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デトロイトのMODについて

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2020-02-13 21:46:23

自分のスタンスを自分ために書いて流す。

最近、デトロイトのMODのスクショが流れてくる。

MOD自体には思い入れも悪感情も無かった。しかし、流れてくる画像を見て疑問を抱いた。

デトロイトはSF的解釈も出来るが作中に散りばめられた人間の歴史(負の歴史)がズッシリとのしかかってる作品でもある。キャラクター、背景、世界観、全て綿密に練られたそれをMODで楽しい部分のみに注目して消費してしまうのにはあまりにも軽率な行為のような気がしたのだ。少なくとも自分が見た限りのMODにおいて(作品に対してそっと付箋をつけて楽しみ方の幅を広げ、アシストしてくれるようなMODもあることを他作品で知っている)。

オープンワールド系の自由度が高いゲームでは主人公は自分とリンクする存在であるし、余白に自由に書き込みをすることで完成する本のようなものに近い感覚もある。そのためMODに忌避感はない。だから作品との相性もあるのだと思う。

一方、デトロイトにおいて主人公を操作するものの、プレイヤーコントロール下に完全には置かれない感覚がある。それぞれの個性と存在を感じるため主人公=自分ではない。その個性あるキャラクターを改変することに自分は違和感を感じている。

また、作中では入れ替え可能なモノで都合が悪くなったら初期化されてしまうアンドロイドが描かれている。それに抗う話でもある。それをファンは作品のキャラクターを改変し入れ替え都合の良いように扱うことにオーバーラップしてしまう部分があることも自分の中では引っかかるのだ。

さらにゲーム内で見ることの出来るメイキングでは様々な人が懸命に作品を作る様子が収められている。
この素晴らしい作品に対して何か勝手に手を加えるということが自分にはない発想であった。
これでも一次創作を細々と続け、定期的に展示会に参加している身としては他人の作品はリスペクトし大切に扱うものなのである。

一方、俳優の身体のプロフィールが詳細に含まれているゲームのデータをファンが自由に扱うということに不気味さを感じている。自分の身体の詳細なデータが流出し、自由に扱われたら恐怖しかない。
さらに一部のファンによって結果的にデトロイトのテーマ性を歪められて、差別の助長などに繋がる可能性を懸念していたりする。


二次創作とMOD同じようなもので二次を嗜むのにMODに対しては拒否感あるとはダブスタではという声も耳にした。
二次創作とMOD、それぞれ個別の問題を孕む独立した事象である。それを「そっちこそどうなんだ」と使い古された論理的誤謬の一種でもってやり込めようとする時点で聞くに値しない。

二次創作に問題が無いとは言わない。しかしMODは作品そのものをを改変するという性質上、取り扱いによりセンシティブさを求められるような気がするのである。

以上のことから自分はデトロイトのMODは今のところ楽しめない。
だからなんだ、という訳ではない。自分は自分なりに作品を愛でていきたいという話である。

MODへのスタンスをいわゆる単なる「カップリング論争」と矮小化されることのないように記した。
私はそんな話はしていないのだ。


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