12:00
野村克也さんの逝去を悼み、謹んでお悔やみ申し上げます。

このように追悼の言葉をつづることはあまりないのですが、ノムさんということになりますと申し上げたいことも多少ありますので、自分の気持ちの整理ということで若干書き連ねたいと思います。

僕自身とノムさんとは完全に世代が異なりますので、現役時代というものについては後追いで情報を見るばかり。西武時代も記憶はまったくなく、「特大サイズのヘルメットを清原に遺してくれた頭のデカい人」という取り扱いです。

また、解説者時代において「野村スコープ」などで活躍した時期も、僕の住む地方ではテレビ朝日が映らなかったため(!)、その解説というものに触れる機会は多くありませんでした。リアルタイムで存在を意識するようになったのはヤクルト監督就任後の指導者専任の時代から。ID野球を駆使し、西武あるいはオリックスの前に立ちはだかったノムさんは、まさしく「智将」でした。コチラのほうが強いはずなのに、やたらと手強かった。

50代半ばに差し掛かったノムさんはすでに「おじいさん」という年代でしたが、そこからさらにひと花もふた花も咲かせ、最後の最後まで「現役」でした。この数十年、ノムさんの影響を受けずにいられた野球界隈の人間はいないでしょう。味方あるいは好敵手として、野球知識の学び舎として、リーダー論・人間論を諭す人物として、あるいは「サッチーの夫」として。多芸多才でした。面白かった。



[商品価格に関しましては、リンクが作成された時点と現時点で情報が変更されている場合がございます。]

野村ノート [ 野村 克也 ]
価格:1650円(税込、送料無料) (2020/2/12時点)



あまりに活躍の幅も広く、それぞれが偉大なのですが、それらが今なお「現役」でありつづけることにおいて共通するのは「言葉」のチカラです。ノムさんがノムさんたる最大の理由であり強みであったものは、やはり「言葉」だろうと。そのチカラによってノムさんという存在は時代と世代を超え、影響を残してきたのだろうと思います。

「王や長嶋がヒマワリなら、俺はひっそりと日本海に咲く月見草」のくだりは不人気時代のパ・リーグにあって、戦後初の三冠王を獲得、通算安打・本塁打・打点などいずれも歴代2位となるほどの活躍をしながら、注目を浴びられない自身を表した言葉。これが終生のキャッチフレーズともなるわけですが、ノムさんのノムさんらしさが凝縮されたフレーズだなと、しみじみ思います。

王・長嶋という強烈な「花」へのコンプレックスからのヒマワリと月見草の対比は、僻みでありボヤきです。ただ、一方的に卑屈になっているのではなく、しっかりと自分を月見草なる「花」と持ち上げ、誇ってもいる。向こうは単に派手なだけだが、俺は味わいがある美しさだろうと聞こえさえするような、下から見上げる負けず嫌いの心。

何とか新聞で採り上げられる言葉をひねり出そうと思案するなかで自ら生み出したフレーズだと言いますが、先に月見草を思いついたのち、王・長嶋をどんな花に例えるかを考え、派手な花といったら何かを沙知代さんに尋ねて「ヒマワリ」と決めたという逸話もまた二人三脚というか、ノムさんらしいなと思います。ふたりの出逢いがなくとも大打者・野村克也はいただろうけれど、サッチーなくしてノムさんはなかったのだということを、「ヒマワリと月見草」の言葉からも感じることができるのですから。

これを自分で考え、自分で発した。今でいうセルフプロデュースによって「パ・リーグの大打者」というくくりではなく、さりげなく自分を王・長嶋と並び立てた。成績的に言えばもちろん並び立つ存在ではあるのですが、王のライバルは長嶋であり、長嶋のライバルは王であるという巨人内完結、「巨人にあらずば人にあらず」を許さず、自分をそこにそっと割り込ませた。上手いなと思います。名コピーライターだなと唸ります。



