髙崎順子さんとひろゆきさんのハフポスト対談コラムを「有毒」だと言う中部大学の玉田敦子教授にお伝えしたいこと

ハフポストでの、髙崎順子さんとひろゆきさんの対談コラムの炎上が続いている中、後編がUPされました。

これを読み、「前編よりもずっと良い」と言う人もいましたが、わたしは相変わらず前編の何が一体ダメなのか、さっぱりわかりません。だって、ひろゆきさんは質問に対して個人の意見を述べているだけですよね。むしろ、後編はやたら注釈が多く、ハフポスト編集部からもナゾの謝罪文があり、フェミニストの逆鱗に触れないよう、気を遣って慎重に慎重に書かれていて気色悪く感じました。
(よろしければ、わたしの前編ついての感想 と オマケも併せてお読みください)

フェミニズムへの思いを専門外の人が気軽に語ると、フェミニストに怒られる。
そしてメディアもそれに忖度する。
これでは、フェミニズムへの理解が深まらないのも当然です。
わたしはフェミニストの一人として、非常に情けなく思います。

怒って批判するにとどまらず、『一般の皆さんは読まなくていい』とし、コラムをまとめている髙崎さんに対して『後半(のコラム)で(髙崎さんがひろゆきさんを)論破されているならば、なるべく早く公開して解毒してほしい。有毒すぎる。』とTwitter上で要求するフェミニストの大学教授がいると知り、恐ろしくなりました。
中部大学の玉田敦子教授、この方のもとで学んでいる学生達の事を考えるとわたしは勝手に心配になって来ます。

思い出してほしいのですが、当コラムは、髙崎さんが『専門家でなくても、より身近な「私ごと」として、フェミニズムに触れられないだろうか』という趣旨でスタートした物です。なぜ、いちフェミニストの教授の意に沿わないだけで、有毒だと決めつけられ、相手を論破しないといけないのでしょうか?

髙崎さんは、これに対して丁寧に「有毒性とは何か具体的にご指摘を」と聞かれていましたが、玉田教授はこれに答えず「(ひろゆきさんという)相手を選んだご自身で責任をとられた方が良い」とのこと。DVモラハラの夫に責められた妻がどこが悪いのか尋ねると「自分で考えろ」と言う論法とそっくりで、わたしはますます怖くなりました。

わたしは同じフェミニストとして、フェミニストの学者である方がこの様な態度を取られている事を見るに耐えませんので、無駄とはわかっていても、玉田教授に以下の事をお伝えしようと思います。

今、フェミニストと言えば、一般人には「何か言えば攻撃してくるヤバい人達」というイメージになっています。異論反論を拒絶すればするほどヤバさ高まる一方です。これでは、フェミニストの意見や主張など、社会に通るはずもありません。
もしも教授が日本のフェミニズムの未来を真剣にお考えであるなら、どうかフェミニズムに無理解な人の話にこそ積極的に耳を傾けてください
わたしは「反論を受け入れ肯定しろ」とは言っていません。
世の中には、違う意見の人達がいる。それを知ることが大事なのです。
そして、教授が本当に教育者であるならば、違う意見の人も尊重し共存していくにはどうしたら良いかを、若い学生達と一緒に考えてほしいです。(丁度、髙崎さんも「フランスでは違う意見の相手を尊重しようと言う教育が徹底しており、日本でもその作業が必要ではないか」と当コラムで仰っています)

わたしの意見など、当然教授はガン無視されるでしょう。同じフェミニストからの反対意見であっても「聞かなければ、無かった事にできる」のです。
しかし、その様な態度こそ、「女子供の話なぞ聞かなくていい」と言って来た、我々フェミニストが敵対して来たはずの家父長と同じ態度ではないでしょうか。

つまり、今のフェミニズムに「有毒」なのは、玉田教授の様な閉塞的で不寛容な態度では無いでしょうか。

フェミニストを名乗る社会学者や人文学者の先生方には玉田教授のような思考の方が多く、もはや驚く事もなくなってきましたが、同じフェミニストであるわたしの思いを「無かった事」にはされたくありません。今まではTwitterでぶつくさ言っているだけでしたが、Twitterだと流れてしまってそれこそ「無かった事」になる。
ご本人には届かなくても、フェミニストの中にはこの様な考えの者が少なくともここに居る事を、一人でも多くの方が目に留めてくださる様、拙ブログに書き留めておきます。

*当該コラムに関するわたしの感想を書いた一連のブログ内で、髙崎順子さんの事を「高崎さん」と漢字を間違えて記述しておりました。お詫びいたします。