長谷川美祈
「弱い患者のまま、しぶとく生きる」――がんになった緩和ケア医の苦しみとの向き合い方
2/13(木) 8:30 配信
こんなに弱っても苦しくても生きているし、それでも生きていたい――。ホスピス緩和ケア医の大橋洋平さん(56)は、自らががんになって、そう痛感した。2018年に、10万人に1人が発症する希少な悪性腫瘍「GIST(ジスト)」に罹患した。現在も抗がん剤治療を続けている。がんになった緩和ケア医が医療現場に立ち続ける理由とは。(文:古川雅子/写真:長谷川美祈/Yahoo!ニュース 特集編集部)
緩和ケア医ががんになった
愛知県弥富市にある海南病院。緩和ケア病棟は4階にある。待合の大きな掃き出し窓の向こうは屋上庭園になっていて、天気のよい日は散歩もできる。
「いやあ、お待たせしました」。午前11時をまわったころ、患者とその家族との面談を終えた大橋洋平さんが現れた。「入院相談外来」と呼ばれる、緩和ケア病棟への入院を検討する人向けの外来診療である。
「最近の私は、面談の場であっても『喜哀楽』を表に出すようになったので、ついついいろいろしゃべって長くなってしまう」。大橋さんは頭をかきかき、柔和な笑みをこぼす。
「入院相談外来」を訪れるのは、主に進行がんや末期がんで治癒の見込めなくなった人たちだ。海南病院の緩和ケア病棟では、がんをなくしたり、がんと闘うような治療はしない。体や心の苦痛を和らげ、残りの日々をその人らしくすごすためのケアを提供する。
海南病院緩和ケア病棟の待合
大橋さんは2004年からこの海南病院で、ホスピス緩和ケア医として勤務している。そして、おととしからは自らもがん患者となった。
2018年6月、胃の入り口に悪性腫瘍が見つかった。消化管間質腫瘍、GIST(ジスト)と呼ばれる希少がんだった。
「夜中の2時か3時ごろだったかな。下痢気味でトイレに行ってふと見たら、便が真っ黒なんです。医者だったら下血と分かりそうだけど、そのときは不思議と『あれ、昨日黒いもの食べたかな?』って」
1時間もしないうちに再び便意を催し、またもや黒色便が便器を真っ黒に染めた。この時点で大橋さんは腹をくくった。鮮血でないということは、肛門から離れた場所で出血している。胃がんかもしれない。
緩和ケア病棟のナースステーションで。がんになって体力が落ちたため「余裕を持って働けるよう、毎朝8時ごろには病院に着くように心がけています」と言う。
ジストは発見が遅れがちだ。自覚症状が軽いことが多く、症状が強くなって検査を受けてみたら進行していたということがよくある。大橋さんの主治医である、海南病院腫瘍内科代表部長・宇都宮節夫さんはこう話す。
「胃がんや大腸がんなどの胃腸の腫瘍の多くは、粘膜の表面から発生します。ところがジストは、粘膜の下側にある『間質』という、体の表面と内側を埋める筋肉層から発生してくるので、発見しにくいんです。内視鏡検査で表面の細胞を取っても分からないことはよくあります。粘膜の下の『こぶ』が小さくて生検でジストと診断できないときは経過観察となることが多い」
CTを撮ると、腫瘍の大きさは直径10センチに達していた。大橋さんは「なぜ気がつかなかったのか」と悔しく思った。腫瘍を切除する手術は4時間におよんだ。
「無意味の苦しみ」を和らげる
大橋さんは、1988年に三重大学医学部を卒業、総合病院の内科医として勤務した。がん患者をみる機会も多かった。消化器系のがんは、外科手術が第一選択の治療であることが多い。当時、内科で関わる段階では、完治を目指せない終末期であるケースが多かった。何人もの患者を見送った。がん告知がいまほど一般的ではなかった時代。大橋さんは悩んだ。
「自分ががんだと知らされずにこの世を去った人たちも、もし知っていたならば、また違った最期の日々を送れたかもしれない。新しい生き方を探せたかもしれない」
三重県木曽岬町の自宅で
大橋さんは、日本のホスピスケアの草分けとして知られる大阪市の淀川キリスト教病院で、1年間にわたりホスピスの研修を受けた。2003年、40歳のときだった。
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