この上手さ、面白さこそが「ノムさん」なのだろうと思います。

シュートの重要性やボール球の効能を説く配球理論であったり、足を上げずに投げるクイックモーションの発案といった「理論」の部分ももちろん特筆ではありますが、それ自体はさまざまな野球人が自分なりの形で取り組んできたものでしょう。ただ、それを世間に広く伝えるという部分では、ノムさんの独擅場でした。考えるのが好きなだけでなく、言うことも好きで、しかもそれが面白かった。

大体同じ逸話がまとめられた著書があれだけ膨大な数にのぼるのも、言うのが好きで、しかも面白いからこそ。普通は一冊の決定版で終わりであり、同じ話を繰り返したりはしないものです。ただ、ノムさんはまるで古典落語のように、何度も同じ話をし、繰り返されてもなお面白かった。だからこそ世間にも広く受け入れられたし、日本全体の野球観の底上げにつながった。

今、野球を見ながら投打の駆け引きを見るとき、その根底にあるのはノムさんが広めたことだったと思います。「投げました、打ちました」ではない楽しみ方、それを面白く伝えてくれた。解説者としてはもちろん、指導者となってからも「無言」を貫くようなことなく、ときには空中戦とも言えるようなメディアを通じての発信をしてくれたノムさん。

オリックスとの日本シリーズでイチローの弱点を喧伝し、のちにそれが空中戦であったことを種明かししてくれる、そんなノムさんの振る舞いによってファンの野球を見る目と面白さがどれだけ上昇したことか。ノムさんの存在によって、日本の野球というものは10年・20年単位での一足飛びの進化を果たしたと心から思います。ノムさんの惜しみない発信と、人を飽きさせない面白さ。単に理論を言語化しただけではない、「面白く言語化する」ことで初めて生まれる影響が、そこにはありました。



[商品価格に関しましては、リンクが作成された時点と現時点で情報が変更されている場合がございます。]

野村の遺言 [ 野村 克也 ]
価格:1540円(税込、送料無料) (2020/2/12時点)



ノムさんの発する言葉は、内容としては厳しく、語り口としては面白いものでした。基本的にはダメ出しですし、辛辣な批判というものも多かった。しかし、不思議と「もう聞きたくないよ」という不快感はありませんでした。このあたりはノムさん自身も「叱ると褒めるは同意語」と言い、愛があってこそ叱ることに意味があるのだと語っていたように、厳しさと同時に寄り添う優しさがあったからだと思います。

その真骨頂が「ボヤき」なのだと思います。ボヤきは内容としてはダメ出しです。プレーの至らない部分を指摘せずにはいられないからこそ出てくる非難です。しかし、それを直接選手へ向けた言葉とするのではなく、「なんでかね」と理由不明なまま虚空に向けて打ち放つように「ボヤき」とした。非難ではなくボヤきとすることで、「ノムさんの考え」と「選手の考え」とは区別され、一方的な攻撃とならなかった。

言われた選手はそのボヤきに怒ることもできたし、反論することもできたし、また無視することもできた。降りかかる火の粉なら払わねばなりませんが、降りかかってこないならば無視してもいい。そんな慎ましい距離感のようなものが、ボヤきにはあったように思うのです。火事ではなくボヤ、炎上ではなくボヤ。ダジャレのようですが、最後の一線を超えない優しさが。

それは「弱者」の心がわかり、弱者に寄り添うのを好む人だったからのように思います。

ノムさんは成績から言えば、圧倒的な「強者」です。猛練習と研究でつかんだ成功だと本人は言うのでしょうが、生まれ持っての強者でなければ努力を重ねたところであれほどの成績は到底生み出せません。ただ、ノムさんの性質は強者として胸を張るよりも、弱者の位置から見上げることを好んだのだろうと思います。「俺もヒマワリのはずだ」と強弁するのではなく、「俺は月見草」と言いたがるような性質がノムさんだったのだろうと思います。弱者の立場に身を置くことを愛し、僻み、ボヤき、寄り添った。

