書き直されたもので、渾身の大作です。
また、本作のほかに『死後の恋』『人の顔』などの代表作があります。『死後の恋』では、ある宝石を軸に、猟奇的ながら美しい世界観を描き、『人の顔』では二重の意味でホラーなエピソードで読者をアッと驚かせます。
また、夢野久作という名義以外でもいくつかのペンネームで活動しています。特に香倶土三鳥などは童話ということもあり、彼の世界観が怖くて覗けないという方にはおすすめです。
『ドグラ・マグラ』に関する考察:大きなテーマは、自我の確立。伏線からたどる、主人公の正体とは?
探偵小説として発表された作品で、殺人事件を推理することがテーマの1つなのですが、主人公の私は一体何者なのかということが、私自身にとって切実な問題であり、読者の大きな興味となります。
若林教授から、私は正木教授の新学説をもとにした画時代的な治療法「解放治療」の実験材料だと聞かされます。記憶を呼び戻そうと、若林教授は私を様々に刺激しますが、一向に記憶は戻らず、私を「お兄様」と読んですがりつこうとした隣室の美少女も誰だかわかりません。
正木教授の部屋で彼の遺稿を読むと、自分の母親と婚約者の従兄弟を殺した呉一郎(くれ いちろう)という青年の顛末が載っていました。それによると、一郎は自分の意図で2人を殺したのではなく、正木教授が「心理遺伝」と呼ぶ現象を利用した何者かに操られて殺人を犯したというのです。
どうやら、この一郎が私らしいと思い始めた時、若林教授からは死んだと聞かされていた正木教授が私の前に現われます。正木教授に促されて窓から解放治療場を眺めると、何とそこには私そっくりの一郎がいるではありませんか。正木教授はそれを離魂病などと言い、私は益々混乱の度合を深めるのでした。
『ドグラ・マグラ』に関する考察:スチャラカチャカポコ?「キチガイ地獄外道祭文」は、精神病と世間との構図を描いた?
正木教授の卒業論文が本作ではひとつのカギを握っています。「胎児の夢」というタイトルで、その破天荒な形式と内容のため、全教授が学術的価値を否定しましたが、ただひとり斎藤助教授だけが絶賛して譲らず、とうとう第1位の成績で卒業したのに、式の当日、正木(当然まだ教授ではない)は行方をくらましました。
その後、欧米で学位を取り、こっそり帰国して放浪していた彼が歌いながら配布していたのが「キチガイ地獄外道祭文」です。
祭文というのは、語ったり歌ったりして祈る一種のお祈りの形式で、陽気な節や拍子をつけたものが多いのが特徴です。
「キチガイ地獄外道祭文」も、スチャラカチャカポコという木魚のリズムとともに七五調でユーモラスに歌われますが、その内容は、現代社会における精神病者虐待の事実と、治療のデタラメさを暴露するものでした。描かれているのは大正時代ですが、精神病患者への偏見と迫害はある程度現代にも当てはまります。
もっとも、読者はここから警告や告発を読み取るよりは、正木教授の攻撃的な正義感と、その方法の奔放さ独自さに注目するべきでしょう。
『ドグラ・マグラ』に関する考察:脳髄論、胎児の夢は何を意味する?モヨ子との関係を含め考察してみた
「脳髄論」と「胎児の夢」は、正木教授の書いた論文の題名です。もちろん、小説内の架空の理論ですが、あながちまったくの目茶苦茶とも言えません。
- 脳髄論
「脳髄論」の根本にある考え方は「脳髄は物を考える処に非ず」(『ドグラ・マグラ』より引用)というものです。ではどこで考えるかというと、全身の全ての細胞が考えていて、感じていて、感情を持っている、というのです。
これは21世紀の現代の科学に照らしても、とんでもない的外れではありません。脳や神経は、外界から受けた刺激を筋肉の動きに変換する装置である、という考え方もあります。
そういう、一面を見れば正しいといえる前提から、現実を超えた幻想的で奇怪な理論が展開されるのが恐ろしくも楽しいのは、次の「胎児の夢」でも同様です。
- 胎児の夢
論文「胎児の夢」は、母親のお腹の中で、胎児が夢を見ているのではないかという仮説もしくは理論のこ生物。原初生が人間に至るまでの、進化の過程をやり直すように夢見ている、という内容です。
これも、作者の思い付きではなく、古い生物学の反復説「個体発生は系統発生を繰り返す」の応用。今では科学理論としては否定されている(と言うかあんまり役に立たない)のですが、胎児の発生過程を見ると、進化の過程に沿ってその形が、単細胞の受精卵から、魚のようになり、トカゲのようになり、獣のようになり、人のようになるのは、印象としてはその通りです。
「胎児の夢」ではそれをさらに発展させて、精神や心理の記憶までもが夢の中で繰り返される、とします。そこから輪廻転生にも通じる「心理遺伝」の理論が展開されるのです。
- 胎児を宿す者
「胎児の夢」の理論からは、母親の胎内で展開される発生という出来事に対する、畏れとも言えそうな敬意が感じられますが、それに呼応するように、この作品に登場する3人のヒロイン、千世子、八代子、モヨ子も母性的です。
千世子と八代子が現実に母親であるのに対して、モヨ子は処女性と母性を両立していて、出番は少ないのに神秘的で強烈な印象を残します。
『ドグラ・マグラ』に関する考察:ストーリー構造は、メタフィクション?それまでの解釈を乱す展開!
