ひどい欠陥機だったソ連のSu-27戦闘機「フランカー」 命がけの再設計
ソ連時代の戦闘機開発は、国営の設計局が担う国家プロジェクトですが、なにかと死が身近な同国でそのちゃぶ台をひっくり返すのは、並大抵の覚悟ではできないでしょう。しかしその命がけの再設計で、のちの大傑作機が生み出されました。
大成功したSu-27戦闘機のいわゆる「黒歴史」
最も美しい現代戦闘機は何でしょうか。美の基準は個人の好みによりますが、何人かに尋ねれば、まず間違いなくロシアのユナイテッドエアクラフト(スホーイ)Su-27の名を聞くことになるでしょう。
ロシア語で「鶴」の愛称を持つSu-27は美しいだけではなく、双発戦闘機としては世界最多の1067機(派生型含む)が運用中の金メダリストでもあります。この数字は単発戦闘機を含んでもなお、F-16(2280機)に次ぐ第2位という偉大な記録です。
Su-27は傑作中の傑作戦闘機として大成功を収めていますが、実は旧ソ連のスホーイ設計局において開発されていた当時は、ひどい欠陥戦闘機と見なされていました。それも設計者にさえ「根本的に解決不可能」とされたほどにです。
具体的に何が悪かったのでしょうか。まず新開発の大パワーエンジンが間に合いませんでした。そのため一時的に既存品で代用し、1977(昭和52)年に「T-10」という名の試作機が初飛行します。
T-10は、目標であったF-15以上の性能をまったく達成できませんでした。T-10の低性能は、エンジンの開発が間に合わなかったことを差し引いてもなお想定以下であり、速度や加速、上昇力のみならず戦闘機として不可欠な急旋回もほぼ不可能、そして有害な振動の発生に悩まされるなど、航空機として空力特性に根本的な問題を抱えていたのです。
初飛行の翌年1978(昭和53)年、T-10の2号機が、超音速飛行中の強烈な振動から制御不能となります。そして荷重限界を超えるG(加速度)にさらされ機体は空中分解、テストパイロットが殉職してしまいました。
コメント