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【スポーツ】<2020主役候補のルーツ>空手の植草歩 名門大学で味わった息苦しさを父が励まし続けた2020年2月12日 紙面から
東京五輪で金メダルを目指す空手女子68キロ超級の植草歩(27)=JAL=には空手からドロップアウトしかけた過去がある。2011年春、父の政国さん(63)に娘からメールが届いた。「やめる」。千葉・柏日体高でインターハイ3位、国体優勝。堂々たる実績を引っ提げて帝京大へ進んでから、1週間ほど後のことだった。 帝京大には全国から優秀な選手が集まる。練習も上下関係も厳しかった。政国さんは「暗黙の了解で女の子は長い髪の毛は駄目というのがあったみたい。そういうのも含めてカルチャーショックだった」と振り返る。空手とは別に、植草はおしゃれや友だち付き合いも楽しむ今時の女子高生だった。名門大学での「空手一本」の生活が息苦しかったようだ。 退部寸前まで追い詰められた娘と父とのメールのやりとりは幾日も続いた。政国さんは「『会いに行く』と行っても『来るな』と。続けろと言われるのが嫌だったのか。あのときは携帯電話を枕元において寝ていました。急にメールが来るから」 娘のSOSを24時間態勢で受け止め、政国さんは「1年やって駄目だっら諦める。1年は我慢したらどうだ」と励まし続けた。帝京大の仲間も植草を気遣ってくれた。その「1年」で植草は変わっていった。学生選手権で準優勝し、初めて日本代表に選ばれた。試合で結果を残していくと、空手にのめり込んだ。東京五輪への道が自然と開けていった。 天真らんまんな少女だった。幼いころ自宅で姿が見えなくなり「行方不明になった」と家族が慌てて探し回ると、近所の家のこたつで寝ていた。顔見知りの男の子にならって小学3年で空手を始めると熱中した。自宅近くの道場だけでは飽き足らず、政国さんが車で1時間もかけて別の道場へ送り迎えした。 「試合で負けると、リミッターが切れたように泣き始めて止まらない。そんな子でしたね」。柏日体高で他の空手部員と共同生活を送るようになると、政国さんが週末に食べ物などを差し入れに通った。 植草は今、空手界のシンボルとして金メダル取りへ突き進む。政国さんは「メダルを取るのが理想だけど、歩が納得できる試合をしてくれればいい」。ただただ悔いのない戦いを。そんな家族の思いが植草の背中を押す。 (木村尚公) <植草歩(うえくさ・あゆみ)> 1992(平成4)年7月25日生まれ、千葉県八街市出身の27歳。空手女子組手68キロ超級。168センチ。柏日体高(千葉)、帝京大卒。JAL所属。体重無差別で争う全日本選手権は2015年から4連覇。世界選手権は16年に金、18年に銀メダルを獲得した。東京五輪代表争いは61キロ超級でポイントトップに立っている。そのルックスから「空手界のきゃりーぱみゅぱみゅ」の異名も。
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