さて、物語は、主人公・私の自分捜し、殺人事件の真犯人捜し、正木教授の奇怪な精神医学理論、この三本を柱にして進んでいくのですが、そのいずれもが解決していないうちに、後半になってさらに奇怪な様相を見せ始めるのです。
若林教授と正木教授は、実は学生時代からのライバル関係で、ほとんど憎み合っていると言ってもよいほどだったことが明らかになります。若かった2人は、それぞれに心理遺伝の理論を実証するために、ある特殊な血筋の女性を誘惑しようとした過去があります。
その女性こそ、呉一郎の母親・千世子であり、一郎の父親は若林と正木のいずれかなのでした。2人は学術においても、人情においても宿敵同士だったのです。
物語は正しい答え、ただ一つの現実に辿り着くことを拒むように、決着から逸れていき、曖昧さを増していきます。メタフィクションという言葉が一般化するのは、1983年の高橋康也の言説以降と言われていますが、1935年に刊行された本作は、すでにメタフィクション的です。
実は、それを象徴するアイテムが作品の序盤でちらりと姿を見せています。それは、正木教授の部屋にあった精神病の入院患者が書いた小説で、題名は『ドグラ・マグラ』。『ドグラ・マグラ』の中の『ドグラ・マグラ』という入れ子構造は、現代のメタフィクションを先取りしています。
『ドグラ・マグラ』に関する考察:はしがき(草稿)の役割とは
前述したようにこの作品は、十年の歳月をかけて何度も書き直され、何種類もの草稿、つまり下書きがあり、その中には活字にはならなかった「はしがき」もありました。
病院に閉じ込められている主人公の私が、この作品を外の世界に向けて書く、というような作品の成立経緯が説明され、本文の解説もありました。読者を誘う導入として考えていたようですが、残念ながら破棄されたようです。
より多様な読み方ができるように、また、どこにも辿り着かない迷宮的な酩酊感を強める目的で、内容を限定する物を取り除いたとも考えられますね。
『ドグラ・マグラ』に関する考察:世界観が伝わる名言をご紹介!精神に異常をきたす言葉たち?
| 作者 | 夢野 久作 |
|---|---|
| 出版社 | 角川書店 |
| 出版日 | 情報なし |
最後に、この奇妙な世界観を感じられる名言の一節をいくつかご紹介いたします。
「一種の脳髄の地獄……もしくは心理的な迷宮遊び」
(『ドグラ・マグラ』より引用)
これは、若林教授が私に「ドグラ・マグラ」という言葉の意味を説明した言葉。元々はバテレン、つまり西洋人の妖術のようなものを表す方言でしたが、ここではそんな意味なのだそうです。
「何が胎児をそうさせたか」
(『ドグラ・マグラ』より引用)
論文「胎児の夢」において、胎児はなぜ夢を見るのかという疑問を語るところ。結局答えは出ません。
「細胞の記憶力」
(『ドグラ・マグラ』より引用)
やはり「胎児の夢」で、たった1つの受精卵から、1人前の人間が出来上がる能力をこう呼んで賞讃しました。DNAが発見される何十年も前にそれを予言したかのようです。
一般に探偵小説とか推理小説とかいうものは、結末や犯人が分かることにカタルシスがあるものですが、この作品は、分からなくなることに快感がある作品。悪夢的な迷宮に入り込み、どこまでが現実でどこまでが幻なのか、その境界が曖昧になる面白さです。
最後に漫画『ドグラ・マグラ』もご紹介!入門書としておすすめ!
「意味不明」「異常」「頭がおかしくなる」などの恐ろしい感想が多く、ここまでの考察でも難解な印象を受けて読むのをためらっている人も多いかもしれません。そんな方におすすめなのが、漫画版の『ドグラ・マグラ』です。
ここでは「まんがで読破」シリーズのものをご紹介させていただきます。
| 作者 | 夢野 久作, バラエティ・アートワークス |
|---|---|
| 出版社 | イースト・プレス |
| 出版日 | 2008年10月01日 |
物語の大筋は変わりませんが、なんといっても本作の魅力は読みやすくアレンジされていること。おどろおどろしい雰囲気は抑えられ、読み手を混乱させる時系列の経過も整然としており、「スチャラカチャカポコ」部分などの大幅なカットにより、とても読みやすくなっています。独特のねっとりした空気感もなくサスペンスの面白さが前面に出ています。
しかし、読み手を混乱させる要素や、カットされた部分、何ともいえない空気感こそ、本作の魅力だともいえるので、そこはぜひ読んでほしいところでもあるのですが。
興味があるけど少し怖い、という方に入門書としておすすめしたいのが漫画版『ドグラ・マグラ』です。
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