パ・リーグ一筋の現役生活、最下位転落した南海でプレイングマネージャーを引き受けたことに始まる指導者の経歴。明るいけれど弱かったヤクルト、ダメ虎と評された頃の阪神、そして誕生まもない楽天と「弱そうなチーム」での仕事が不思議と多かった。選んでそうなったわけではないかもしれないけれど、「弱そうなチーム」からのオファーであっても断わらず、むしろ燃える。下から見上げるときに燃える、そんな性質のキャリアでした。

座右の銘の「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」もまた、そんな性質の言葉です。よくよく考えたら、この言葉はウソなのです。「不思議の勝ち」というのは相手のミスであるとか、ラッキーであるとかそういう偶発的なことを指すわけですが、それを認めるならば「相手のまぐれや、アンラッキー」で負けた「不思議の負け」も認めなければいけない。不思議の勝ちと不思議の負けを、両方認めるか、両方否定するかどちらかでないとウソなのです。真の強者はよく言うでしょう、「幸運を引き寄せたのは俺の努力なのだ」と。それは偶然ではなく必然なのだと。

けれど、ノムさんは「負け」をひたすらに見つめた。「負け」を見つめ、「負け」と向き合い、不思議がなくなるほど「負け」のほうを探求しつづけた。負けそうな状況を引っくり返すことに燃え、そういうキャリアを積み上げた。主要部門で歴代2位の打棒を誇る大打者でありながら、「王・長嶋」をあえて下から見上げ、対抗することに燃えた。「負けそうな」状況をひたすらに見つめるからこそ、さまざまな気づきがあり、発明もあったのでしょう。配球理論しかりクイックしかり。そして、「負けそうな」シチュエーションを避けることもなく、むしろ勇んで取り組んだのでしょう。

それは自身の性質であると同時に、世のほとんどを占める弱者にとって、受け入れやすく、役に立つ、ありがたい性質でした。「強者が強者たる所以」などという役に立たない自分語りではなく、弱者がいかに世を生き抜いていくかという役に立つ実践の術を、ノムさんは人生を通じて考え、広めてくれた。最後まで「俺は月見草」でボヤき倒してくれた。

僕らは強者・成功者の言葉しか聞きません。

どれだけ学びがあろうが、面白い話しか聞きません。

そして、不愉快な話は聞きません。

圧倒的な強者・成功者でありながら、面白くて学びがあって飽きのこない話を、世の大半を占める弱者の感情を逆撫ですることなく届けてくれたノムさんという傑物。すべてをひとりで備えた稀有なる人物によって、日本の野球は一足飛びの進化を果たしたと僕は思っています。時計の針を大きく進めてくれたのはノムさんであると。その点において、ノムさんは王・長嶋を遥かに上回る偉大な人物でした。「言葉」を発し続けてくれたことに深く感謝します。

本人が月見草と言っちゃってるので月見草で決まりではありますが、ゼロベースで考えるならノムさんの花はタンポポかなと思います。どんな花よりも世に広まり、花自体も華やかでありながら、綿毛を飛ばして遊ぶのも面白く、しかも雑草の親しみやすさがある。綿毛が遠くまで飛ぶようにして、ノムさんの言葉はたくさんの著書と、育てた選手たちによってこれからも広まっていくことでしょう。ヒマワリは見ない年もありますが、タンポポを見ない年はないのです。

お世話になりました。

野球がもっと楽しめるようになりました。

たくさんの面白い話をありがとうございます!



[商品価格に関しましては、リンクが作成された時点と現時点で情報が変更されている場合がございます。]

野村克也 野球論集成 [ 野村克也 ]
価格:2035円(税込、送料無料) (2020/2/12時点)



1992年・1993年の日本シリーズでの激闘、一緒に作れてよかったです!