図書館はイベント会場か?
新藤透・文学部准教授 (後編)
2020年2月13日更新
これまでにない通史としての図書館史を概観したインタビュー前編に引き続き、この後編で語っていくのは、現在の図書館だ。私たちの暮らしのすぐ傍にあるからこそ、図書館の役割、そして未来の姿を、改めて見つめ直してみたい。
図書館の役割は時代と共に変わってきておりまして、現代の図書館は無料で本を貸し出す場所ではなく、「地域の情報拠点」としての役割が求められています。図書館に来ればその地域のさまざまな情報に接することができ、紙媒体の本にとらわれずデジタルな情報にも積極的に市民は接触することができる空間となっています。
また、さまざまなイベントを開催して、地域の見知らぬ人同士を結びつける、「地域コミュニティの場」としての機能も担っています。本(情報)と人だけではなく、人と人とを結びつける場でもあるわけです。
そういった狙いから、多くのイベントを開催する図書館が増えています。本好きの人が集う婚活イベントを行っている図書館や、ワインの試飲会を開いている図書館もある。さらには女性職員が官能小説を朗読するライブイベントを行った図書館もありました。一昔前の図書館では想像できないですよね。
平成14(2006)年には文部科学省が、「これからの図書館の在り方検討協力者会議」という有識者会議において「これからの図書館像−地域を支える情報拠点をめざして−」という報告書を出しています。これがさらに、図書館の変化に拍車をかけました。
平成26(2018)年に出版した私の著作である『図書館の日本史』も、こうして多機能化してきている現代の図書館像を、過去に投影していったところがあります。もちろん批判もいただいたのですが、こうした手続きをとることによって、従来の図書館の歴史から除外されていたような事例が――たとえば前編で触れたような、江戸期の村で庄屋が人々に本を貸し出しているような「蔵書の家」や羽田八幡宮文庫といった事例を、どんどんと発掘できるようになったのです。
現在の、「情報」であるとか、地域の「コミュニティ」の拠点としての図書館の名にふさわしい活動を、過去の日本の人々もしていた、ということがわかってきたわけですね。こうした事例を見ていくことで、明治の20年代からつくり始められた図書館が大正期にかけて一気に増加していく背景、いわばその後の読書社会につながっていく土壌というものが近世までに形成されていたのではないか、ということも見えてきたわけです。
とはいえ現在の図書館の状況は、手放しで称賛できないところがあるのも事実です。たとえばある図書館では、年間100件ものイベントを開催しているそうです。図書館が開館している日数を考えると、ほぼ毎日、イベントを催しているような状況で、まるでイベント会社のようになっているわけですね。図書館として軸がぶれてしまっているといわれても仕方ないところがあります。
もちろん、人々に開かれた図書館という意味では、いい点もたくさんあります。ただ、本当に図書館が「情報」の拠点であるということを考えるならば、図書館に蓄積されている「情報」――現在は紙の本が代表的です――と、何らかの形で結びつける中でイベントは行われなければならないのではないか、と私は懸念しています。ただ場所を日々貸していくようになってしまっている図書館も、少なからず見受けられますから。
たとえばワインの試飲会を行うならば、イベントの冒頭から、その図書館にあるワイン関連の書籍と関係づけながら進行していくといいのではないでしょうか。もちろん、既にそのような方法で実施されている図書館も多くあります。将来的に図書館は電子書籍を扱っていくべきだという議論もありますが、まだ紙の本が主流である以上、実際に棚に並んでいる本との関係づけこそが肝心だと思います。ここを踏み外してしまっては、ただのイベント会場になってしまう危険があるのです。